今月の標語 2021年

2021年 「5月の標語」

東洋の天命という言葉は
私の立場から言っても
深い真理を表した言葉である
というのは
人間の寿命は 実は
天が決めているものだからだ 

――― 『霊界からの手記』Emanuel Swedenborg

1月の標語でプラグ氏の著書をご紹介し、「本物のスピリチュアリズムは仏教の基本の教義と非常に共通点が多いです。」と書きました。
今年は、このページでスピリチュアリズムについて、解説していこうと思っていましたので、少し回り道になってしまいましたが、今後はスピリチュアリズムについて、可能な限りお話させて頂きたいと思います。

ネット上で「スピリチュアル」と検索しますと、占いやオカルトといった、いわゆる「目に見えない世界」にまつわる話が多く出て参りますので、いかがわしいとか怪しいイメージを持つ方も少なからずいらっしゃるでしょう。確かに、中には真偽が不明な占い師や自称霊能者なども存在し、実際に騙される方も出て来ると、そこから、自分は騙されないぞというふうになることで、少し前に述べたように、死後の世界まで否定してしまう方が出てきますので、スピリチュアリズムについて「正しく」学ぶことは非常に重要なことであると思っています。

現代のスピリチュアリズムにつながる流れは、定説では米国における1848年のフォックス家事件から始まりますが、それよりさらに約150年(今から300年以上)も前に現れたスウェーデン人エマヌエル・スウェーデンボルグが、恐らく、歴史に残る霊能者の先駆けであったことは、議論の余地はないと思われます。
彼は幽体離脱体験を通じて霊界を探訪し、自由に霊界の住人と語り合い、多くの霊的事実を地上にもたらしました。彼の霊界探訪によってもたらされた霊的知識は、近代スピリチュアリズムの考え方と基本的に大差ありません。
彼は霊の存在について、自身の体験をもとにした著作を多数発表していますが、『霊界からの手記』、『霊界からの遺言』、『天界と地獄』、『霊界日記』、『スウェーデンボルグの夢日記』など興味深いタイトルが並びます。
スウェーデンボルグはヘレン・ケラーや鈴木大拙をはじめとする、数々の偉人たちの思想に影響を与えたこともわかっておりまして、彼の手書き文書が2005年にユネスコの「世界の記憶(世界的に重要な記録物への認識を高め、保存やアクセスの促進を目的とした事業)」に選定されたことからも、世界で認められた人物だとわかります。

実は、私も、鬱々とした日々を過ごしていた30代半ばころから、精神世界についての本を片端から読み漁りましたが、一番初めに読んだ霊界に関する本が、このスウェーデンボルグの『霊界からの手記』でした。
当時は、本を読んで、感銘を受けた言葉があるとノートに書き写しており、冒頭の文章もその中の一節です。
スウェーデンボルグだけでも、ルーズリーフ20枚(40ページ)近くも書き留めてあり、正直申し上げて、最近読み返してみまして、かなり難解な部分もありましたが、当時はかなり衝撃を受けたことを思い出しました。 

[その生涯]
エマヌエル・スウェーデンボルグ(Emanuel Swedenborg, )生誕1688年1月29日  死没1772年3月29日(84歳没)は、スウェーデン王国出身の科学者・神学者・思想家です。生きながら霊界を見て来たと言う霊的体験に基づく大量の著述で知られ、その多くが大英博物館に保管されています。貴族に叙された後はスヴェーデンボリとも称されます。
ここで彼の生きた時代にわが国では何が起きていたか見てみましょう。
(1687年:ニュートンが万有引力の法則を発見。)
1688(元禄1)年:柳沢吉保が側用人になる。(1680〜1709 5代将軍徳川綱吉)
1688(元禄1)年:長崎に唐人屋敷を作る。
1772(安永1)年:田沼意次が老中になる。 (1760〜1786 10代将軍徳川家治)
1772(安永1)年:江戸で大火がおこる(目黒行人坂火事)。
1774(安永3)年:杉田玄白、前野良沢らの「解体新書」が刊行される
1775(安永4)年:長久保赤水「日本輿地路程全図」 スウェーデンの植物学者カール・ツンベルグが来日
1776(安永5)年:平賀源内がエレキテルを復元

父イェスペル・スヴェードバリ(Jesper Swedberg)は、ルーテル教会の牧師であり、スウェーデン語訳の聖書を最初に刊行した人物でした。その次男としてストックホルムで生まれます。11歳のときウプサラ大学入学。22歳で大学卒業後イギリス、フランス、オランダへ遊学。28歳のときカール12世により王立鉱山局の監督官に任命され、31歳のとき貴族に叙されます。彼は9ヶ国語を自由に操ったともいわれており、イギリス、オランダなどへ頻繁にでかけています。
18世紀最大の科学者として、数学・物理学・天文学・宇宙科学・鉱物学・化学・冶金学・解剖学・生理学・地質学・自然史学・結晶学など、20もの学問分野で多大な業績を残し、その業績は現代の水準に達するほど高度なものであったといいます。
動力さえあれば実際に飛行可能と見られている飛行機械の設計図を歴史上はじめて書いたのはスヴェーデンボルグが26歳の時であり、現在アメリカ合衆国のスミソニアン博物館に、この設計図が展示保管されています。
このように、彼は一流の自然科学者でしたが、科学の経験的認識の限界を自覚し、次第に様々なビジョンを見るようになり、視霊者として聖書の霊的研究を行いました。
1745年、(57歳)イエス・キリストにかかわる霊的体験が始まり、霊魂の独立存在、死後存続を信じ、自ら天使や霊と語り、霊界を見聞し、天界、地界、霊界などについて詳しく記述し、その著作は啓蒙時代のヨーロッパに大きな影響を与えました。日本女子大学の新見肇子氏は、彼の著作が文学的想像力の産物ではないこと、近代科学において相当の業績を残した人物によるものであることは重要であると指摘しています。
彼による霊界の描写は、現代人に起こる臨死体験と共通点が多いとされ、広大なトンネルを抜ける体験や光体験、人生回顧や時空を超えた領域を訪れる体験などです。

神秘主義的な重要な著作物を当初匿名で、続いて本名で多量に出版し、出版で得た全報酬は寄付(『スヴェーデンボリ その生涯と教え』トロブリッジ著より)しました。

ただし、『霊界日記』等において、聖書中の使徒パウロや、ダビデを地獄に堕ちているとしたり、宗教改革を先導したルターや、プロテスタントの著名な創始者の一人フィリップ・メランヒトンも地獄に堕ちたなどと主張したために、スウェーデン・ルーテル派教会をはじめ、当時のキリスト教会からは異端視され、異端宣告を受ける直前にまで事態は発展しましたが、王室の庇護により、回避されました。

スヴェーデンボルグが霊能力を発揮した事件は公式に二件程存在し、一つは、「ストックホルム大火事件」、もう一つは「スウェーデン王室のユルリカ王妃に関する事件」です。

「ストックホルム大火事件」については、http://caneton144.sub.jp/kant1.htmを参照しました。
『天界の秘義』の出版完了後わずか二年して、スウェーデンボルグは第七次外国旅行に発ちロンドンヘ行った。そこで一年間に五冊の著作(「ロンドン五部作」と言われる)を出版して、1759年に帰国した。「スウェーデンボルグの千里眼」として後世の語り種となった事件は、この帰国の途次に起こったのである。
 7月19日、土曜の夕方のことであった。スウェーデンボルグはイギリスから帆船に乗って、スウェーデン西海岸の都市イェーテボリに到着した。そして同市の商人だった友人、ウィリアム・カーステルの夕食会に招かれた。現在もサールグレン家として残っているカーステルの家には、ほかにも15人の客が招かれていた。
 食事中、スウェーデンボルグは極度に興奮し、顔面が蒼白となった。不安と焦燥に満ちた様子で、彼は幾度となく食卓を離れた。そして、騒然となった一同に向かって、「今、ストックホルムで大火災が猛威を振るっている」と、告げたのである。そして落ち着きを失ったまま再び外へ出て行き、戻って来ると、ひとりの友人に向かって言った。「あなたの家は灰になった。私の家も危険だ」
 その晩8時頃、もう一度外へ出て戻って来た彼は、大声で叫んだ。「ありがたい!火は私の家から三軒目で消えた」
 同夜、来客のひとりが州知事にこの話をしたため、知事の依頼に応じて翌日、スウェーデンボルグは火事の詳細を話した。火事のあった二日後、通商局の使者がストックホルムからイェーテボリに到着した。両都市は約480キロメートルも離れていたが、この使者の火災報告とスウェーデンボルグの語った内容とは、薄気味悪いほど一致していたのである。

もう一つ、「スウェーデン王室のユルリカ王妃に関する事件」は、https://ameblo.jp/agehacyouooo/entry-12358201070.html を参照しました。
王妃に求められて、大勢の前で交霊術を見せることになりました。
彼女と10年前に亡くなった将軍の間だけしか知らない遺書の内容を死者の霊と会って聞きだして公表しなさいと言われたそうです。 死者の名前だけが彼には伝えられたそうです。
スウェーデンボルグは見事に死者から遺言の内容を聞きだし、王妃をひどく驚かせたそうです。
彼の答えが細部にまで渡って正確だったからだそうです。

スウェーデンボルグは1772年ロンドン滞在中に、自ら予言した3月29日に亡くなりましたが、上記ブログにそのことも述べられていいます。

驚いたのは自分がいつ死ぬかを知っていて、死を予告した手紙を人に送りその予告通りに亡くなっています。
その手紙の最後にはこう書かれていました。
「私が、ウェスレーへの手紙で示した死の日の預言も、やがて私の死後においてその正しさが証明されるだろう。」

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以下、私が、ノートに抜き書きしたスウェーデンボルグの言葉を、ごく一部ですがご紹介したいと思います。

「世界は、本当は目に見えないものこそが根本であり、それによって運命づけられ支配されているのだと断言できる。」

「東洋の天命という言葉は、私の立場から言っても深い真理を表した言葉である。というのは、人間の寿命は 実は天が決めているものだからだ。人間には幼くして死ぬ者も百歳近い長寿を保つ者もあるが、これはすべて天の定めるところなのだ。
…人間が、死がこわくなくなれば、極端な話、風邪をひいて熱や咳が出て苦しいといったような、なんでもない苦しみに、面しただけでも「天の理」の定めた寿命を自ら打ち切って自分から死んでしまいかねないだろう。人間の不死性や霊魂の永遠性が本当に信じられる彼には、死は熱や咳の苦痛よりも恐ろしくないものになってしまうからだ。これはまるで笑い話みたいだが、間違いなくそうなると考えていいはずである。
死後の世界と直接の接触が許されれば、人間は不死をなんの疑いも恐れもなく信じることができ、いまのような笑えない笑い話も起こすだろう。
これでは人間それぞれのこの世における役割からして、寿命を定めている「天の理」そのものがなんの役にも立たないことになる。測りがたい知恵を持った「天の理」はそんな自己矛盾をおかすはずはない。
こう考えると一見逆説的だが、「天の理」は寿命を定めるとともに、人間には死後の世界との直接的な接触を許さないという二段構えの配慮をしているのがわかる。」

「…われわれはどうしても自分を主人公としてものごとを理解しようとする。それゆえ自分にわからない霊界や「天の理」はその存在さえ否定したくなる。しかしもともと自分は自分以上の「天の理」によって、そういうことがわかりにくくされているのだと気づけば、自ずと考えも変わってこよう。

…「天の理」とはなにかというと、これは生命、理性、愛情、悟りなどのすべての善を生み出す根本の原理であり、調和の原理でもある。
…「霊の生活の目的は霊的人格(霊格というべきだが)の完成にある。そして、それがより高度に完成されて彼は初めて最上の天国に入れる」

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私自身、仕事柄、人々の死を通して、あちらの世界に詳しくなるにつれ(笑)、早くあちらに行きたいという願望が強くなりすぎて、霊的人格の向上を目指すことについては、早々と諦めてしまっているところもあり、まさに、図星なのです。
死後の世界を信じない人々の方が多い、と鬱々としていましたが、それが「天の理」というものだと言われれば、それはそうだ、と納得せざるを得ませんね。もっと早くに昔のノートを読み返すべきだったと反省しています。(-_-;)

 彼の本に出会えたのは、ほぼ10年後に僧侶として、出家させて頂ける身などとは、想像もつかない時期でしたが、それでも、初めから正しい教えにご縁を頂けたことは、これも天の配剤だったのかと、改めて感慨深く、感謝の念しかありません。
(ここに、引用いたしました著書を私が当時ノートに書き写したものは、昭和に発行された版ですから、絶版になっておりますので、ご了承頂きたいと思います。)

2021年 「4月の標語」

情けは人の為ならず 
めぐりめぐって己がため

――― 古典落語『佃島』

 3月の初旬、お寺のヨガにいらしていたYさんから、大変嬉しいメールを頂戴しました。
「こんにちは。今日 息子の卒業式が無事終わりました。とはいえ、元々人数も少なく、コロナ禍と言うこともあって、本当に簡単なものでしたが。
 自分の子供が高校を辞める事になろうとは、夢にも思っておらず、住職に頂いた 恐れや不安は運命を悪化させるから大丈夫と言い続けなさい と言うメッセージにどれだけ救われたことか。
 あの時のクラスメイトや新米担任が100%許せたかと言ったら、それは嘘になりますが、きっとお咎めなしのあの子達も然るべき時に叱ってもらえていない事に関しては、ある意味この社会の犠牲者なのかもしれないのかなとは思います。
 本人が今どう思っているかはまだ聞けませんが、転校先の先生やバイト先の方々には良くして貰っていたようで、本当に有難いです。
 まだまだ通過点に過ぎませんが、春から大学で、高校でできなかった事も含めて色々な経験をして一回り大きなってくれたら、嬉しいなと思います。改めてありがとうございました」

Yさんは、ちょうど3年前、息子さんがせっかく受かった高校を同級生からいじめを受け、やめざるを得なくなり、ヨガの時間に度々お悩みを聞かせて頂いており、本当に私も心配しておりました。
それで
「息子さんのご卒業の御知らせを頂き、心からお慶び申し上げます。私が御願いしたことが少しでもお役に立てたのでしたら、なお嬉しゅうございます。
>きっとお咎めなしのあの子達も然るべき時に叱ってもらえていない事に関しては、ある意味この社会の犠牲者なのかもしれないのかなとは思います。
これは、全く、貴女のおっしゃる通りだと思いますよ。貴女や、息子さんの方が、何倍も御修行なさって、人間的にも大きくなられたのは間違いない事ですもの。
春から、大学に通われるとのこと、新しい環境が、今度こそ、息子さんにとって、喜びに満ちた場所でありますように心からお祈りしております。合掌
私は、最近の運動不足の罰が当たり、転んだり、不注意からケガをしたり、アザだらけです。(-_-;)整形外科へ行っても「年だから仕方ない」と言われております。
まさに、私こそ「大丈夫、大丈夫」とおまじないのように自分に言って聞かせることが必要のようです。」と、返信しました。

そして、この次の週には最近、いつもグズグズ言っている私の聞き役になって下さっているナオコさんからメールを頂きました。
「ここで・・・2013年11月の標語の一文をそのままお返ししたいと思います。
愛語というのは、あらゆる生きとし生けるものに対して慈しみの心を起こし、愛のこもった言葉を口にするように心がけることです。
徳がある人に対しては誉めて、徳のない人には憐れんで戒めの言葉をかけるべきです。今これを読んで頂いたアナタ!もし今鬱々とした気分でいましたら、ぜひ、鏡のなかのご自分に向って、肯定的な言葉を掛けてあげて下さい。周りが何と言おうと、ご自分が、ご自分の一番のサポーターになってあげて下さい。自分を肯定し、好きになってあげて下さい。自分の心を積極的に明るく保とうとする努力が、アナタの人生を、結果的に明るく幸せにしていくのです。将来に不安、心配、恐れを持つという姿勢は『百害あって一利なし』です。」

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以上の件で、まず初めに思ったことは、人様を心配し、言葉を発することができる立場というのは、よほど、気力も体力も充実していなくてはできないなという事、まだ当時の自分は、このような言葉が書けたり、言えるというのは恵まれた立場だったのだと思い知りました。
2013年といえば、8年前ですから、ちょうど、還暦の頃で、老化現象など、まだまだ感じていなかった時ですから、歳を取るという事がどれだけ気持ちにダメージを与えるか、想像もついてなかった頃でした。歳を重ねるという事は、心身ともに衰えたらもう逆戻りはできず、どこか体を損なえば、回復不能な事態に陥ることなのだと実感しています。ただ、そのように、全てが徐々に衰えていくのは、死ぬ準備をしているわけで、必ずしも悪いことばかりではないようにも感じてはいますが・・・。今の楽しみは、向こうへ逝った、父や、先代住職との再会ですので(笑)
自分で書いた文章とはいえ、久しぶりに読んで、何とかしてあげたいという熱い想いは伝わってきましたので、ウルっと来てしまいました。(-_-;)
さらに、その当時の真摯な、周りの皆様に可能な限り寄り添いたいという想いが、今になって逆に返して頂いていることを痛感し、なんと有難い事なのだろうと思いました。
そこで、ふと頭に浮かんだのが「情けは人の為ならず めぐりめぐって己がため」という言葉でした。
その意味は「情けを他の人のためにかけていると、かけた情けがめぐりめぐって自分に返ってくる。だから、人には無償の情けをかけましょうということ」ですが、
古今亭志ん朝さんの古典落語で「佃島」という落語があります。
「ある人が無償の心、心からの親切心で娘さんを助けたところ、その助けた娘さんから今度は自分自身が偶然に助けられた。」というお話です。

この「情けは人の為ならず」の同じような意味の言葉は、「因果応報」とか「御縁がある」、「善因善果」等があります。ここで、先月のテーマ「縁起の法」とつながってきましたね。ただ、先月は、どちらかというと、「人のせいにする」といったあまり好ましくない縁について述べましたが、同じ縁でも、今月のように、もちろん良い縁も頂けます。

そして、良い縁とは、自分に起きたことの中に、良い縁を見つけ出せるか?気づけるか? せっかく頂いた縁を生かすことができるのか、にもかかっているような気がします。

このように申しますのは、実は、東京で御寺とは全く何の関係も無かった一般人として暮らしていた私が、ここ愛知県で僧侶としての生活を営むことができるようになった経緯に、奇跡としか言いようのないご縁があったからです。
30代半ばから、「このままでは死んでいるのも同然」と表現するしか言いようのない苦しさの中で、七転八倒していた時期に、藁をもつかむ思いで坐禅やヨガを始め、あらゆる本を読み漁っていました。TVもNHK教育テレビでやっている「こころの時代」を欠かさず見ておりました。
平成4年10月4日この番組で沢木老師のお弟子の村上光照師を拝見した時、あまりの爽やかさに衝撃を受け、何度も見返しておりました。村上師はお寺に住まわず伊豆半島下田の山中の庵で坐禅三昧の生活を送っていらっしゃる方です。
翌年、4月14日所用で都内のデパートに出かけた時の事、エレベーターに乗り、壁を背にして立ちました。ふと前を見ますと、目の前に作務衣姿の僧侶の方が立っていました。横顔をそれとなく拝していた時、それが何度も繰り返し録画をみていたあの村上師だという事に気が付きました(!!!)。別の階に降りる予定だったのですが、なぜかふらふらと、老師が降りられた後に続いて降りてしまい、後に続きました。お線香売場で、御線香を選ばれている間、私が買い物をするでもなくモジモジして居たので、店員さんに不審に思われ「何かお探しでしょうか」と聞かれる始末(-_-;)。「実は、あのお坊様に御伺いしたいのです」と言いましたら、店員さんが取り次いでくれました。それでテレビで拝見した旨を御話ししますと、ご住所を教えて下さいました。この時はたまたま先輩のお墓詣りの為に出かけてこられ、帰路御線香を買いに寄られたとのことでした。
帰宅後、早速、お布施と共にお手紙を書いてお送りしました。この時に、私はなぜか、この縁を生かすことができなければ、一生どころか二生も三生も浮かばれない、と直感しました。
それから何度か下田の接心に参加しておりましたが、平成6年11月13日の坐禅会に伺った時、「実はどうしても出家したいと思っています」とお話しました。その時、村上師は「自分は山の中に居て、出家させてあげられる資格がないのでこの方に御願いしなさい」といって紙に「尾張一宮市住吉町常宿寺岡本光文」と書いて下さいました。(いまでもこの紙は大切にとってあります)早速、電話番号を調べお電話しますと「26日に、お袈裟の会で中野の功運寺に行きますからそこにいらっしゃい」と言って下さり、そこで初めて、光文師にお目に掛かることが出来たのでした。
 テレビで見て憧れていた存在に、普段は伊豆の山の中にいる方に、広い東京のデパートのエレベーターの中で、偶然お会いするというのは、恐らく、天文学的な確率であると思います。このようなストーリーは、ドラマで書いてもあまりに現実味に乏しく、脚本には採用されないと思います、それが実際に起き、それ以後も、予想を超えた出来事にいくつも遭遇して、今日に至っておりますので、これが天から頂いたご縁でなくて何でありましょう。
 今まで、頂き続けてきたご縁の大きさに思いを巡らせてみます時、よほど強力な守護霊様がお守り下さっていると確信し、そのことに改めて感謝申し上げ、ぐずぐず言っていては、本当に申し訳なく、罰が当たると、反省する日々です。
ここのところ、意図が通じない人々に対して失望することが多くありましたが、そこから学んだことは、文章等のやり取りでは、お互いの考えを変えることは不可能ということでした。やはり、身を切られるほどの苦しみに直面したり、深い気付き、深い因縁が自分自身にないと人間は変われるものではないというのが正直なところです。
そう思っていたら、ナオコさんから、「あの世のことを理解しようと努力もしない方々にいちいち落胆していたら身が持ちません。人生貴重な残り時間をそんな事で使いたくはないですよね。
災害現場でお医者様がなさるようにそういう方には黒色のトリアージを心の中でそっと渡してあげればいいと思います。」と、私の気持ちをなんとかポジティブにして下さろうとする、思いやりに溢れたご提案を頂きました。ナオコさん、いつも有難う!!!

ただ、一方で、死んだ人間が生き返る!という事も、本当に稀にではありますが実際に起こったことがあります。また、これも私の身にまさに起きたことですが、東京での生活は、死んでいるのも同然でしたから、「死んでも構わない」と思い詰めてこちらに参りました。当時の常宿寺は、天井から白アリが降り、雨の時は、ひどい雨漏りがしましたので、重たい本堂の畳を持ち上げねばなりませんでした。それがわずか7年で冷暖房完備の立派な本堂に改築して頂き、住職にまで就かせて頂くことになりました。まさに黒色から、赤になり、黄色、緑色になるという、奇跡が目の当たり起きたのです。
ですから、皆様にも同じように、いえそれ以上に奇跡的な良いご縁が訪れる可能性があると信じておりますので、真実の世界への目覚めが訪れますよう、心からお祈りしています。

2021年 「3月の標語」

人は種をまけば
必ずその刈り取りもすることになるのだ
すなわち自分の肉にまく者は
肉から滅びを刈り取り
霊にまく者は
霊から永遠のいのちを刈り取るであろう

―――  新約聖書 ガラテヤの信徒への手紙  6章 7節

昨年6月に、お寺のヨガ教室に通って来ていたJさんのご葬儀をお勤めしました。ご主人も一緒にヨガに来ていたのですが、年末に、その残されたJさんのご主人が「なんで彼女がこんなに早く逝かなければならなかったのだろう…。Jさんが病気になったのは、肉親になじられたり、つらく当たり続けられ、それを苦にしていたからと、Jさん本人も思っていた。」というようなことを人づてに聞き、何とも言えない虚しさに襲われました。さらに続けて「因果関係は何とも言えませんが、僕はそう思っています」と付記してあり、夫婦そろってある期間お寺に通って来ていたとはとても思えない言葉を聞かされ、ガックリ。

仏教の代表的な教えは「縁起」だという事は、この標語のページでも何度か取り上げてきました。
即ち縁起とは、他との関係が縁となって生起するということ。全ての現象は、原因や条件が相互に関係しあって成立しているものであって独立自存のものではなく、条件や原因がなくなれば結果も自ずからなくなるということを指します。仏教の根本的教理・基本的教説の1つであり、釈迦の悟りの内容を表明するものです。[Wikipedia]

1月の標語の後半に「本物のスピリチュアリズムは仏教の基本の教義と非常に共通点が多いです。その代表的なものは、因果律を説く点で、所謂「縁起の法」です。」と書きました。つまり、縁起とは因果律の事と言っても良いと思います。
Jさんのご主人が、病気になったのは無慈悲な肉親のせい、と考えるのは一見因果律のように見えるかもしれませんが、本来の因果の法とは、不幸を一方的に他人のせいにしてオシマイと片付くような、そのように単純な一面的なものではありません。

1月の標語でジェームズ・ヴァン・プラグ氏著『人生を、もっと幸せに生きるために』をご紹介しましたが、まさにJさんご夫婦にピッタリの文章を書いて下さっていますので、引用したいと思います。
「第4章 責任のなすりつけ合い」(97ページより)
私はこれまで、自分の境遇を他者のせいにしなければならない人、そしてそうしたがっている人を数多く見てきた。自分の失望感や実現できなかった夢を、他者の責任にするほうがずっと楽だからだ。人は自分が間違った選択をしたことを認めたがらない。このような考え方で人生を歩み続けると、被害者意識という落とし穴に落ちてしまう。被害者意識とは、私が「哀れみパーティー」と呼んでいるもので、多くの人が違和感を持っていないようだ。私たちは基本的に、罰を受けたくない子どものように、悪いことが起こった場合に責任を取りたくないのだ。そのため、自分は境遇の被害者になってしまい、苦境に陥った原因を自分以外のものに求める。」(中略)
(同111ページ)「ソフィーは、正に被害者としての人生を生きたのだった。自分が不幸であることを「他の人」、つまり特定グループの人びとのせいにするのが彼女にとっては楽だったのだ。生前は、気に入らない状況を変えるより、誰かのせいにするほうが簡単だった。このような考え方に陥った彼女は、楽な道を選んだということだ。そして他者に責任をなすりつけるという悪しき習慣が染み付いてしまったのだ。
 私たちは、勇気を出して自分の考え方に責任を負うようにならなければ、この責任のなすりつけ合いから抜け出すことは不可能だ。人生はいつも楽しいというわけではない。それどころか、かなり苦しい人生になることもある。ときには、ひどい選択肢か、それよりもっとひどい選択肢のいずれか一方の選択を迫られる時もあるが、このような選択をしていく中で人は学びながら成長する。どんな結果であっても、自分が生み出したのである。つまり、自分の運命を創り上げるのはあなたしかいないのだ。あなたが人生におけるすべての自分の選択および行動に積極的にかかわっていけば、自信を持てるようになり、怖れることもなくなる。
 私たちはみな、楽な道を選びたがるが、楽をすると自分を成長させ、学び、理解を深めることができなくなる。自分の人生に責任を持つことで、私たちはこの世で心地よく暮らしていくことができる。それはつまり、自分自身、お互い、そして社会全体のとらえ方を、慎重に検討することにほかならない。自分の人生に責任を持つ人には、同じように自分の人生に責任を持つ人びとが集まってくる。
 結局のところ、自分が置かれている状況を決めるのはあなたの考え方なのだ。誰もあなたに考え方を強要することはできない。あなたは自発的に自分なりの考えを持たなければならない。他者の考え方を受け入れるかどうかは、あなたが決めることだ。自分の言動には責任を持たなければならない。あなたの言動は他人の人生にどのような影響を与えるのだろうか?怒りっぽくてなんでも他人のせいにする人は、自分の言動は、自分の感情のあらわれなのだとわかるだろう。不安を感じている人は、自分の心の中だけではなく、他人の心の中にも大きな混乱を引き起こす。」

そして、プラグ氏はカルマ(=業)についても述べています。古来、インド哲学等においても、生きとし生けるものは、死して後、生前の行為つまりカルマ(karman)の結果、次の世に多様な生存となって生まれ変わるとされてきました。そこにおいては、今まで何度も申し上げて参りましたが、限りなく生と死を繰り返す輪廻の生存を苦しみと見、二度と再生を繰り返すことのない解脱(げだつ)を最高の理想としており、仏教もそれを踏襲しております。

「第6章 カルマ」(146ページより)
 過去30年間でカルマの概念は米国の主流文化に浸透した。しかし大半の人は、カルマはある種の罰だと考えているので、正しく理解されているとは言えない。カルマは罰ではなく、ヒンズー教の古い教えが元になった、因果応報と言う概念である。カルマの概念は、ヒンズー教、ジャイナ教、シーク教、仏教、精神主義、その他の多数のニューエイジ哲学など、さまざまな宗教的イデオロギーに含まれている。この概念は、「人は種をまけば必ずその刈り取りもすることになるのだ」(ガラテヤの信徒への手紙 6章 7節)のように聖書にも記載されている。カルマについての説明はそれぞれの宗教の教えによってやや異なるが、根底にある考え方は基本的に同じである。それは行為の原因と結果だと定義されており、つまり自ら選択した行為によって、魂が現世または来世において体験する経験が決まってくるという原理である。
 カルマは常に輪廻という古くからあるもう一つの概念と密接に結びついている。(中略)
 これまで何世紀にもわたって、カルマの宗教的要素が道徳律だと誤解されてきている。実のところ、カルマは道徳とは何のかかわりもなく、因果関係という自然な宇宙の法則にすぎない。簡単に言えば、与えたものが自分に返って来るという事である。何らかの行為をすれば、結果が後に続くということだ。出来事は状況や人によって引き起こされる。(中略)
 カルマについての私の考えには、さまざまな規律が取り入れられているほか、カルマについて霊界から学んだ情報も混ざり合っている。霊界では、カルマは良いか悪いかで判断されることはまったくないようだ。カルマは学びを得て経験を積むための単なる手段であるため、偏りがないのだ。私たちのすべての選択は、愛または恐怖心のいずれかに基づいている。愛とは純粋な高次元のエネルギーで、恐怖は低次元の分断されたエネルギーである。これらはポジティブなエネルギーまたはネガティブなエネルギーとしてよく表現される。
 魂がこの世で人生を過ごす時、多様な教訓をたくさん学ぶ必要がある。体験をあらゆる角度から総合的に理解しなければならない。(中絡)
 カルマの存在を証明することは不可能だが、私たちが選択した行為の結果として物事は起きている。常にカルマを作り出すことで、私たちは将来の結果を変える力を持っているのだ。これまで繰り返し述べてきたが、私たちは自分の行為とその結果に責任を負っているのである。
(153ページ)私たちがこの世に生まれた理由は、魂が理解を深めて高次元の魂に成長することなのだから、教訓は絶対に必要なものなのだ。」

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さて、随分長文の引用になりましたが、それでは、Jさん夫婦はどうすべきだったのでしょうか?また、残されたご主人は未だに、Jさんの死を無慈悲な肉親のせいにして、嘆き続けているようですが、それがスピリチュアル的にどのような意味を持つかは、お分かりいただけると思います。
恐らく、無慈悲な肉親にひどい目にあわされるという被害者の立場に居続け、いまだに恐怖に支配され続けているのでしょう。動機はどうあれ、霊的には低次元のエネルギーに支配されているという状態に変わりありません。そして、そこにおいては、魂の成長は全く望めません。
 私たちは、何度でも、生まれ変わり死に変わりしながら、その都度、解決すべき課題に取り組んでいます。Jさんにとっては、理解の無い無慈悲な両親や姉のいるところに生まれて来たのは、そのような課題を克服するために、敢えて自分でそのような環境を選んで生れてきたのです。それなのに、ただ嘆くだけ、あるいは周りのせいにだけして今生を締めくくってしまいますと、また次の生で同じ課題に取り組む羽目になるような気がします。
「人のせいにする」という種を蒔けば、その結果しか、刈り取ることはできません。

実は私自身も、肉親、特に母親との関係は最悪でした。周りは医学関係者ばかりでしたから、結果的にこのような道に進んだ私だけが家族親戚一同の中でどれだけ異端だったか、お分かり頂けると思います。俗にいう「海より深い母の愛」みたいな情を私は感じずに育ちました。ただし、私も元々読書が大好きで、宗教や精神世界のみならず、社会の事情などにも、何にでも首を突っ込んで理屈を考えるのが大好きでしたから、母親にとっては可愛い娘ではなかったことも事実です。 (-_-;)
生来何のご縁もなかったお寺にたどり着き、さらにここまでくるのには、それこそ死に物狂いでしたが、今までの道を振り返ってみますと、魂の学びのために自分で選んで生れて来た環境なのだという事が今になって納得できます。
数年前に90歳を超した母を見舞った時、母の口から、私に対する肯定的な言葉を聞いた時は、60代半ばまでの人生の中で記憶にない初めての経験だったので、本当にビックリしました。
宗教には全く無理解な母親の立場からすれば、勝手に坊主になどなって、なんて親不孝な娘、と思っていたでしょうから、やはり、長い長い時を経なければ、分からないものだというのが実感です。
恥かき話をあえてお話したのは、程度の差こそあれ、人それぞれに様々な環境にあり、肉親との葛藤など普通にある訳ですから、周囲のせいにして、責任を回避することがどれだけ安易な態度かと、わかって頂きたいと願っての事です。

最後に、付記したいことがあるのですが、やはり、1月の標語の中で、プラグ氏の著書『天国との会話』の言葉「あなたの霊的な認識を活かしてほかの人々を励まし、慰めましょう。人々を高揚させ、啓発し、愛することで、みずからの幻想や批判や誤解に縛られている人々を助けるのです。内なる美しい光に気づく鍵を彼らに与えましょう。」と引用しました。
「人々を励まし、慰めましょう」とありますと、無条件にただ優しく接してもらえることを期待する方がいるのですが、あくまでもプラグ氏のこの言葉は「お互いに魂の成長を目指す」立場にいる、ということが大前提になっています。私の人生に残された時間にも限りがありますので、自助努力もなく、ただ甘やかしてもらいたい、優しくしてもらいたいというのだけの方のお相手はご容赦させて頂きたいと切に願っております。

2021年 「2月の標語」

マインドコントロールとは
操作者からの影響や強制を気づかれないうちに
他者の精神過程や行動 精神状態を操作して
操作者の都合に合わせた
特定の意思決定 行動へと誘導すること

――― フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ここはお寺のHPですから、今まで政治について取り上げることは自重しておりました。しかしながら、最近のメディアの現状を見るにつけ、ただならぬ、心の底からの危機感を覚え、今回はこのテーマで論じる必要を痛感しました。標語に取り上げたマインドコントロールと言いますと、今これを読んで頂いているアナタは何を思い浮かべるでしょうか。
おそらく、現在の日本でマインドコントロールというと、カルト宗教などと連想され「悪」とみなされます。オウム真理教が地下鉄サリン事件を決行したのが1995年(平成7年)3月20日のことですから、もう26年も経ってしまったのですね。当時、オウムの信者となったのがいわゆる学歴的には高い人達が多くみられ、彼らがマインドコントロールされてオウムに走ったというイメージが強く定着しました。
それではマインドコントロールは過去のものになってしまったのでしょうか。いやいや、むしろ最近の方が、それが加速しているように思っております。 なぜかといいますと、実はこのマインドコントロールというテクニックを最もよく使っているのが、MSMと言われる主流メディアに代表されるマスコミだからです。
暴力や恐怖などを使って強制するわけではなく、心理学を応用して人の心を誘導するテクニックを民間活用しているのが、広告や新聞、テレビだったりするのです。 
メディアの「スピンコントロール」(情報操作)を今から80年ほど前にはじめて確立したのは「広告の父」と呼ばれるエドワード・バーネイズです。彼は、フロイトの甥であり、フロイトの精神分析学とギュスターヴ・ル・ボンとウィルフレッド・トロッターの群集心理学に注目し、大衆扇動と広報活動の基礎を築きました。
フロイト派の心理学理論をアメリカに持ち込んで普及させた功労者であり、第二次大戦後の米国内で起きた精神分析ブームの火付け役でもあります。
 彼は医者に「ベーコンは健康にいい」「タバコにはダイエット効果がある」などと言わせて、ベーコンやタバコを宣伝したり、妻の親戚筋である「ニューヨーク・タイムズ」に共産主義の悪口を書かせて、政府の反共キャンペーンを手伝ったりしました。
叔父フロイトの本の英訳をしていたバーネイズは、この理論をマスコミに応用したら、大衆を意のままに操れるのでないかと考え、「プロパガンダ」(世論操作)という本を世に出してその名を轟かせました。
このような経緯からも分かるように、スピンコントロールとは「メディアを介したマインドコントロール」といえます。
さて、前置きが長くなりましたが、私が最も危惧しているのは最近のメディアの動向についてです。
昨年11月3日に第59回アメリカ合衆国大統領選挙が行われました。民主党の大統領候補はジョー・バイデン、副大統領候補はカマラ・ハリスであり、対する共和党の大統領候補は現職ドナルド・トランプ、副大統領候補は現職マイク・ペンスでした。
公にされている得票数は、バイデン: 81,268,867 トランプ: 74,216,747 得票差:7,052,120です。
当然のことながら、私はこの両者とは直接の利害関係は全くありませんので、どちらを強力に推したい事情もなかったのですが、選挙運動の最中から非常な違和感を持っていました。実は、バイデンがテレビやパソコンの画面に出て来ると、直視できないほどのマイナスのエネルギー、ハッキリ言えば「良からぬモノ」を感じるのです。これは私だけが感じているのか気になりましたので、サイキックや他の方々(特に宗教系、スピリチュアル系)の意見を色々調べたところ、やはり、バイデン推しの人は一人もいませんでした。これだけの負のオーラを発するバイデンが、選挙で圧倒的に勝つという予想を、アメリカの世論調査の結果として連日報じていたので、何らかの意図的な背景が強く働いていて、米メディアは何としてもバイデンを勝たせたいのだなと感じておりました。ですから、選挙後、得票数が発表され、バイデンが勝ったことになった時も意外な感じはしませんでした。

ところが、選挙後の昨年末にあのトランプと犬猿の仲のCNNが以下のような記事を出していて、フェイクではないかと疑ってしまいました(笑) https://www.cnn.co.jp/usa/35164488.html
「ワシントン(CNN) 米調査会社ギャラップが12月29日に発表した世論調査結果で、ドナルド・トランプ大統領とミシェル・オバマ前大統領夫人が、今年米国人が最も尊敬する男性と女性に選ばれた。
トランプ氏は、昨年は「最も尊敬する男性」部門でバラク・オバマ前大統領と首位を分け合ったが、今回初めて単独で首位に立ち、昨年まで12年間首位を守ってきたオバマ前大統領の連続記録に終止符を打った。」
トランプ18%、オバマ15%、バイデン6%と言う結果でした。もうすぐ大統領になる筈の人間が、わずか6%の人々にしか尊敬されていないって???この矛盾をどう受け止めれば良いのでしょうか?
また、現在は凍結されてしまったトランプ大統領Twitterのフォロワー数は8700万人、バイデン氏は1060万人と大きな開きがありました。
バイデンを尊敬していると答えた人が、トランプの3分の1、フォロワー数で8分の1、これで大統領選の得票数だけトランプより、突然多くなり、オバマより多い史上最高の8100万票ということが、どのくらい不自然な、疑惑に満ちた数字か…   アナタはどう思われますか。
「FOXニュースの世論調査で共和党員と名乗った回答者の68%が、選挙がトランプから奪われたと考えていると答えた。2020年12月の世論調査では、共和党員の77%が選挙中に広範囲な不正行為が行われたと考えていることが明らかになった。また、無党派層の35%が、広範囲の有権者による不正行為が行われたと考えていると答えている。」(Wikipedia)

以上の点だけから見ても、選挙は盗まれたと主張するトランプ氏側の主張は一理も二理もある様に思います。
https://news.yahoo.co.jp/articles/aacd674b9d71d4ad7facfd1c8e088e092f33622a?page=2
この記事は、たまたま昨日(1/23)アップされたのですが、今までの経緯を簡潔に纏められていますのでお勧めです。

今年1月6日に大統領候補者の正式決定を行う議会が開かれました。この時にトランプの支持者が襲撃したとされた暴動事件が起きましたが、私は、この時のニュース映像を見ていてやはり、非常な違和感を感じました。なんかあまりに動きが緩いので、やらせか?と思いました。
警官たちの本気で警備しようという気が、感じられませんでしたし、わざわざ招き入れているような画像もかなりアップされて実際に見ることが出来ますから、これをトランプ支持者たちが暴動を起こしたと断定している報道にも限りない疑問を持っています。
ただ、私が最も申し上げたい、今回の本題は、この暴動騒ぎに乗じて、TwitterやFacebookが9000万近いフォロワーのあるトランプ大統領のアカウントを凍結し、使えなくしたことです。

私は以前から、新聞はあまりにも偏向し過ぎているので、購読を止めており、最近のテレビも、同じような表面上の事しか報道せず、例えば、依然として、アメリカの政治状況は予断を許さないのに、初めから大統領はバイデンが決まりとの既定路線を崩さず、というかむしろ「トランンプは悪」と言うイメージを作り出そうとする意図を鮮明にしており、問題点を調査して報道するという姿勢が全く見えないので、見ても役に立たないので、ひたすらネットで少しでも真実に近そうな情報を検索しています。
その中で、最近、目立って酷い現象が、TwitterやFacebookからトランプ氏や、弁護士等側近のアカウントを凍結しただけでなく、YouTubeでトランプや不正選挙関連の問題を扱っている動画に対して、検閲が酷くなって、即削除と言う事態が起きていることです。このような言わば言論統制ともいうべき事態が、世界中で起きていることに非常な恐ろしさを感じています。

また、もう一つの恐ろしさは、報道されている内容に何の疑いも持っていない日本人の多いことです。新聞やテレビのニュースを鵜呑みにしている人々を見ていると、太平洋戦争中に、大本営発表を鵜呑みにしていた当時の人々を思い起こします。私は、何人か現地アメリカの事情を直接、聞ける方がいますが、Washington,D.C.以外でも、全米でラジオの緊急放送用の電波テストを行ったり、軍のヘリコプターがバラバラと音を立てて旋回したり、普段は見かけない、軍の車が走っていたりと言う様子を聞いていましたし、実際に送られてきた映像でも見せてもらっていましたので、今回の大統領就任式に対して、今までとは全く違った印象を抱いておりました。そのような中で、毎日のテレビの報道を見ても、あまりに温度差があり過ぎて、テレビの報道は一切見なくなってしまいました。

このような時に、人気Youtuberのナオキマン #naokimanshowさんが、『メディアの闇が作り出す洗脳社会とは?』と言う動画をアップしました! https://www.youtube.com/watch?v=3mcxD4bgc54
「今、世の中にはあふれる種類のエンターテインメント、メディアが広がっていて、自由にその中から選択していると思い込んでいる皆さん、もしかしてそれは全てまやかしで、全て意図的に仕組まれているかもしれません。」から始まり、この中で「メディアを支配した者は思考を支配する」という言葉が紹介されています。
「自由意志、表現の自由、言論の自由、これらは一応保証されているものだと思っているかもしれませんけど、最近の世界の流れを見ると、それどうなのって思う事が結構増えましたよね。」と述べ、動画の最後に、権力とメディアが一緒になって大衆を支配している構造について説明します。即ち、
「第一フィルター:マスメディアの所有者・オーナー、マスメディアを所有する大元です。巨大企業であるかれらは、他の大企業や政府、銀行と密接に繋がっており、最終目的は利益をうむところにあり、批判するジャーナリズムは二の次であり、彼らの利益に繋がることを世間に猛プッシュします。
第二フィルター:広告、消費者から得られる利益だけでは運営していけないので、そのギャップを埋めるのが広告主。広告主は人の集まりにお金を出すので、そのパイプ役であるメディアはお客さんを広告主に売り利益を生みます。じゃあ、どのようにしてメディアを操作するのか。
それが三つ目のフィルターになって来る第三フィルター:エリートの共謀、メディアの情報源。裏では政府、大企業と手を組んでニュースがどのような情報を与えるのか充分に理解しているので、時には、スクープを提供し、公式声明をし、用意した専門家にインタビューさせるなどジャーナリズムの全てのステップに関与しています。この確立した主張に疑問を抱いた、違った視点をもつ独自のジャーナリズムを持ち出したものがいたとしたらその意見は排除されてしまいます。
これが第4のフィルター:利益に繋がらない主張は排除。利益に繋がらない主張はマスメディアの中では排除されてしまいます。皆、共通の考えを持つことを求められてくるそうです。共通の意見を持つには、共通の敵が必要になってきます。
これが最後第5のフィルター:共通の敵を生む。恐怖に満ちた共通の敵が生まれることによって、群衆は一団となり、同じ考えも持つ人々が完成しました、こうして群衆を洗脳していく、これが恐ろしさ。今まさにメディアが分かりやすいように印象操作を行っているのがわかりますよね。
今回の大統領選でトランプ大統領のFacebookのアカウントは無期限凍結、Twitterのアカウントも永久追放、そもそも、彼のTwitterでの発言は、毎回「事実とは異なります」的な注意書きがされていました。これは彼が暴動を誘発させる恐れがあるという理由からなんですけど、とはいえここまで制限するとは、皆さんどう思いますか?純粋に暴力を目的とした首謀者を制限とかなら分かるんですけど、現大統領のアカウントですからね、かなり異常な事態ですよね。
メルケル首相もこれに関しては問題だと、苦言を呈しました。そしてトランプ大統領を弾劾訴追する決議案が提出されたというニュースも流れてきました。何故ここまで一刻も早くトランプを表舞台から消し去りたいのか、それには皆も分かると思いますけど、ある力が働いているからだと思うんですけど、そして今回の大統領選について話したらYouTubeでも排除されることが発表されました。インターネットの普及で個人の研究がしやすくなりましたけど、何時の日かネットメディアも第一フィルターに取り込まれてしまいました。これで真実かどうかをみんなで議論する場が大きなプラットフォームではできなくなってしまいましたね。まさに、フィルター4と5の訴える者は排除され、共通の敵が生み出された瞬間です。間違いなく今いい意味でも悪い意味でも転換期だと思うのでニュースや新聞で見る出来事ではなく、水面下で、本当に裏では何が起きているのか、僕も今回の話題をガッツリYouTubeでやろうと思ったんですけど、残念ながら制限されてしまったのでコメント欄では自由に皆さんのご意見を自由に語って下さい。」と結んでいます。

今回、ビッグテックは総力を挙げてトランプを潰しにかかりました。バイデンの方が自分たちに都合が良かったからです。
このHPでさえいわゆるビッグテック(主にAmazon、アップル、Google、Facebook、マイクロソフトの5社)から提供されている媒体を通して運営出来ているわけですから自己矛盾かもしれませんが、このHPが、もっと世の中に影響力があり、私が有名なYouTuberかなんかだったら、今書いているような記事は「このページは表示できません」と言う表示が現れ、読むことができなくなったり、アカウントごと凍結される運命になるのです。常宿寺が全然有名でないことが幸いしましたね(-_-;)

ただ、ビッグテックが自分たちの利益の為、大統領選挙をコントロールしたとしても、トランプに投票した7400万もの人々が、このまま黙っているとも到底思えません。
2021年の国際的な最大リスク(危険)は、米国46代目の大統領となるジョセフ・バイデン氏だ――。こんな予測を国際的に著名な米国の政治学者イアン・ブレマー氏が(ちなみに彼は民主党支持で、トランプには批判的です)1月冒頭に打ち出しています。同氏が代表を務める国際情勢分析機関「ユーラシア・グループ」が、「2021年のトップリスク」という報告書で発表しています。
ブレマー氏がリスクの2位に挙げているのは、コロナですから、バイデンはこれからの世界にとってコロナより危険因子だというのです。『米次期大統領、世界の最大リスクと認定されてしまう』(古森 義久:産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授)URLが長すぎるので、記事名で検索してみて下さい。

最後に、アメリカ政治に無関心なアナタの為に。アメリカの議会下院では民主党が多数を占めていますが、議会内で、性別の意味を持つ言葉の使用が禁止されているのをご存知でしょうか?牧師としての身分を持つ 民主党のエマニュエル・クリーバー下院議員は、新会期の開会祈祷を率いて、祈祷の最後に「A-men(アーメン)」に「A-women」を付け加えたことで、多くの保守派の反対を呼びました。これは笑い話ではありません。
 民主党のナンシー・ペロシ下院議長が、異なる人々の性別を尊重するため、ジェンダーニュートラルな言葉の使用や、男性、女性、彼、彼女などの性別の意味合いを持つ言葉の使用を禁止するなど、新たな議事規則を導入したのだそうです。つまり、お母さん、おじいさん、男の子と言った言葉を使ってはならないというのです。ここまでくるともはや異常事態ですよね。平等と言うより、本物の全体主義、ファシズムです。だから、半分の国民はその反動としてもトランプ大統領を支持しました。極端な平等主義は逆差別を生みます。トランプの支持者たちはこのような雰囲気に嫌気がさし、疲れてきているのです。
もし、明日から、これらの言葉を使ってはいけないと言われたら、アナタならどう思いますか?他人事だと思っていると、身近な問題になってくるかもしれませんよ。明日は我が身です。
世の中的には、一応、平等でなければならい、と言うのが建前になっていますが、実際は平等でないことは、ご存知の通りです。何故、平等ではないのでしょうか?何故、様々な条件の違いで人は生を受けるのでしょうか?それはその魂それぞれの課題に応じて、重荷を克服しながら魂の成長を遂げるためです。そもそも、魂も成長の度合いによりランクがあるのですから、死後の世界は絶対に平等な世界などではありません。ナザレのイエスもゴータマ・シッダルタも、この世に確かにある時代に生きていた人間でした。彼らが死後赴いた世界に、アナタも行けると思いますか?少なくとも、今の私には絶対ムリ!という事は、間違いありません。このことからも死後の世界が差別の世界だということは容易に理解できるはずです。それぞれのスピリットの成長度合いに応じた世界にいくのです。それに対して「差別だ」などと、抗議するのはお門違いです。
形だけ、言葉を禁止しただけで、平等になったと思うのはあまりにも愚かなことです。これが米国議会で、本当に起きているのですから、もう何をか言わんや、末期症状のように思います。

話を戻します。テレビや新聞で報道していることを、もし、アナタが何の疑いも持たず信じているとするなら、また、「海の向こうの選挙のことなど、自分には関係ない」と思って、無関心を決め込んでいると、その内、わが身に火の粉が降りかかってくる危性険があるのだということに是非気づいて頂きたいと願っています。
就任式の直前に軍事オプションがとられるという大方の予想がありましたが、それが今1月24日の段階では、行われていません。以下の動画や、複数のサイトで、分析がされており、ここら辺が真実なのか?と言う気がしています。
https://www.youtube.com/watch?v=o3CQNqJ6UqY

このまま、バイデン政権が継続していくと、明らかに米国は赤化していき、わが国ももろに影響を受けますので、大変危惧しています。そうでないことを切に祈るしかありません。
ただ、以下のようなことも、あちこちで、以前から言われていますので、期待して待ちたいと思います。
https://note.com/cryptraveler/n/ncb1c9c5fb235

2021年 「1月の標語」

やり残しのある人生を送ると
魂の成長が遅れる 

――― 『人生を、もっと幸せに生きるために』James Van Praagh

昨年最後の12月の標語で、「『あの世』の存在を信じる日本人が全体の40%もいる!」というAさんからのメールで、私がショックを受けたという話から始めました。この標語のページで「死んだら終わりではない」という事を分かって頂きたくて、毎月様々な例を上げながら、くどい位説明してきた私としては、「いつも標語を読んでいる」とAさんが言っていたのに、この程度の受け止めしかできていなかったという事に、今までの自分の努力や労力、時間が無駄になったような気がして、本当にたとえようのない虚しさに襲われました。

もちろん、感想のメールを下さる方々の多くは死後の世界の存在を信じており、亡くなられた方からのメッセージも時々受け取っておられると言って下さる方もいらっしゃいます。
なかでも、ナオコさんは、「今まで標語を読んでいらっしゃって、死んだらそれでおしまいなんてことは絶対にないと理解されている方でしたら、40%!??(*_*; 少ないのに驚きました。とか、少なくてがっかりしました。となるはずですよね?落胆されるのも無理ないと思います。」と、このようにいつも寄り添った暖かいメールを下さるので、どのくらい励まして頂いているか言葉では表現できません。

ですから、今まで、私とのご縁を喜んで下さった多くの方達の為にも、落ち込んではいられない、と何度も自分に言い聞かせたのですが、一昨年大晦日に法幢師小坂機融老師、昨年3月に先代住職と続けて二人の師匠を失い、さすがに喪失感が大きすぎて、文字通り孤児になったような気持ちにも陥りました。
特に、先代住職の介護はほぼ10年で、後半の5年間は介護施設にお世話になっておりましたが、4日に一度頭を剃りに行くだけでも、時間の都合をつけるのが難しい場合もあり、この時間がなかったら、さぞ楽になるだろうと思っておりました。ところが実際には、それが無くなってみると、4日に一度の時間でも、触れ合うことがどのくらいお互いの気持ちを和ませていたのか、泣きながら「有難う」と言って頂けることがどれ程有難いことか、癒して頂いていたのは逆に私だったのだ、ということを思い知らされました。
さらに隠居様の本葬儀が終わった後の脱力感に加えて、自身の加齢に伴う老化現象で、体調的に非常に衰えを感じることも多くなって、かなりpessimisticになっておりました。

実は 最近は、大好きな読書からも、眼の老化現象で、遠ざかっていたのですが、何とかしなくてはと、「溺れる者は藁をもつかむ」と言う位の気持ちで、再び本を色々検索しておりました。そして、たまたまジェームズ・ヴァン・プラグ 氏の『人生を、もっと幸せに生きるために』(河出書房新社刊)を手に取る機会があり、まさに、「目からうろこ」の驚きの体験となりました。
このまま、ただ衰えるままに、惰性で時を過ごしていくのか、という気持ちになりかけていたところに、まさに一発ガーンと喝を入れられたような状態になりました。そして、ここでも、守護霊様の御導きを実感したのです。
この本を手にしたのは11月20日の事でしたが、その日のうちに一気に読み、24日に更新するはずだった12月の標語の原稿を書き直しました。その位、気持ちが変わってしまったのです。最後の方に「Aさんのおかげで、このページが本当の意味でリニューアルできれば、最大の恩人という事になりますね。」と書いたのは、プラグ氏の本にご縁を頂けた、きっかけになってくれたという意味も、実は含んでおりました。

ジェームズ・ヴァン・プラグ氏は1958年8月生れの62歳。世界有数のミディアム(霊能力者)。死後の世界からのメッセージを伝えることができる特別な能力を持っています。その活動は米国内にとどまらず、世界各地で“セッション”、講演等を精力的に行っています。
ニューヨークタイムズ紙のナンバーワンベストセラー作家として知られ、過去 30年間にわたって精神世界の声≠ニして活躍し、この分野でのパイオニアとして世界をリードしています。 自らのメッセージを通じ、物質世界および精神世界の住人たちをインスパイアし続けている方です。
(プラグ氏ウェブサイトhttps://www.vanpraagh.com/より)

彼は上記の著書中、「第12章 やり残しのない人生」 でこのように書いています。
「私自身の人生の経験則は、すべての物事を、この世とあの世を含む広い視野から見ようと努めることだ。私が死んで霊界に帰ったとき、それまで生きた人生を誇らしく思えるのか、それとも後悔の念とチャンスを逃したという気持ちにかられるのか?このような長期的な視点を意識することで、私は日々の生活でどんな選択をしていくか、この世でどんなお返しができるかということに注意を払うようになったのは確かだ。
あなたは今、意識の中で分かれ道に立っている。一つは考え方を変え、この瞬間から自分の人生の主導権を握っていることを自覚し、自分には影響力があるとはっきりと理解するということだ。もう一つは、過去からひきずっている居心地のいい場所にとどまり、自分は境遇の被害者だと考える道である。今が、選択のときだ。充実した人生を生きたかどうかは、この世であなたが自分と人に与えた愛によってのみ評価される。だから、充実した人生を送れなかったというのは、自分と人に対して愛と思いやり、そして許しを与えるチャンスがあったにもかかわらず、あなたが実行しないことを選択したのだと言われても仕方がない。
やり残しのある人生を送ると、魂の成長が遅れる。」

まさに、この文章は、私に対して書かれたのだと確信しました。私は、45歳までの前半生で死ぬほど悩み、全てを捨てて仏道修行に励むべく常宿寺に入れて頂いたのでした。それからはあれよ、あれよという間に、沢山のご寄付を頂いて本堂や庫裡まで新しくして頂き、住職に就き、落慶式のみならず、晋山式までお勤めさせて頂きました。まさにここに至るまでの間は、頂くばかりの23年間でした。ここ、常宿寺に入れて頂いてから、やっと自分が自分らしく生きることが出来るようになったと、感じることができるようになっておりました。それなのに、私がこのまま、無為に過ごしたならば、何もお返しできないまま、人生を終えたなら悔いを残すことになる。だとしたら、ここで自分を甘やかしてはいけないと、気づかせて頂けたのでした。

あまりに驚いたので、彼の著書を調べてみると、20年も前に『もう一度会えたら―最愛の人―天国からのメッセージ(Talking to Heaven)』と『天国との会話―生と死をつなぐ心の旅(Reaching to Heaven)』が出版されていることが分かり、早速取り寄せ、一気に3冊とも読んでしまいました。

プラグ氏の2冊目の著書『天国との会話』の最後は
「あなたの霊的な認識を活かしてほかの人々を励まし、慰めましょう。人々を高揚させ、啓発し、愛することで、みずからの幻想や批判や誤解に縛られている人々を助けるのです。内なる美しい光に気づく鍵を彼らに与えましょう。誰からも見えるように地上の隅々にまであなたの光を輝かせましょう。光を輝かせたとき、あなたは価値ある現世の旅を成し遂げたのです。
やがてあなたはみずからの役目を果たし、神のエネルギーを地上にもたらしたと満足して天国に帰ります。
一己の魂としてあなたがこの世界をより良い場所に変えたのです。」
と言う言葉で締めくくられていて、泣きそうになりました。
(神、愛、光、と言うような言葉に馴染めないという方は、神=仏、愛=慈悲、という風に受け取っても、そう間違わないと思います)

なかには、理解してもらえない人がいたとしても、そんなことでめげてはいけない。理解して頂けた方達の方が多くいらっしゃったのだから、諦めずに、命尽きるまで、この世とあの世の真実を伝えていくこと、神仏の僕として生きることを、目標に生きて行こうと誓いを新たにしました。

ちなみに、プラグ氏の初めての著書『もう一度会えたら(Talking to Heaven)』84ページ「驚愕の事実」には、
自殺だと思われていた青年が、交霊の結果、実は殺されたと分かり、プラグ氏から伝えられた情報を元に、警察が再捜査した結果、真犯人が逮捕され、今服役中というエピソードが載っており、彼のリーディングの正確なことを裏付けています。

今まで、2006年12月、2019年11月と、2回もこのページでとりあげたお釈迦様の御言葉があります。
「わたくしは、幾多の生涯にわたって生死の流れを無益に経めぐって来た、――家屋の作者(つくりて)を探し求めて。あの生涯、この生涯とくりかえすのは苦しいことである。(法句経153)
家屋の作者よ!汝の正体は見られてしまった。汝はもはや家屋を作ることはないであろう。汝の梁はすべて折れ、家の屋根は壊れてしまった。心は(自己を)形成するはたらきを離れ、妄執を滅ぼしつくした。 (ダンマパダ・154)
これは原始仏教における、お釈迦様が悟りを開いた時に発した言葉、勝利宣言です。
この言葉の詳細は、過去のページで、お読み頂きたいと思いますが、要は、お釈迦様にとっては、この世は「苦の娑婆」「苦しみに満ちた世界」ですから、もう一度、この世に生まれることなど、絶対に避けたいことだった、ということなのです。
ただ、お釈迦様のレベルですから、これを最後に、生まれ変わりのサイクルから抜け出し、修行を切り上げることができましたが、我々のような、ほとんど煩悩の塊だらけのような凡人レベルでは、今回で卒業などという、甘い考えは到底無理ですので、何度も何度も繰り返しながら、階段を一段ずつ上るように魂のレベルを上げていくしかないのです。
だから、せめて今生で目標とした、課題だけはクリアしましょう、という事なのです。そうしないと、悔いが残りますよ、とプラグ氏は警告しているのです。
(実は、修行を始めた当初は、身の程知らずにも、卒業をめざしておりましたが、残念ながら、どうやら今生でも失敗、ということになりそうです(-_-;)

スピリチュアリズムと仏教が全く別物と思っている方も多いと思いますが、本物のスピリチュアリズムは仏教の基本の教義と非常に共通点が多いです。その代表的なものは、因果律を説く点で、所謂「縁起の法」です。
来月以降、少しずつ、ご紹介していきたいと思っております。

いつも標語を喜んで読んで下さって、感想をお寄せ下さる方々にプラグ氏の上記の3冊の本を、もらって頂きましたが、やはり最後はナオコさんの感想です。
「この本に出合わせてもらえたことに感謝×感謝です。霊=幽霊ってネガティブなイメージが強すぎて、この年齢になるまで、あまり考えようともしませんでしたが、色々ご紹介いただいた本のおかげで、霊=自分を導いてくれるスピリットとしてのプラスのイメージに変えることができました。本当にありがとうございました。」

こちらこそ、本当に有難うございました。(。-人-。)

魂を向上させていく道は、本来孤独で苦難に満ちた道かもしれませんが、もし、仲間と共に歩んでいくことが出来れば、人生において、これ以上の幸せはありません。常宿寺が、魂の向上を目指す人々の心の拠り所になれますよう努めて参りたいと思っております。


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