今月の標語 2022年

2022年 「10月の標語」

一宮市
一本松刑場

――― YouTuber 集落をあるく

今月は、わが国におけるキリスト教布教について取り上げます。
16世紀(中世末期〜近世)の西欧キリスト教世界においては、教会の体制を革新せねばという宗教改革の嵐が吹いておりました。
この宗教改革に対抗する流れの一環として1534年にイエズス会が設立され、イエズス会はその後、キリスト教の大分裂を防ぐために欧州各国に勢力を伸ばし、さらに非ヨーロッパ諸国への布教活動を行いました。
イエズス会創設者の一人であるフランシスコ=ザビエルは、1549年まず鹿児島に上陸して、日本布教の第一歩を踏み出しました。各地で大名に謁見するなど、日本でのキリスト教布教の基礎を築きましたが、1551年に豊後からインドに向かいました。その後、織田信長が1568年に京都に入ると、ルイス=フロイスらに京都での布教を認め、教会学校(セミナリオ)が作られるようになりました。
九州の大村・有馬・大友の三大戦国大名は、宣教師を通じてポルトガルとの交易である南蛮貿易を有利に行い、鉄砲や火薬などを手に入れるために、キリスト教に改宗し、キリシタン大名となりました。大村純忠は1579年、長崎と茂木をイエズス会に寄進し、有馬氏は浦上村を同じく寄進しました。または、巡察使ヴァリニャーノの勧めにより、1582年に天正少年使節をローマ教皇の元に派遣、使節伊東マンショらは苦難の航海の末、1585年にローマ教皇グレゴリウス13世に謁見しました。
しかし、その後島津氏を討って九州を平定した豊臣秀吉の時代になりますと、秀吉は長崎とその周辺がイエズス会領とされている状況を問題視し、1587年にバテレン(宣教師)追放令を発しました。ここでザビエル以来のキリスト教布教は38年目で大転換し、自由な布教ができないこととなりました。この時秀吉は、長崎・茂木・浦上の地を没収して直轄領としましたが、そのねらいは、長崎における南蛮貿易の利益を秀吉が抑えることにありましたので、ポルトガル船の来航は禁止されませんでしたし、この段階では日本人のキリスト教信仰が禁止されたわけではありませんでした。

 徳川家康は江戸幕府を開くと、秀吉が開始した朱印船貿易をさらに活発に行い、貿易の利益を上げようとしました。またスペイン商船とも交易を認め、旧教国ポルトガル・スペインとの南蛮貿易もさかんになりました。そのため、カトリック宣教師によるキリスト教布教についても黙認され、1609(慶長14)年には全国の信者が75万という最盛期となりました。しかしこの年に新教国のオランダ商船が来航し、平戸に商館を設け、さらにイギリス商館も平戸に開設されると、これら新教国は盛んにポルトガル船・スペイン船に対する海賊行為を働き、一方で幕府に対しカトリック両国が布教を通じて日本を植民地化しようとしていると訴えました。豊臣氏の勢力を倒す大坂の陣を控えていた家康は、キリスト教勢力が豊臣方に付くことを恐れたこともあって、キリスト教禁教に傾き、1612年に幕府領でのキリスト教禁止に踏み切り、さらに翌1613年に全国禁教令を発布して京都や長崎など全国の教会を破壊しました。
 
 大坂城が落城して江戸幕府が完全な統一政権として確立し、1616年に大御所家康が死去すると、幕府はキリスト教禁止と貿易統制を統合する対外政策として鎖国政策に傾いていきました。その象徴が1622年のキリスト教大弾圧(元和の大殉教)でした。(今年は、たまたまこの大殉教からちょうど400年にあたります。)これはイギリス船とオランダ船が共同で拿捕した船から、日本に密航しようとしたポルトガル人宣教師が発見されたことからキリシタン取り締まりが強められ、国内で摘発されたイエズス会・フランシスコ会・ドミニコ会の宣教師18名、修道士3名と日本人信者34名が長崎で処刑されたというものです。
 こうして1630年代には三代将軍家光のもとで次々と鎖国関連法令が発せられ、1639年にポルトガル人の来航禁止となりました。

ここ一宮での尾張藩によるキリシタン弾圧は、まさにこのような時期に起こりました。
寛永8年(1631年)尾張藩によるキリシタン弾圧で57名のキリシタンが捕らえられました。

6月25日にYouTuber の「集落をあるく」さんが、初めての犠牲者を出した一宮市内印田郷裏・常光一本松塚(一宮市緑二丁目12、黒姫龍神社の地)一本松刑場について動画をアップなさり、ここ一宮市内でキリシタンが処刑されたということを初めて知り、本当に驚きました。
https://www.youtube.com/watch?v=DUc2Sk58Z2I&t=49s

この地は、一宮のポール兵右衛門と、その子高木村(現・扶桑町高木)のシモン・コスモ久三郎、一宮の医師コスモ道閑、レオン庄五郎の四人が火あぶりの極刑に処された場所です。

 キリシタン弾圧と言えば、日本史上真っ先に思い浮かべるのは寛永14年(1637)の島原の乱ですから、この乱より6年も前にこの地でキリシタン処刑が行われていたなどとは想像もしませんでした。
島原の乱後、弾圧は益々エスカレートし、寛文元年(1661)、後に濃尾くずれと呼ばれる容赦が無い検挙が始まりました。美濃国可児郡の塩村・帷子村(現・可児市)で24人が捕縛されたことをきっかけに、高木村や五郎丸村(現・犬山市)など丹羽郡を中心に藩内各所で多数の信者が検挙されました。
この弾圧は寛文七年まで続き、入牢者は700名を越え、そのうち半数近くが処刑され、残った者の多くも獄中で亡くなったといいます。
当時の尾張藩の処刑場であった千本松原(名古屋市中区橘1丁目)でも、寛文4年(1665)、200余人のキリシタンが処刑されたといい、さらに、入牢中の多くのキリシタンが尾張領内の村方で処刑され、寛文7年(1668)にはキリシタンは絶滅したという凄まじさでした。

この「集落をあるく」さんがアップなさった「一本松刑場」の動画に私は以下のようなコメントを寄せました。
私:一宮市内のお寺です。今回の動画で尾張藩によるキリシタン弾圧があったことを初めて知りました。痛ましいことですね。このように、地域のことを紹介して頂けると大変為になります。有り難うございます。

集落をあるくさん:コメントありがとうございます!
私も「濃尾崩れ」の事を知る前は、隠れキリシタンなんて長崎の物だろと思っていましたが、尾張や美濃でこんなに大規模な大弾圧があったとは夢にも思いませんでした。学校の歴史でもまったく触れないんですよね。

さらに、この「一宮市 一本松刑場」の動画をご覧になったakira inaさんという方の以下のようなコメントをきっかけにして、ちょっとしたやり取りがありました。

akira inaさん:知ってたら周辺に住まないなぁ。絶対に成仏してないもん。

集落をあるくさん:コメントありがとうございます!
キリシタンですから、天国に召されてると良いのですね。転ばずに(棄教せずに)処刑されたわけですから、せめて神の愛に包まれていて欲しいです。
私:横からスミマセン。一応お寺の僧侶ですが、集落をあるく様のお考えに賛成です。弾圧され処刑されても信仰を捨てなかったということは殉教者ですから、死後の世界については確固たる信念がおありだったと信じます。ご葬儀をさせて頂いて感じることは、生前思い描いていた通りの所に皆様逝かれていると感じますので
天国に逝かれたことでしょう。この映像からはそんなに悪い想念は感じませんよ。
 一番困るのが、死後の世界を信じないで、死んだら無、それっきりとか言っている人たちが大勢いることです。そういう人たちは、死んだことも気づかずウロウロしていますので、処刑された人達よりずっとコワイですよ。

集落をあるくさん:コメントありがとうございます!
横からでも、どんどん参加して行ってくださいね!本物の僧侶の方という事で、何だか身の引き締まる思いです。
突き詰めて考えると、人の魂が肉体に還元できるのかという、大昔から議論されている大テーマに行き着くのでしょうが、今宵はそのような無粋な事は言いますまい。
記録では、召し捕られたキリシタン達は、みな喜んで討たれていった、という事です。神の救済を、心から信じていたのでしょう。とてもやり切れない感じですが、我々にとっても、それが唯一の救いと言えます。

このコメントのやり取りは、翌日、さらに続きました。

私:昨日コメントした一宮市内のお寺ですが、映像で判断しているだけではまずいと思いましたし、キリシタン処刑場ということが衝撃的でしたので、先ほど、ここ一本松塚処刑場跡に行ってまいりました。すぐ近くに大きな墓地があり、よく行く場所ですのですぐわかりました。
想像したよりはこじんまりした場所で、周囲は沢山住宅が建っていましたよ。それにお社も新しく作られていて、恐らく有志の方がきちんと手入れをなさっているご様子でした。
全く、処刑による悪い想念など残っていませんでしたので、迷わず天国に召されていると思いました。
皆さんよく勘違いされますが、亡くなった方は、普通は墓地にはいません。以前『千の風になって』という歌が流行りましたが、あの歌は正しいと思います。
むしろ、お墓の前で、「なんで死んでしまったの」と言って、お墓に縋り付いて泣いている人の想念の方が、その場に残っていますので、そちらの方がコワイです。

これに対してakira inaさんから返信を頂きました。
まさかのダメ押しですか。はいはい、分かりました。

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このakira inaさんからの返信を読んで、思わず笑ってしまいました。
ここのYouTubeはもちろん、2チャンネルとか、ヤフコメとか、お互いに匿名同士ですから、ののしり合いになることも珍しくない中、普通に返信を頂けて、対話ができたことが嬉しかったです。

お互いの考えは、コメントに余すところなく述べられていると思いますので、付け加えることはありませんが、
自分の信じる道の為に、命を懸けるという殉教は、生半可なことでは成就出来ないことです。我が身のお寺での日常生活の中で置き換えて考えてみると、「穴があったら入りたい」気持ちになりました。
 お寺は布教教化の場ですので、本来でしたら、朝から晩まで仏道を探求し、お釈迦様の教えを真摯に実践していかねばならないはず…と、改めて深く反省しております(-_-;)(-_-;)(-_-;)

2022年 「9月の標語」

ボクは30年前に死んだ
海兵隊員だ

――― アンドリュー・ルーカス

8月3日にご自分達のお父様の十三回忌の御法事の為に、ある姉妹がお寺にお参り下さいました。
読経の後、様々なお話をいたしましたが、お父様が今どこにいるか知りたい、というご質問を受けました。
先月の標語でもお話しましたが、やはり遺族としては、当然のことですが、良いところに居てほしい、あるいは成仏していてほしいという願いを持ち、死後は天国とかどこか特定の場所に行ったきりになるというイメージをお持ちのようです。

先月の標語でも取り上げましたが、通常の場合、死の直後は、普通は幽界が主な居場所となりますが、あの世に行ったきりになってしまう訳ではなく、あの世とこの世は非常に重なっている部分が多くて、往来自由なのです。
そして、ある一定期間を過ぎると、多くの場合はまた生まれ変わってきます。実は、私たち自身も何度でも生まれ変わってきており、今生も何度目かの生なのです。

そもそも、過去生って本当にあるの?と思っていらっしゃる方も多いと思いますが、アナタは如何ですか?
それは、一つには、当然のことですが、「過去生の記憶がある」ということ自体が稀なことだからでしょう。
しかも、前生や過去生の話題は耳にしたことはあっても、実際に見ることができるものではないですから、過去生などないと思うのも致し方ないと思います。

2018年9月の標語で、平田篤胤著『勝五郎再生記聞』を紹介しましたが、今回は、それ以外の「生まれ変わり研究」の成果をお知らせしたいと思います。

 中部大学教授でバージニア大学の客員教授でもあり、20年以上にわたって「生まれ変わり」を研究してきた大門正幸さんは、「多くの子供たちが“生まれ変わり”の記憶を語り、それは事実として裏付けられています。実際に聞き取り調査を行い、データ化して研究を行っているバージニア大学にはすでに41か国から2600例以上が集まっています」と言います。  

 日本大学経済学部教授の伊佐敷隆弘さんは、「生まれ変わりの概念」は2600年前のインドに起源があると話します。古代インドで誕生した“生まれ変わり”思想は歳月とともに少しずつ形を変えながら、世界各地に広まっていきました。
「たとえば仏教の『輪廻転生(りんねてんしょう)』は現世で積み重ねた“業”(ごう)に応じて、来世の運命が決定されると説いた教えです。業とは自らの意志で行った行為とその影響力のことを指し、善行を積めば来世での人生は明るく、悪行を重ねれば相応の報いを受けるとされています」
 善行を積むためのモチベーションになる一方、階級による差別の正当化も生みました。
「インドの厳しい階級制度である『カースト制』では、低い階級に生まれたのは、前世での自分の行いが悪かったせいだと説かれていました。このように差別を正当化するための道具として“生まれ変わり”が利用されることもありました」
 ほかにも、古代ギリシャのプラトンやピタゴラスといった哲学者たちも輪廻転生を信じていたという記録があるそうです。

1960年代にイアン・スティーヴンソンが、バージニア大学精神科の主任教授に着任しました。そこで「前世の記憶を持つとされる子どもたち」が世界中に存在することを知ったスティーヴンソンは、インドでの調査を行った結果、短期間のうちに二十数例を発見し、1987年に最初の著書『前世を記憶する子供たち』を出版し反響をよびました。彼は、2002年に研究をリタイアしましたが、ジム・タッカーが研究を引き継いでいます。
現在まで、世界中で聞き取り調査を行っている同大学研究室は、“生まれ変わり”現象の膨大なデータを集めてきました。そして前世の記憶を持つ人たちへの調査は、面接による聞き取りに始まり、そこで明らかになった“前世”にあたる人間が実在するかどうかを死亡証明書や検死記録といった公的な文書から当時の新聞や雑誌の報道、そして日記や手紙など私的な文書をすべて洗い出し検証します。その後、何度も追跡調査を重ねた後、綿密なデータ入力を行います。
また、聞き取りの際には当人だけでなく家族や友人など複数の証言者にコンセンサスを取ることも徹底しているそうです。

以下に、「生まれ変わり」が確実に証明された実例をご紹介します。

一例目は、何年か前にテレビでも紹介され、私もたまたま観ていましたので、ご覧になった方もいらっしゃるかもしれませんね。

@戦争の記憶を持った少年、ジェームス・ライニンガー
ジェームス君はアメリカ生まれです。彼が前世の記憶で悩まされたのは、2歳の頃でした。
彼は毎晩、戦争の夢ばかり見ました。恐怖のあまり大声で叫んだり、苦しそうにベッドの上で暴れたりしました。驚いた両親は心配して、ジェームス君を起こしました。そして、どんな夢を見たのか聞きました。
ジェームス君の話によると、「ナトマ」という船から飛行機に乗って飛び立ち、戦争に向かったそうです。飛行機は、「コルセア」という名称です。主翼の形に特徴があります。そして、「硫黄島」で撃墜されたこと、友達に「ジャック・ラーソン」という人がいたことを語りました。
ジェームスのお父さんは、「ナトマ」という名前の空母があるのかどうか、調べてみました。すると驚いたことに、「ナトマベイ」という空母がありました。ナトマベイは、日本軍との激戦地であった硫黄島での作戦に参加していました。
アメリカ軍は海上と空においては、すでに優勢となっており、硫黄島の占領には、それほど苦戦はしないと考えていましたが、島に上陸してから、日本軍が作った地下の要塞から執拗な攻撃が始まり、アメリカ軍に大打撃を与えたのでした。
ジェームス君は、ナトマベイを飛び立ち、硫黄島に向かいました。ところが、硫黄島から思いがけない激しい砲撃を受けました。
ジェームス君のお父さんは、その戦闘で、ジェームス・ヒューストンという名前のパイロットが戦死したことを知りました。そして、墜落した様子が、ジェームス君が話していたことと一致したのです。
ジェームス・ヒューストンとジャック・ラーソンは、その日、コルセア機に乗り、編隊を組んで飛んでいたのです。ジェームス君の言った通り、ジャック・ラーソンとは、戦友だったのです。
ジェームス君のお父さんは、息子がジェームス・ヒューストンの生まれ変わりと確信せざるを得ませんでした。

A戦死した海兵隊員だった少年、アンドリュー・ルーカス
ある日の事、突然アンドリュー君は「ボクは30年前に死んだ海兵隊員だ」と言い出しました。
驚いた母親のミケーレ・ルーカスさんは、知人に話すとたちまち大きな話題となりました。アメリカのテレビ放送局(WTKR-TV)もこの話題を取り上げ、母親にインタビューをしました。母親は、取材に応じて、「私の息子のアンドリューは、知らない人の人物の記憶を持っているのです」と語りました。
母親の話によると、アンドリュー君は、経験したこともない戦争に関する知識も豊富にあり、またアンドリュー君が言う人物が住んでいた場所などの記憶を持っていたのでした。
早速、TV番組のプロデューサーは調査を開始しました。その結果、驚いたことにアンドリュー君の証言したことが、事実だとわかったのです。戦死した海兵隊員は、ジョージア州の出身で名前が、ヴァル・ルイス軍曹であることがわかりました。
彼は、アメリカ海兵隊の第2海兵師団、第8軍海兵連隊の本部が置かれたレバノンのベイルートに派遣され、1983年10月で起きた「ベイルート・アメリカ海兵隊兵舎爆破事件」で犠牲となりました。
この事件は、レバノンの内戦中にベイルートにあるアメリカ海兵隊の兵舎が自爆テロに襲われた事件です。241人が死亡、60人が重軽傷を負いました。
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過去生の著名な例を挙げましたが、実は皆様それぞれにもちろん過去生があるわけで、そういえば…と思い当る節がある方もいらっしゃるのではないでしょうか?

私自身の場合ですと、やはり不思議な体験があります。私は秋田県大館市出身の父と神戸市出身の母の間に、東京で生まれ育ち、45歳で当地に来るまで、愛知県には全く縁もゆかりもありませんでした。一宮という名前を初めて聞いたのは中学の地理の時間で「繊維の街」と先生がおっしゃった言葉がそのまま耳に残っていました。実は後になっても、一年間の地理の授業で習ったことの中で思い出せるのは「一宮」という地名だけでした。(-_-;)
それからほぼ30年後に本当に不思議なご縁が重なって、この地に参りました。車でアチコチ買い物に行くようになり、今伊勢町酒見神社のあたりに行きますとなぜかいわゆる既視感があり、とても懐かしい心持がしました。平成18年に本堂を改築していただきました。3代目住職の玄光様は先代のお師匠様でしたが、その前はほぼ無住の時代もあり、完全に途切れておりましたので、お名前だけお位牌に残されていた初代観洲様については、司法書士さんに調べて頂きました。それで判明したことが、なんとお生まれが中嶋郡本神戸村、現在の今伊勢町だったのです。その他にも、村の長老の方に色々伺ったことなどから、私は恐らく初代様の生まれ変わりに違いないと、ほぼ確信に近いものを感じています。

実は、私が物心ついた頃から、父は宗教に携わる人々、例えばお寺の住職とかキリスト教の神父様とかが、何か事件を起こすたびに、私にそのような人々の悪口を言っておりました。大館市にある先祖代々の菩提寺は、たまたま曹洞宗のお寺でしたが、そのお寺とも折り合いが悪く、いつも悪口を言っていました。元々宗教的なものを信じず、どちらか言うと毛嫌いしていました。後々父自身が言っていたことには、私が宗教の方へ行く「嫌な」予感が、私が生まれ育った幼少の頃からしていたのだそうです。(笑)今思い出しても本当に実の父親だからこそ、当たってしまったのでしょうね。

ここまで読んで頂いたアナタも、過去生の記憶を辿れることはありますでしょうか。もし、全く思い出せないという場合でも、過去生リーディングをしてみるとよみがえるかもしれませんね。
過去生リーディングをしてみると、
1,自分の目の前に起きている問題の原因が明らかになる 2,自分の人生において重要な関係にある人との魂のつながりがわかる 3,魂が求めている生き方、人生の目的に気づく 4,自分の可能性に気づく 5,原因不明のトラウマ、恐怖症などの原因がわかる 6,体の不調の原因を知ることができる 等々
現在の自分を見つめ直し、生かされている意味を悟る良い手段になると思いますので、ぜひおススメしたいと思います。

過去生リーディングのやり方は、ネット等で色々出ておりますので、御自分に合いそうなものを調べてみて下さい。

2022年 「8月の標語」

Do not stand
at my grave and weep
I am not there
I do not sleep

――― Mary Elizabeth Frye

7月8日午前11時25分頃、安部元総理が選挙活動中に銃撃を受け、心肺停止状態であるという速報が流れました。正午に居間に降りてきて、テレビをつけ、このニュースが目に飛び込んで来た時の衝撃 !!!!
普段、World Newsを見ていますので、アメリカなどでは銃撃事件など日常茶飯事で、死傷者も多く出ますが、それは銃規制が緩い国だから…と内心「アメリカは何と野蛮な国なのだろう」と常々思っておりました。
アメリカCNNは、「世界でも最も厳しい銃規制が敷かれる日本では、銃犯罪率も世界最低水準であり、安倍氏の銃撃事件は社会を驚愕させた」、「昨年、銃による日本の死者数は『1人』。銃関連の事件は10件、うち8件は“ヤクザ”に関連するものだ。2018年の日本の銃による死者数は9人、米国は3万9740人だった。日本で販売が認められているのは散弾銃、空気銃。拳銃の販売は禁止されている」と報じています。
まさか銃などめったに見ることもない我が国でこのような事件が起こるとは、世界から見た場合でも想像を絶する事態だったようです。

奈良県在住山上徹也(やまがみてつや)容疑者41歳が、手製の散弾銃のようなもので、奈良市で選挙運動の演説中に安部氏の背後から発砲しました。「安倍晋三元首相の政治信条に対する恨みではない」、「母親が統一教会にのめり込み、多額の寄付をする等して家庭がめちゃくちゃになった」と言う趣旨の話をしているようです。
安倍元首相が統一教会と近しい関係にあると思い込んでいた事が凶行の原因になっているようで、統一教会に対するやり場のない怒りを持っていた事が分かります。
事件の動機の真偽については未だに不明ですが、安倍元首相の死去を受け追悼メッセージが世界中から殺到、英国エリザベス女王が天皇陛下に安倍元首相へのお悔やみのメッセージを送られるなど、安倍元首相は世界中から評価された真のリーダーだったことが分かりました。

今まで皆様にスピリチュアルの意義を説いて来た身と致しましては、今回の事件について、スピリチュアル的な意味を推し測ってみなくてはならないと思いました。
結論を先に申しては何ですが、今まで当ウェブサイトで様々に説いてきた、スピリチュアルや仏教の教えに照らし合わせてみれば、実は暗殺という亡くなり方に対しても、起こった事態は衝撃的ですが、全く予期せぬ出来事でもなく、理不尽なものでもない、ということになってしまいます。
私たちはこの世に生まれてくるときに、おおよその計画を立て、修行の課題を自分自身で決めてきています。そのため突然と捉えられる「死」も実は初めから定められた計画であり、今生での魂の修業の時間がひとまず終わったということになります。
「殺される」というととても不吉なものに考えますが、スピリチュアル的にはこの人生の終幕もあらかじめ決められていたこと。因果応報という言葉通り、宿世からの因果の通りにことが運ばれていったということで、突然に暗殺されることによって安部さんご自身は宿世の因縁を解消したことになります。

ただ、あまりに突然の事故や事件で亡くなってしまった場合、魂が自分の肉体が滅びてしまったことに本人は気が付かないことがあります。病気などで、あらかじめ「死」ということを意識して、心の準備ができていて亡くなった場合と違って突然の死の訪れには魂もやはり困惑します。私は、何度も何度もテレビで流される、銃撃されて仰向けに倒れている安部さんの画像を観ていて、この時、安部さん御自身は死んだことに気づいていないと思いました。
銃撃の瞬間に、体が崩れ落ち、安部さんが急いで体を起こそうとした瞬間に、魂は肉体から分離し、ご自分の体を上から眺め、戸惑っている状態にお見受けしました。
「自分はここに居るのに??? あれ?もしかしてあの体が仰向けに倒れているのは???」皆さんが駆け寄って心臓マッサージを懸命にしていたり、大声で呼びかけたりしているのを、不思議な感覚で見つめていられたことと思います。

その後、ご遺体は東京のご自宅に戻り、芝の増上寺(徳川家の菩提寺)で11日にお通夜、12日にご葬儀が営まれました。増上寺は大変立派なお寺です。非常に沢山の方がお焼香に並ばれ、あそこまで大掛かりにご葬儀をお勤めすれば、さすがの安部さんもそれをご覧になって、ご自分の「死」を自覚せざるを得なかったと思います。

通常、魂は、自分のためにおこなわれる葬儀や初七日などの供養を認識することなどによって、死後数日以内で自らの死を受け入れることができます。その後は、普通は幽界が主な居場所となりますが、皆様が恐らく勘違いなさっているのは、あの世に行くと向こうへ行ったきりになってしまうと思っていらっしゃることです。実は、あの世とこの世は非常に重なっている部分が多くて、往来自由なのです。
ご葬儀ご法事などで、御本人がその場にいて、皆さんが集ってお参りして下さっていることを喜んでいる、などということは普通にあるのですが、そのことをご遺族にお伝えすると、ほとんどの方は、「えっ、それでは成仏していないのですか?」と驚かれるのですが、そうではなくて、いつでもどこでも居ることは可能なのです。
当ウェブサイトでご紹介した『新樹の通信』や『霊界からの通信』は、霊界の住人になった方たちからのメッセージでしたが、若くして亡くなった新樹さんにしても普通にご両親の生活の場に来てお話していたことですので、往来自由ということはご理解頂けると思います。

実は、一番困る事は、突然亡くなった人に限らず、ご本人が自分の死をいつまで経っても認識することができない場合があることです。亡くなるときにこの世に恨みや執着が強く残っているときなどは、自分の死を認めることができずにこの世をさまよい続けることにもなります。地縛霊となってしまったような魂は、自分と波長の合う人や同情してくれる人に憑依したりすることで様々な霊障を起こしてしまうこともあります。
ですから、突然亡くなった人の魂にとって最も大切なことは「自分の死」をしっかりと認識することです。
亡くなった方は自分の死を「通夜」「葬儀」「法要」などの一連の儀式によって認識しやすくなるといわれていますから、残された人々が、このような供養をしっかりと行うことも大切と思います。
さらに、亡くなった人のために「感謝」の気持ちを込めてあなたの持つプラスのエネルギーを送り続けてあげることも同じように大切です。「何故亡くなってしまったの」、と泣くことより、今生で会うことのできた縁に「有り難う、アナタのおかげで自分も幸せだったよ」、という気持ちを届けることの方が、亡くなった方もどれだけ嬉しいことか・・・

そして最も大事なことは、肉体が滅びてしまう「死」という現象に対して、常日頃からしっかりと学び、理解していることで、自らの死を容易に受け止めることができるのです。ですから、今の内から、死後の世界について充分に学び、研究を重ねておくことは、非常に有意義なことです。このウェブサイトを普段から、よく読んでくださっているアナタはもうしっかり、予習ができていますから、安心ですね(笑)

「死」は現世で多くの試練に耐え、現世での修業をとりあえず一応終えた魂が霊界へ導かれるためには必要な出来事で、それが突然の死であってもその魂は現世での修業を無事に終えたといえます。たとえ肉体が滅びたとしても、魂は永遠に続いていきますので、今回の「死」はあくまでも次のステップへ向かうためのくぐり抜ける一つの門にしかすぎません。

今回の安部さんのご葬儀のニュースを観ていて、非常に気になった点がありました。それは多くの方が安部さんに「安らかにお眠り下さい」という言葉を掛けていたことです。
そこで今月の標語です。
Do not stand at my grave and weep. I am not there. I do not sleep.
I am a thousand winds that blow, I am the diamond glints on snow,
I am the sun on ripened grain, I am the gentle autumn rain.
When you awaken in the morning's hush, I am the swift uplifting rush, Of quiet birds in circled flight.
I am the soft stars that shine at night. Do not stand at my grave and cry, I am not there. I did not die.

和訳にも様々なバージョンがあります。
「私のお墓に佇み泣かないでください。私はそこにはいません、私は眠っていません。
私はふきわたる千の風。私は雪上のダイヤモンドのきらめき。私は豊穣の穀物にそそぐ陽の光。私はおだやかな秋の雨。
あなたが朝の静けさの中で目覚めるとき、私は翔け昇る上昇気流となって、弧を描いて飛ぶ静かな鳥たちとともにいます。
私は夜に輝くやさしい星々、私のお墓に佇み嘆かないで下さい。私はそこにはいません。私は死んでなどいないのです。」

2006年(平成18年)秋川雅史さんの歌声で有名になった『千の風になって』のルーツで、アメリカの詩「Do not stand at my grave and weep」の一節です。
https://www.youtube.com/watch?v=BM8TQH-zDbQ

個人的な感想ですが、私は『千の風』よりこちらの曲の方が好きで、できれば、自分が死ぬときにこの曲を聴きながら旅立ちたいと願っています。
死後の世界を、永遠に安らかに眠ることができる楽ちんな世界と想像している方が多いようですが、僧侶の立場から言わせて頂くと、「そうは問屋が卸さない」ということです。
私たちは霊的に成長することを目的としてこの世に生まれてきており、霊的な成長は永遠の課題なのです。
どのような人間も内部に宿る神性を開発し、完全であるようにたゆまず努力し続けることが人間として最高の理想ですので、何度も生まれ変わり死に変わりしながら修行を続けていきます。肉体を手放したからと言って一休みできると思うのは、甘い幻想です。

菅義偉前首相は13日夜のBSフジの番組に出演し、搬送先の奈良県立医大病院に駆け付けた際の心境を振り返りました。
安倍さんが胸を撃たれたとの情報が早い段階でもたらされていたことから「万が一のことを考えて、同じ空気を吸いたかった」と同病院に向かった理由を明かしました。さらに「寂しがり屋でもあったので、そばにいてやりたいという感じだった」とも吐露しました。
 私は、仕事柄、訃報に接した時の皆様の言葉を聞く機会は多いですが、これほど、気持ちのこもった言葉はそうそう聞けるものではありません。
やはり、安倍内閣の時、長い間官房長官いわゆる女房役を勤めた方ならではのお言葉だと思いました。安倍さんもご自分が総理を退いた後、菅さんについて「(ポスト安倍の)有力な候補者の一人であることは間違いない」と指摘した上で「ただ、菅総理には菅官房長官がいないという問題がありますが」とも付け加えられ、それほど官房長官としての力量を評価していたものと思いました。
さらに菅さんは同番組で安倍さんと出会った当時やその人柄を振り返り、「私にとっては非常に新鮮な人だった。確かな国家観を示し、思いやりがあった。宰相としてすべて兼ね備えた政治家だと思った」と述べました。
お互いの立場と人柄に対してのリスペクトが感じられますね。

また、この場で何度もお話していますが、この世は「苦の娑婆」ですから、とりあえず今回はこの世を卒業して、素晴らしい世界に旅立たれたのですから、喜んであげた方が良いのかもしれません。安部さんは日本の国のみならず、世界の国々の為に、骨を折られてこられましたから、行く先は保証されているようなものです。

さらに、恐らく安部さんは何度生まれ変わっても、霊格として、国家や世界という大きなレベルで役に立っていくようなそんな存在であり続ける方だと確信しています。ですから「安らかにお眠り下さい」なんて言わないで下さいね。あの世で寝たきりなんてありえませんから(笑)

2022年 「7月の標語」

愛別離苦

――― 南伝大蔵経, 大犍度

仏教においては 根本的な苦を生・老・病・死(しょう・ろう・びょう・し)の四苦とし、
愛別離苦(あいべつりく:愛する者と生別・死別する苦しみ)
怨憎会苦(おんぞうえく:怨み憎んでいる者に会う苦しみ)
求不得苦(ぐふとっく:求める物が思うように得られない苦しみ)
五蘊盛苦(ごうんじょうく: 五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならない苦しみ)
上記の四つの苦を合わせて八苦と呼びます。

先日、以前写経会に参加なさっていたIさんから、久しぶりに突然お電話を頂きました。ご無沙汰しておりました間のご事情を伺っている時に、ずっと泣いていらっしゃったので、胸が締め付けられる思いでした。
 ご主人が64歳で、その後30歳で御次男が、亡くなられ、今、45歳のご長男が重い病気に罹ってしまい、御長男まで逝かれては「一人になってしまう」とずっと泣きながらおっしゃっているのです。
今、これを読んで下さっている方も、それはお気の毒に…とほとんどの方が思っていらっしゃることと思いますが、ずっとお電話で、話を聞いていた私は、Iさんに全く別のことをお話しました。

「私は平成17年に住職になって今日までの17年の間に、85人の方のご葬儀をお勤め致しました。最高齢は103歳でしたが、最年少は生後3日の赤ちゃんでした。
 今までこれだけの人々を送ってきて、ご葬儀を通して感じたことは、「死ぬ」ということは必ずしも悪いことではなく、悲しいだけのことではない、ということです。特に闘病生活が長期間に及び、苦しんだ方などは、死後に解放感に満ちて、喜んでいるのが分かります。遺族からしてみたらご遺体が荼毘に付され、遺灰になるのを見るということは、恐怖に満ちた体験だということは、よくわかるのですが、亡くなった方というのは例外なく、残された人を心配し、必死で何らかのメッセージを伝えようとしてきます。余程、特殊な霊能がないとメッセージを受け取れないと思いがちですが、そんなことはありません。
 いつもこの標語にご登場いただくNさんは8年前にお父様を亡くされ、その後、続けて肉親を二人送り、いずれも私がご葬儀をお勤めさせて頂きました。ご葬儀が続いたことで、沢山の死後に関する本を差し上げて読んで頂きました。そのおかげでしょうか、送った肉親の存在を傍で感じ、メッセージを受け取れるようになりました。
人が亡くなるということは、目に見える存在としてはいなくなっても、決して独りぼっちになるということではありません。むしろ、先に旅立った方は、残った方達を心配して、見守っていることの方が多いのです。
 Nさんはメッセージを受け取れることで、「自分が死んで、先に逝った方々と再会できることを楽しみにしている。いずれ向こうへ行くまで残された時間の方が少ないのだから、楽しまなければ…、嘆いてばかりではモッタイナイ」と、非常に前向きに日々を過ごしていらっしゃいます。」
と、このようなことをIさんにお話しさせて頂きました。
 
仏教説話に以下のような話があります。
「あるとき、幼い男の子を亡くしたばかりのキサー・ゴータミーという名の女性が、遺体を抱えたまま、「子供に薬を下さい、薬を下さい」 と、狂乱したように町中を歩き回っておりました。ゴータミーは、たまたま舎衛国に来ておられた尊者の噂を聞きつけたのでしょうか、お釈迦様のもとに行き、同じように薬を求めました。
 その時、お釈迦様はこんな風に答えられたといいます。
 「よろしい、ケシの粒を持ってきなさい。ただし未だかつて死人を出したことのない家からね」。
 これを聞いたゴータミーはお釈迦様がケシの粒から子供を生き返らせる薬を作ってくれると思ったのでしょうか、あちこち探し回ったけれども、ついにこれを得ることが出来ず、(つまり死人を出したことのない家などない、ということに気づき)人生の無常ということを知り、出家して後に悟りを得たのでした。」

「5月の標語」で「酒鬼薔薇聖斗事件」の被害者山下彩花さんのお母様について取り上げました。この事件の犯人少年Aの母親が書いた『「少年A」この子を生んで……』が出版されています。少年Aの両親が逮捕から初めて面会した時、「誰が何と言おうと、Aはお父さんとお母さんの子供やから、家族5人で頑張って行こうな」と、父が声をかけたそのとき、Aは2人に向かい「帰れ、ブタ野郎」と怒鳴り、すごい形相で2人を睨んだそうです。著書の中では母親は、息子には、生きる資格など到底ありません。もし、逆に私の子供たちがあのような行為で傷つけられ、命を奪われたら、私はその犯人を殺してやりたい。償われるより、死んでくれた方がマシ、と思うはずです。きっと被害者のご家族は、私たちが存在していること自体、嫌悪されているのではないでしょうか。と記しているそうです。
ここまで極端な話はそうありませんが,親子関係にも様々あり、先立たれたことを嘆き悲しむほどの親子関係ではない場合、いえむしろいなくなってくれたことに安堵するくらいの親子関係も、現実に存在するのです。まさにこれが「怨憎会苦」の典型です。

仏教ではこの世を「苦の娑婆」と言い、修行の為に敢えて苦しみに会う、という捉え方をします。ですから長生きなど手放しで「めでたい」といえることなのか疑問を持っています。先代住職は90歳から96歳までほぼ全介護で、頭だけ最後までしっかりしていましたから、このような状態になったことを嘆き悲しみ、見ていてこちらもつらく、本当に気の毒でした。長生きすればするほど、まだまだ「修行が足りない」といわれているようなものなのでは、と思っています。
ご家族二人を送り、今三人目を送ろうとしているIさんが、あれほど嘆かれるというのは今まで、よほど幸せで、恵まれた人間関係だったのだと思います。あまりにもお互いに愛おしいと、そこには別れの「苦」が待っているのです。
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「愛別離苦」を乗り越えるため、ネットではどんなことを提案しているか検索してみましたところ、ユーモア溢れる、「ウエカラミカエルのメッセージ」を発見しました。
https://ameblo.jp/angelica825/entry-12406663849.html
要約をご紹介しますので、興味のある方は、ぜひ覗いてみてください。
「苦しみ」に対して、見方を変える4つのメッセージを紹介しています。

@『現実を生きること』
どれだけ嘆いても、月は昇るし朝はくる。つまり 時間はたつ。
どれだけ嘆いても、変わらないのなら 腹をくくって 現実を生きていきましょう。
「別れ」のつらさを覚えた、そのお相手と出会ったのは、絶望しながら生きるため、嘆き悲しむために出会ったわけではありません。その人との出会いや思い出を、人生の宝物にしていくしかないのです。

A『感情に支配されないこと』
「愛別離苦」の経験は ネガティブな激情をうみやすい。
喜怒哀楽が激しくなったり、無気力になったり。 感情にはいろんな味わいがあります。
甘いばっかりでも苦いばっかりでも、ひとつの感情に 傾いてたら 人生そのものの バランスが悪くなります。
酸いも甘いも 辛味も旨味も 人生を味わって 生きていきましょう。
ツラい経験を、栄養にするのも 毒にするのも 心ひとつでしょう。

B『卒業』
「愛別離苦」は、いわば業を卒するということ。「別れ」とは、ある意味卒業と同じこと。
いったん終わる。そしてまた 違うステージが 始まるということです。
思い出に浸るのはよしとしても、いつまでも前のステージにしがみついていていいことはありません。
別れたら別れたなりに、壊れたら壊れたなりに、なくしたらなくしたなりに、また、始まるのです。
ひとつの終わりを受け入れることが 終わった人や物事への感謝であり、新しい始まりへの祝福です。

予期せぬ中途解約やら強制終了もあるかもしれませんが、それは大きな宇宙の流れで起こったこと。
「別れ」に納得いかない場合は、裁判やら、法的手続きやら、すがりつくやら、泣きわめくやら、思いつくこと全部して、ご自身が納得するまで闘ってもいいと思ますが、どうしても受け入れていくしかない場合は…卒業しましょう。業を卒したら、新しい鐘の音が鳴りますから、自分の人生 信じていきましょう。

Cそれで、肝心かなめの 最後のメッセージは『別離はないことを知る』です。
これが一番にお伝えしたいことです。
「愛別離苦」なんて本当はないのです。離婚や別れ、死や病、災害や事件、事故、命や人間関係がどんな形で終わろうと、壊れようと、縁のエネルギーは広大無限にずっとずっと続くのです。
この世の終わりが すべての終わりではありません。別れてもう二度とは会えない相手であっても、貴女のエネルギーがお相手を呼べば、いつでもどこでも、いつまでも、貴方の心の中でお会いできます。

愛のエネルギーは 軽やかで次元を越えます。未練やら執着のネガティブなエネルギーは、重くて冷たくて 次元は越えられませんけど、愛のエネルギーは祝福のエネルギーそのもの、自由で軽やかで、安らぎと喜びに満ちてあるものですから、愛に別れも終わりもないのです。愛に別れ 離別 苦しみ はない。
これが 「愛別離苦」の答えです。
もし、「別れ」に苦しむ時があったら、心の片隅で思い出して下さい。
心配しないでください。貴女の周りには、貴女を応援する愛のエネルギーであふれています。
貴女を愛してくれていたあの時のあの人、今は亡き人や、飼ってた犬や猫、鳥、ハムスター、金魚。
大事にしていた万年筆や 叶えられなかった夢も 貴女を応援しているのです。貴女は宇宙に愛されている人。
このブログを 今、こうして 読んでくれたことも ご縁あってのこと。
長い話によく付きあってくださって有り難う。ブログ見て下さる方に感謝です。
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ウエカラミカエルさんがおっしゃっていることが、私がIさんに申しあげたことと同じような最後になっていたので、うれしく思いました。
先月の標語に「最も美しいモノの一つに「お互いを思いやる愛」があると思いますが、私からはもちろんですが、猫達からもいつももらっています。時には、人間同士を超えた情愛をやりとりすることができます。悲しいことに私は今まで、ずいぶん犬や猫たちを看取ってきましたが、なぜか、すべて私の手の中で逝ってくれました。まるで私がそばに来るのを待っていたかのような状況でした。」と書きました。
現在一緒に暮らしている5匹の子たちも必ず看取らなければならない時が来ると覚悟していますが、分かれはひと時のこと、それは永遠の別れではなく、また別次元で会える時が来ると固く信じています。愛は次元を超越して存在するのですから・・・(*^▽^*)

2022年 「6月の標語」

人生で
最も美しいものは
目で見るのではなく
心で感じるものだから

―――  Denzel Washington

先月の標語「かんじんなことは 目に見えないんだよ」を書いている最中に、以下のようなデンゼル・ワシントンの言葉に出会いました。
“Why do we close our eyes when we pray, cry, kiss or dream?
Because the most beautiful things in life are not seen but felt by the heart. “ — Denzel Washington
「私たちは、お祈りしたり、泣いたり、キスをしたり、夢を見たりする時、なぜ目を閉じるのでしょう?
それは、人生で最も美しいものは、目で見るのではなく、心で感じるものだからなのです。」
(デンゼル・ワシントン(英: Denzel Washington Jr. 1954年12月28日 - )は、アメリカ合衆国出身の俳優、映画監督、映画プロデューサーです。

ヘレン・ケラーも同様のことを言っています。
「世界で最も素晴らしく、最も美しいものは、目で見たり手で触れたりすることはできません。
それは、心で感じなければならないのです。」
視覚と聴覚に重度の障害をもっていたヘレン・ケラーの言葉ですから、本当に心で味わうべき言葉だと思います。
彼女の感受性がどれほど研ぎ澄まされていたか、想像するだけで心が震えます。
私たちは、目に見える、触れることができる「もの」に捉われがちです。先月の標語で山下彩花さんのお母さんが「目に見えないものを感じていない」(例えば亡くなった娘の彩花さんからのメッセージ)ようでしたので、それについて、本当に残念な気持ちでいっぱいになりました。

2020年「2月の標語」でも、ヘレン・ケラーの言葉を取り上げました。
「死は一つの部屋から別の部屋に移るようなものです。でも私にとっては違いがあるのをご存じでしょう。
それは そちら側の部屋では、私は見えるようになるのです。」
 この言葉を標語で取り上げた時に、私が6年間通学した学習院女子部の最寄りのバス停の前に東京ヘレン・ケラー協会があったこと、通学の往復時にこの協会に通う盲聾の方達と接する機会が多くあり、随分色々なことを教えて頂いたことを書きました。
さらに、その当時の印象として、確かに目や耳が不自由という事は、一般的にはハンデなのですが、この方たちには、多分我々いわゆる肉体的には見えている人間には見えないことが見えているのではないか?あるいは聞こえないことが聞こえているのでは?という事を強く感じたことも書きました。
ですから、ヘレン・ケラーにとって死後の世界は、私たちにとってよりも、もっと現実的に感じ取り、理解していた事柄だったと思います。
ヘレン・ケラーのエピソードを読むと、物質的に物が見えたり、聞こえたりということは、場合によっては物事の本質を見抜くための障害になっている場合もあるのでは、という気さえしてきます。実際の物が見えることによって、表面的な印象に左右されて、逆に事態を見誤ることもありうると思うのです。

それでは物事の本質を心で感じ取るために、私たちはどうすればよいのでしょう?
「本当に大切なものは目に見えない 生きていくための直観力を磨くには」と題して、
『日間賀島たこちゃんブログ』さんが、興味深い記事を書いていましたので、ご紹介したいと思います。
https://www.xn--28jxa8v9epesd.com/my-life-29/

以下、大事な点と思われる部分を勝手に抜粋してみました。
1,今からの時代は、本当に大切なものを自分で見分ける目と、目に見えないものを感じる力が、必要になってくる気がします。そのための直観力を磨くためには、「自分の内なる声」に耳を傾ける必要があります。
最近のテレビはどこまで本当のことを言っているのか、疑わしくなってしまったので、テレビは観なくなりました。
2,人間は本来、大きな偉大なエネルギーの一部。それを、神という人もいれば、宇宙エネルギーという人もいる。そのことを自然に触れると、思い出す。自分が大きなものと、つながっていたことを。
「自然と一体化」した時、直観力も研ぎ澄まされます。
3,人間は、本来、自分の中に神的なものを持っていて、心静かにして「内なる声」に耳をすませば、必ず正しい答えがでてくるものらしい。
4,そのために一番いいツールは、「瞑想」することです。
姿勢を整え、肩の力を抜く。背筋を軽く伸ばして座る。目を閉じ、息を整える。呼吸を深くゆっくり。
5,「静かな良い気が流れる空間」に触れる。
6,なるべく有害物質を避け、「自然食材」を体に取り入れる。体をきれいにしてないと、直観力が鈍ります。
7,無駄な不安・心配をしない。まだ起こっていないことをやたら心配したり、不安にならない。今、目の前のことに焦点を当てる。
8,悪口・批判・陰口・愚痴・泣き言を言わない。言霊という言葉があります。これらを口にすると、すべて、自分に帰ってきて、身体がドロドロになってしまいます。
もちろん直観力も鈍ってしまうので、絶対言わないこと。また、言う人に近寄らないこと。もしも波動が見えるなら、口から黒い煙が出ているのが、見えるんではないでしょうか。
本当に大切なものが目で見えるとわかりやすいんですけど、実際は大切なものは、目で見えないので、気づきにくいようです。
9,良くなるための変化あるのみ。すべてのことを、神様の采配と考える。何もかも、良くなるための変化だととらえる。偶然というものはない。すべては必然。
今起きていることは、これを学ぶために必要な事だったんだ。すべてよくなっている。そう思うと、視点が変わってくる。直観が働きだします。
歳をとってくると、その時大変だと思っても、振り返ってみるとそれがよかったと思うことが、何回もあることに気づく。どんなことも無駄ではなかったと気づく。すべて順調に進んでいる。良くなるための変化だと思えば、本当のことが見えてきます。

最後に、もしも報道に嘘があったり、かくされていることがあっても、本当に大切な事を見逃さないためにも、直観力を磨くことは、大切な事だと思います。小さな違和感に敏感になる。自分の感覚を信じる。気分がいいか。ワクワクするか。
正義を掲げても、実際に人が幸せになっているのか。人が死んでいないのか。(宗教戦争というのは、本末転倒のような気がします)とにかく心をクリアにして、直観を磨いて、大きなうねりのこの世の中を生きていきましょう。
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以上、『日間賀島たこちゃんブログ』さんの記事から抜粋しました。私としては、かなり耳の痛い部分もありますが… (-_-;) この記事に私として付け加えさせて頂きたいことがあります。

それは「生き物と気持ちを通わせること」です。何度かこの欄にも登場してもらいましたが、お寺には5匹の保護猫がいますが、私は彼らを含め、お寺生活は6人家族だと思っています。ですので、私は生き物を物体扱いしている感じがして、「ペット」あるいは「飼う」という言葉が好きではありません。
保護したつもりが保護されているのは自分なのだと常日頃から痛感しています。当然彼らは日本語を話すわけではありませんが、それでも私の言葉をもちろん理解していますし、彼らのコミュニケーションの術は、大変多岐にわたっていまして、「鳴く、じっと見つめてくる、イタズラする、スリスリする、頭突き、目の前でゴロン、どこかに隠れる、ちょっかいを出す」など様々です。(「隠れんぼ」は結構気に入っていて、私が慌てて探し回っている気配を楽しんでいる時があります)
鳴き声にしても、まさか、皆さん、猫の鳴き声が「ニャー」だなんて思っていらっしゃいませんよね。
ウチの子がニャーと鳴いたのを私は一度も聞いたことがありません。言葉で表現するのはとても難しいのですが、敢えて書けば「ウニャ、ウンミャー、ギャーオ、ウー、シャー、フー、ンニャーオ、アオーン、ゴロゴロ、フゥワー、そして音にならないサイレントニャー」きりがないので止めておきます。(=^・^=)
猫の仕草や行動は、その猫それぞれですので、彼らの言葉にならない声を心で感じ取ることができないと、彼らとコミュニケーションをとることはできません。まさに生き物との交流は「以心伝心」の世界なのです。
よく「猫は家に付く」と言って、人に媚びないでマイペースと言われますが、それもウチの子たちについてはあたらないと思っています。私がTVを観ていると必ず、クウちゃんは膝にのってきますが、そのあとで、必ず雪ちゃんがその上によじ登り、首まで乗っかってきて、場所の取り合いになります。ナム君は私の横に、トム君は前に坐ります。邪魔をしないのはマイペースなアミちゃんだけで、彼女は足元近くでクネクネゴロンゴロンしてアピールします。
最も美しいモノの一つに「お互いを思いやる愛」があると思いますが、私からはもちろんですが、猫達からもいつももらっています。時には、人間同士を超えた情愛をやりとりすることができます。悲しいことに私は今まで、ずいぶん犬や猫たちを看取ってきましたが、なぜか、すべて私の手の中で逝ってくれました。まるで私がそばに来るのを待っていたかのような状況でした。
真偽の程をネットで検索してみたところ、やはり最近の完全室内飼いの猫は、子猫気分を最後まで持ち続けているので、具合が悪くても「ひとりになりたい」という意識が低いのだとか。中には普段よりもさらに甘ったれになり、飼い主につきまとって離れない猫もいるそうです。「安全で静かな場所に隠れていたい」という野生の本能はあっても、現代の猫にとってそれは、家の中のお気に入りの場所のようです。
このようなことは猫に限らず、他の生き物と一緒に暮らしていていらっしゃる方にも共通することだと思っています。ですから、「心で感じる」練習には生きているものと交流するのが最適だと思っております。
いつもご登場いただくN子さんは、インコちゃんがご家族ですが、その御様子を伺ったところ「機嫌がいい時と悪い時、もちろんわかりますし、言葉はなくても気持ちは大体わかります。私が家に着くと車の音でわかるみたいで、家の中から呼び鳴きするので人間の赤ちゃんと同じだと感じています。私は「ぷっち」(インコちゃんの名前)に色々助けられています。ペットというより家族です。」さらに「いつの間にか教えてもいないのに「だいじょうぶ?」って言葉をしゃべるようになって、気分が滅入っている時や疲れている時に聞くとそれだけで癒されます。」とのことでした。これは正直言ってウラヤマシイ。私がどれだけ猫たちを愛していても、猫たちが「だいじょうぶ?」なんて聞いてくれることはありませんから(-_-;)もちろん、そう思ってくれているのは感じるのですが…
「目は口ほどにものを言う」という言葉がありますが、じっと心配そうに見つめてくれる、ということはあります。
隠居様がまだお寺におられたころ「あんたが帰ってくると玄関があく前からわかるよ。猫たちが上へ下への大騒ぎになりだすから」と教えてくれたことがありました。まさに、彼らは「見えない世界」で感じ取っているのだと思います。
慈悲の心、相手を思いやる愛といったことは、目に見えないけど、確実に存在していますよね。新型コロナ、ウクライナ戦争などといった暗く、先の見えない世情不安の時代だからこそ、このように目に見えないものを感じ取っていくことが、ますます大事になっていくと思っています。

2022年 「5月の標語」

かんじんなことは
目に見えないんだよ

――― 『星の王子さま』サン=テグジュペリ

皆様は『星の王子さま』をご存じでいらっしゃいますか?
フランスの作家・飛行士 サン=テグジュペリが、子供向けに書いたものですが、人間にとって大切な事柄、真実の教えが随所にちりばめられています。本書の中の名言として、よく取り上げられているのが「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」という言葉です。

いつも標語の感想を寄せて下さるYさんが以下のようなメールを下さいました。
「25年前の神戸児童殺傷事件の被害者の方のお父さんの、コメントを目にしました。5年前に亡くなられた奥様の生前の言葉がすごく印象的で…」と。

事件の概要を申し上げますと、1997年(平成9年)の2月から5月にかけ、5人の小学生が被害を受け、2人が死亡し、2人が重軽傷を負いました。犯人は事件当時、中学3年生の少年A(当時14歳)で、殺人・殺人未遂などの容疑で神戸家裁へ送致され、関東医療少年院へ長期収容されました。その後、「矯正教育により、再犯のおそれはなくなった」と判断されたため、逮捕から約6年9か月後の2004年(平成16年)3月10日に仮退院を認められ、社会復帰しました。
犯人の少年Aが酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)と名乗っていたことから、「酒鬼薔薇聖斗事件」とも呼ばれています。

今年、3月23日、このうち小学4年生だった山下彩花さん(当時10)の命日に、父親の山下賢治さん(73)が報道各社にコメントを寄せました。
(コメント要約)
最愛の娘彩花が10歳でこの世を去って25年経ちましたが、彩花の存在が薄れることはありません。事件後、想像を絶する絶望感に陥りながらも、歩み続けることができたのは、妻京子の存在が大きかったのですが、闘病の末、5年前に亡くなってからは、周囲の皆様のおかげで、ここまで歩んでくることができました。妻・京子が綴った手記の言葉は、今も私の胸に刻まれております。私たち家族が20年をかけて学んだのは、「試練の中でこそ魂が磨かれ、人の幸せを願う深みのある優しさと、倒れても立ち上がろうとする真の強さが育まれる」ということです。

彩花さんのお母様、山下京子さんが出版なさった『彩花へ「生きる力」をありがとう』を取り寄せ拝読しました。
「言葉や肌の色、文化や習慣が違っても、地球上のどこに住んでいても、命はどこまでも平等なはずです。それなのに悲惨な出来事は起き続けています。私はその背景に、一つには「生命」への哲学の希薄さを感じるのです。
自分と他者との差異を認めることができず、他者の命も自分と同じだけ尊いという、あたりまえのことがわからなくなっているのでしょう。
 もうひとつは、「死生観」が曖昧になっていることがあるように思われてなりません。なぜ自分がこの世に生まれ、限られた時間を生きて死んでいくのか。その大事なことを誰も教えてくれない世の中になっているのです。」
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確かにごもっともなお説ですが、全文を読んでみて、正直申し上げて、違和感が残ったのも事実です。後にも述べますが、山下さん自身が「私は、人間は死んであの世に行って仏さんになるとは思ってませんので」と書いてしまった時点で,死生観をよく学び、練られているようには見受けられません。
「なぜ自分がこの世に生まれ、限られた時間を生きて死んでいくのか。その大事なことを誰も教えてくれない世の中」と言い切ってしまっていますが、そんなことはありません。このHPでも今まで扱って来ているのは、そのようなことばかりですし、様々な方たちが、様々な情報を、手を変え品を変え、発信しておりますので、ちょっとでも、自分から手に入れようと探してみれば、いくらでも手に入る時代です。学んでこなかった自分の怠慢を世の中のせいにしてはいけません。
今まで生きて動いていたものが「死ぬ」ということに人々は愕然とし、底知れない恐怖を覚え、そのためにこそ、宗教や哲学は、長い長い時間を費やし、歴史を通じて、答えを模索し続けて来ました。
本書を通して、お母さんが、それらを少しでも学んだ形跡がないことがとても残念に思っております。
お母さんの言葉として「試練の中でこそ魂が磨かれ」とありましたが、その魂という言葉をどのような意味で使っておられるのか…しまいには「燃え尽きた星と同じように大宇宙に溶け込んでいるであろう彩花」とありますので、まさか魂も燃え尽きてしまったと思っておられるのでしょうか?そこのところに矛盾を感じました。

彩花さんは、死んでもご家族に「自分はここにいるのよ」、と一生懸命伝えようとしているのに、本書を通して得た印象では、彩花さんのメッセージは全くご両親には伝わっていないように判断せざるを得ません。
だからこそ、彩花さんが「燃え尽きた星と同じように大宇宙に溶け込んでいる」と、捉えざるをえなかったのでしょう。
「目に見えないもの」からのメッセージ、娘さんからのメッセージがお母さんの元へ届いていないことが大変残念で、もったいないことと感じました。そばにいた彩花さん自身も歯がゆい思いをなさったことでしょう。

亡くなった娘さんからのメッセージというと、驚かれるかもしれませんが、やはりよく標語の感想をお寄せ下さるN子さんは、普通に「メッセージがきた」と教えて下さいますので、そんなに稀有な状態ではないと思っています。
私もご葬儀を通して、亡くなった方からのメッセージも普通に伝わってきますのでご遺族にお伝えすることもあります。特に、長年病気で患われた方は、死ぬことによって、苦痛だらけの重たい体から解放され、たとえようのない喜びに包まれていることを感じます。そのようなご葬儀は、勤めさせて頂けただけで私も嬉しく感じます。
よそから頼まれたご葬儀で、初めてご遺体に対面した時に、その方が起き上がって「お世話になります」と必死で挨拶なさろうとするので、ご遺族に「貴方のお父様は大変、律儀な方だったのですねぇ。一生懸命御挨拶なさっていますよ。」と申し上げ、驚かれたこともありました。どうも当たっていたようでした。目の前にあるのはご遺体でも、その方の心は十分に伝わってきます。

そこで冒頭の言葉「かんじんなことは 目に見えないんだよ」を今月の標語に致しました。山下京子さんの著書の中に、以下のような記述もありました。
少年のハンマーによる一撃を頭に浴びて,彩花さんはICUで意識不明のまま,激しく顔を腫らしますが、事件から5日後の21日になって,顔の腫れは一気に引き始めます。
「少年の狂気のハンマーは,彩花の頭蓋骨を打ち砕きました。 しかしそのハンマーも,彩花の命の内面を打ち砕くことはできませんでした」。
そして,命は誰も作ることができないし,終わらせることもできない,「少年の凶行など,彩花の生死を微塵も左右するものではないことを, 彩花の命の力が高らかに宣言した」と考えるのです。
その翌日には,彩花さんの顔はまるで笑っているようにもなり、そしてその姿に,この世の悪意や耐えがたい苦しみを乗り越えていこうとする「生きる力」を,お母さんは得たと言います。
 「彩花はきっと自分の命の深いところに刻まれた罪業のようなものを、一気に出し切ったのではないかと私には思えます。(中略)もしかしたら何度生まれ変わっても少しずつ背負わなければならなかったものを、ひとまとめにして出し切ったのではないかと思うのです。(中略)P98。
これで永遠に、自在に生ききっていける自分自身になれた。そんな凱旋者の微笑みでした。

大変な名文ですから、涙を禁じ得ないところですが、意地悪を承知で申し上げれば、いくら一時的に容体が回復し、「凱旋者の微笑み」を見せたとしても、結果的に心臓や脳はその機能をストップし、臨終を宣告され、荼毘に付されて、最終的には遺骨になっています。
肉体はなくなっても、確かに彩花さんの存在を身近に感じ、彩花さんの魂が安らかになっていることを「心で」感じることによって初めて安心できるのでは、と思いますし、死後の彩花さんの存在を確信してこそ、そこに初めて「生きる力」が湧いてくるのだと思うのですが…

「命の深いところに刻まれた罪業のようなものを、一気に出し切った」と書く一方で、
「私は、人間は死んであの世に行って仏さんになるとは思ってませんので、お骨についても私たちの気のすむようにすればいいと考えています。」P126とも書いています。
この業という考え方は、善または悪の業を作ると、因果の道理によってそれ相応の楽または苦の報い(果報)が生じるとされるという仏教の説ですので、輪廻と強く結びつく概念で、死後を「燃え尽きた星と同じように大宇宙に溶け込んでいる」というような捉え方とは矛盾します。業は、ちょっとやそっとではチャラにしてもらえるほど甘くはなく、楽観的に過ぎるように思います。

もちろん御遺骨はただの物質ですから、子供の遺骨は確かに親の気の済むようにすればいいというのは賛成ですが、「死んであの世に行くと思っていない」と聞くと、正直、僧侶の立場としては、「?」とならざるを得ません。死後の世界を否定するということは、今生の生活が無意味だと言っているようなものだと思います。
存在は全て、この世の前、この世、後の世、と連綿と続いており、だからこそ、魂、霊格の向上を目指して、この世で努め続ける必要があります。
この世「苦の娑婆」を生きる意味は、魂、霊格の向上にほかなりません。重い肉体によって魂に、足かせやバーベルのように負荷をかけているからこそ修行になるのです。

お母さんの著書を通して描かれていることは、現実世界に起きたことの羅列ですので、その現実生活の裏にある「目に見えないこと」に対するイマジネーションがあまりにも不足していることが残念です。恐らく、お母さん自身、「目に見えないものは存在しない」と思っているのでしょう。
「死生観が曖昧になっている」と書いていますが、いくらでも学ぶ手段はありますので、曖昧にしているのはお母さん自身ではないかと、あえて厳しいことを申し上げます。

最後に、お母さんは5年前に亡くなられておりますので、普通でしたら、彩花さんと再会できて、「めでたしめでたし」にしたかったのですが、著書の中で、「燃え尽きた星と同じように大宇宙に溶け込んでいるであろう彩花」と書かれており、死後をそのようにイメージしていることが分かります。死後は各自の想念の世界ですので、お母さんが、自分自身でイメージした通り、燃え尽きた星状態になり、広大な宇宙をウロウロとさまよっているのではないかと大変危惧しております。

2022年 「4月の標語」

こちらの世界は
すべて観念の世界であるから
間違った考えを懐いていれば
全部が間違ってきてしまう

――― 『新樹の通信』第三篇(一)帰幽後の一仏教者

今月のテーマは、既成宗教についても含まれておりますので、仏教寺院にとっては耳の痛い部分もありますが、ご存じのように、この標語のページでは、死後の世界の真実をお伝えするために書いておりますので、あえてそのままお伝えします。

ある日新樹は、父和三郎に、一人の熱心な日蓮信者に会って死後の感想を聞いたときのことを話しました。

(新樹)僕が指導役のお爺さんにお願いして、わざわざ連れて来ていただいたのです。
僕は生前、仏教の事も、キリスト教の事も、少しも知らなかったので、それ等、既成宗教の信者がこちらの世界へ来てどんな具合に生活しているか、また、どんな考えを懐いているか、一つ実地に調べてみたいと思ったのです。そうするとお爺さんは、見本として菊地という一人の老人を連れて来てくれたのです。
(和三郎)菊地さんが、よほど堅い法華(ほっけ)の信者だったのかしらん!
(新樹)そうらしかったのです。平生から血圧が高く、医者から注意されていたので、仏の御力に縋(すが)ったらしいですが、格別病気がよくもならず、脳溢血で倒れたというのです。
(和三郎)脳溢血で急死したのでは、相当永く(死後の)自覚ができなかっただろうね。

(新樹)ええ、何年無自覚でいたか、自分にもさっぱり見当がとれないと言っていました。
ところが、ある日、遠くの方で、菊地、菊地と名前を呼ばれるような気がして、ふと眼を覚ますと、
枕元に一人の白衣の神さんが立っていたそうで、その時は随分びっくりしたといいます。
ともかくもおじぎをすると、お前は仏教信者として死んだが、仏教の教えには、大分方便が混じっているから、その通りには行かない。こちらの世界には、こちらの世界の不動の法律があるから、素直に神の言うことをきいて、一歩一歩着実に向上の道を辿らねばならない。お前のように、いちずに日蓮に導かれて、何の苦労もなく、すぐ極楽浄土へ行って、ボンヤリ暮らそうなどと考えても駄目である…。
ざっと、そんなことを言い聞かされたと言います。

(和三郎)菊地さんは大分あてが外れた訳だな。
(新樹)大いにあてが外れて憤慨したらしいです。なにしろ相当、我の強い人ですから、さんざん神さんに食ってかかりました。――信仰は各人の自由である。自分はかねて日蓮様を信仰したものであるから、どこまでもそれで行きたい。そのお導きで、自分はきっと極楽浄土へ行ってみせる・・・・・。

(和三郎)法華信者はなかなか堅いからなぁ。先入主というものは容易に除(と)れるものではない。
(新樹)なかなか除(と)れないものらしいです。とにかく、何と言われても、菊地さんが、がんばってきかないものですから、神さんの方でも、とうとう本人の希望通りで、仏教式の修行をさせたそうです。
そこが有難いところだと思いますね。神さまは、決してその人の信仰に逆らわないで、導いてくださるのですね。
僕なんか気が短くて、下らないことを信じている人を見つけると、すぐに訂正してやりたくなりますが、結局、それではダメらしいです。
間違った人には、そのまま間違わしておいて、いよいよ鼻を打った時に、初めて本当の事を説明してやる・・・
どうもこれでなければ、人を導くことはできないようですね。
菊地という人なんかも、やはり、その手で薫陶されたらしく、やがて一人の坊さんの姿をした者が指導者となり、一生懸命にお題目を唱えながら、日蓮聖人を目標として、精神の統一を図るように仕向けられたと言います。
そしてその間には、日頃お説教で聞かされたような、随分恐ろしい目にも逢わされ、亡者のウヨウヨしている、暗い所を引っ張りまわされたり、生ぬるい風の吹く、不気味な砂漠を通らされたり、とても歩けない、険阻な山道を登らされたり、世にも獰猛な天狗に攫(さら)われ損ねたり、また、めらめら燃える火焔の中をくぐらされたり、その時の話は、とても口では述べられるものではないと言っていました。
とにかくこれには、さすがの菊地老人も往生し、はてなと、少し考えたそうです。

・・・自分は決してそれほどの悪人ではないはずだが、どういうわけで、こんな恐ろしい目にばかり逢わされるのかしら・・・。事によると、これは心の迷いから、自分自身で造り上げた、幻覚に苦しめられているのではあるまいか。なんぼなんでもあんまり変だ・・・・・。

(和三郎)なかなかうまい所に気がついたものだ。
近頃マイヤースの通信を見ると、帰幽直後の人達は、たいてい、夢幻界に住んでいるというのだ。
つまり、それらの人達は、生前、頭にしみ込んでいる先入観念に捕えられ、その結果、自分の幻想で築き上げた一の夢幻境、仏教信者ならば、うつらうつらとして、蓮の台(はすのうてな)などに乗っかっているというのだ。
そんなのは、一種の自己陶酔で、まだ始末の良い方だが、困ったことに、どの既成宗教にも、地獄式の悪い暗示がある。菊地さんなども、つまりそれで苦しめられた訳だろう。

(新樹)そうらしいですね。とにかく、菊地さんが、変だと気がつくと、その瞬間に、これまでの恐ろしい光景は拭うがごとく消え、そして法衣を着た坊さんの姿が、カラリと白装束の神さんの姿に急変したと言います。
菊地さんは、つくづくこう述懐していました。
・・・先入主というものは、実に恐ろしいものだ。娑婆にいる間はそれほどでもないが、こちらの世界は、すべて観念の世界であるから、間違った考えを懐いていれば、全部がその通り間違ってきてしまう。

(菊地談)今日から考えると、仏教というものは、言わば、一種の五色眼鏡で、全部ウソというわけでもないが、しかしそれを通して見る時に、すべてのものは、ことごとく一種の歪みを帯びていて、赤裸々々の現象とは大分の相違がある。
人間が無知蒙昧である時代には、あんな方便教も必要かも知れぬが、今日では、たしかに時代遅れである。現に自分なども、そのためにどんなに進歩が遅れたか知れぬ。
そこへ行くと、神の道は現金掛値なし、蓮の台(はすのうてな)も無ければ、極楽浄土も無く、その人の天分次第、また心掛け次第で、それぞれ適当の境地を与えられ、一歩一歩向上進歩の途を辿り、自分に与えられた力量の発揮に全力を挙げるのだからまことに有難い。それでこそ初めて生き甲斐がある。
自分などは、まだ決して理想的の境地には達しないが、しかし立派な指導者が付いて、何くれと導いてくださるので、少しはこちらの世界の実状にも通じてきた。
殊にうれしいのは、自分に守護霊が付いていることで、今ではその方ともしょっちゅう往来している。それは帰幽後五百年くらい経った武士で、なかなかのしっかり者である。

(和三郎)菊地さんの守護霊は、やはり戦国時代の武士だったのか、道理でしっかりしているはずだ。
それはそうと、菊地さんに付いていた坊さんが、急に神さんの姿に早変わりをしたというが、あれはどういう訳かしら。
(新樹)僕も変だと思いましたから、いろいろ訊いてみましたが、死んだ人には、宗教宗派のいかんを問わず、必ず大国主神様からの指導者が付くものだそうです。
しかし仏教信者だの、キリスト教信者だのには、先入的観念がこびりついていて、真実のことを教えても、なかなか承知しないので、本人の目の覚めるまで、神さんが一時坊さんの姿だの、天使の姿だのに化けて、指導しているのだそうです。
随分気の永い話で、僕達には、まだとてもそんな雅量はありませんね。(後略)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 
上記の内で、もっとも重要なのは
「こちらの世界は、すべて観念の世界であるから、間違った考えを懐いていれば、全部がその通り間違ってきてしまう。」だと思います。
死後の世界として最も知られているのは「天国と地獄」だと思いますが、皆さんは、何処にこのような世界が存在すると思われますか? 現世とは別次元に存在するものと思いますか?
死後の世界が、想念の世界とするなら、天国も地獄もそれぞれ各自の想念の世界に存在するということが出来ると思います。
今を天国のように優しく清らかな気持ちで過ごしている方にとってはそこが天国であり、体と魂が分かれた後も行くべき世界は天国です。逆に、邪な気持ちで悪意を持って生活している人はそこが地獄であって、死後も地獄へ直行ということになるでしょう。悪い心を持ちながら、人の不幸を願っていると、死後は同じような悪い心の人達と暮らすということになるのです。

『人を呪わば穴二つ』という諺を聞いたことがある人は多いと思います。その意味は、「他人を陥れようとしたり、その人の身に不幸が訪れるように願ったりすると、自分にも同じ報いが訪れる」ということ。
人を呪うという行為には「存在そのものを否定し、この世から消えてほしい」と願うほど強い憎しみを持っていることを意味しますが、このように強力なマイナスの想念は、呪いたい相手のみならず、自分自身にも何らかの影響を及ぼすことになるから覚悟しなさい、と警告するための諺なのです。
 ですので、間違ってもいわゆる悪い想念だけは決して持たないように努めることを最優先にしましょう。

個人個人のレベルでは、それぞれの持つ想念は、見た目としてはオーラとして見えることもあります。
怒りに満ちていたり、物欲が強く、拝金主義の人のオーラはどんよりと暗く、逆に、常に人々の幸せを願いながら生きて、徳を積んだ方は清々しく明るい光を放っています。
そして死後は、それぞれが持つそうしたエネルギーの世界に引き寄せられていくのです。なので、日ごろから、何事にも、明るく、朗らかに、光を想い、生きていくことが必要だということはお判り頂けることと思います。

現在、ロシアがウクライナに武力で侵攻していますが、これなどまさに悪い想念に支配されてのことです。
沢山の人々の命を奪ったり、その国の建物や文化を破壊するような行為は、どのような理屈をもってしても許されないことですし、良い結果など生まれるはずもありません。このような道理を理解できないのは、霊として悪魔の段階に堕してしまっている証左です。
 ただ、今は、何事も即座に世界中に知れ渡ってしまう時代ですから、惨状を目の当たりにし、世界中の人々がこのような事態に心を痛めています。強く平和を祈れば必ず良い方向へ動いていくと確信しますので、皆さんの良い想念で一日も早く平和が訪れますように、共にお祈りしましょう。合掌

2022年 「3月の標語」

現在僕を指導してくださるのは
どれもこちらへ来てから附けられたもので
皆で五人居ります

――― 「新樹の通信」第一編(五)彼岸の修行

皆さん、ご自分の守護霊様の存在を感じたことはありますか?
私の70年の人生でも、今まで山あり谷あり、様々な出来事がありました。その中でも、奇跡としか言いようのない機会やご縁を頂け、ここまで歩んでくることができたのは、よほど強力な守護霊様がついていて下さるに違いないと常日頃から実感しております。
比較的若い時分から、傍目から見れば、最悪の状態に見えそうな事柄(例えば大病)でも、何故か、確たる根拠もなく、これはこれから物事が良くなっていく契機なのだと捉えることができ、悲観的にはならずに済みました。そして、守護霊様が守って下さっているという感覚が常にありますので、毎晩寝床に入り、眠りにつく前に必ず守護霊様に「今日も一日有り難うございました。」とお礼を申し上げて参りました。
 ですので、先月の標語で、「いわゆる見える方」について書きましたが、10年ほど前に彼から、私の背後に金色のお髭を生やした真っ白に輝く神々しいお爺さんが見えると言われた時にも、即、納得してしまいました。
 ただ、これはもちろん私だけでなく、どのような方にも必ず守護霊様はついていて下さいます。

先日来取り上げております「新樹の通信」にもこのような一節があります。
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和三郎 : お前にはやはり生前の守護霊が附いて居て、その方に指導してもらっているのか?
新樹 : 現在僕を指導してくださるのは、どれもこちらへ来てから附けられたもので、皆で五人居ります。その中で一番僕がお世話になるのは一人のお爺さんです。
和三郎 : その五人の指導者達の姓名は?
新樹 : めいめい受持ちがあって、想えばすぐ答えてくださるから名前などは要らないです。
和三郎 : その五人の受持ちは?
新樹 : むずかしいなぁどぅも…。まだ僕には答えられない。
とにかく僕が何かの問題をききたいと思うと、五人の中の誰かが出て来て教えてくださる。
和三郎 : 幽界でお前の案内をしてくれる人もあるのか?
新樹 : ありますよ。案内してくださるのはお爺さんの次位(つぎ)の人らしい…。
和三郎 : 現界と通信する時は誰が世話してくれるのか?
新樹 : いつもお爺さんです。
和三郎 : 勉強して居る科目の内容はどんなものか?
新樹 : 僕慣れていないので、細かい話はまだできない。よく先の事…神界の事などを教えられます。
                              ( 第一編(五)彼岸の修行p22)
・・・・・・・・・・・・・・
これを読んでくださっているアナタ、もし、今までご自分にも守護霊様がついていて下さると実感したことがなくても、今、現にアナタのすぐそばに守護霊様はいらっしゃるのですよ。

以前、ご紹介した高級霊シルバーバーチも以下のようにおっしゃっています。
「人間一人ひとりに守護霊がついているそうですが…」との問いかけに対し、以下のように答えて下さっています。
「母体における受胎の瞬間から、あるいはそれ以前から、その人間の守護の任に当たる霊がつきます。そしてその人間の死の瞬間まで、与えられた責任と義務の遂行に最善をつくします。守護霊の存在を人間が自覚すると否とでは大いに違ってきます。自覚してくれれば守護霊の方も仕事がやりやすくなります。守護霊はきまって一人ですが、その援助に当たる霊は何人かおります。守護霊にはその人間の辿るべき道があらかじめわかっております。が、その道に関して好き嫌いの選択は許されません。つまり自分はこの男性にしようとか、あの女性の方がよさそうだ、といった勝手な注文は許されないのです。こちらの世界は実にうまく組織された機構の中で運営されているのです。」

「 自分は今まで良いことなどほとんどなく、運がよくなかったので、守護霊様がついていないのではないか」と思う方もいるかもしれません。ですが、そんなアナタにももちろん守護霊様はついています。うまくいかないなかでも、どのように本人が対応し成長していくのかを長い目で見守ってくださっていますし、これから成功が待っているかもしれません。必ずしも本人にとって都合の良い事ばかりに導くのが守護霊様ではないのです。
時には、本人が成長するために厳しい試練を与える場合もあるのです。今までに体験したことのない出来事に遭遇した時は、守護霊様からの試練の場合の可能性があります。これも全てその人の霊的向上を願っているからです。
「守護霊の存在を人間が自覚すると否とでは大いに違ってきます。自覚してくれれば守護霊の方も仕事がやりやすくなります。」と述べられていますが、私的にはこの部分が非常に重要な気がしています。
どのような困難に直面しても、それをサポートしてくれる守護霊様の存在を常に信じ、感じ取る努力をし続ければ、自分の想像を遥かに超えたお力添えを頂けます。センサーを研ぎ澄ませて、守護霊様からのサインに敏感になってみてください。

さて、以下は「私の守護霊(祖先)に関する体験談」として「龍樹さん」がブログにアップしていた記事です。
https://ameblo.jp/vb8dv3/entry-12655397568.html   2021-02-08 14:00:25

これは私が幼少の頃の話です。
母が近所のスーパーに買い物に行ったりして、たまに家で留守番をしているときに、不安になって「お母さん」と呼ぶと「はーい」という女性の声が普通に聞こえました。普通に何度もそんなことがありました。
まだ4歳くらいでしたので、特に不思議に思うこともなく、ある時、母と夕食を食べているときに、「お母さんって、家にいなくても、返事してくれてすごいね!」みたいなことを言ってたみたいなんです。(この会話のことは、私は覚えていなくて、後から聞きました)
夕食が終わり、私が風呂に入って寝静まった後、会社から帰ってきた父に母が、息子がこんな面白い話をしていたということで、私が話したことを伝えたそうです。

そこで、面白く思った父は、息子である私に内緒で会社が休みの日に母にわざと短時間外出してもらい、私をこっそり観察してみたそうです。
母が外出してしばらくすると、私がおもちゃで遊びながら、無意識に「お母さん」と呟いたそうなんですが、すると「はーい。」という声が父の耳にも聞こえたそうです。
父も心霊体験は一度か二度(バイクで走ってるときにお化けに追いかけられたw)あったものの、これには驚いたようです。
ただ、その声がすごく優しい口調で、慈愛に満ちた感じだったようで、心配することはなかったとのこと。ただ、心臓が飛び出るほど、びっくりしたそうですw

それから、私も徐々に視覚化や呼吸法のトレーニングをして、霊的なものがみえるようになりましたが、見えるようになってわかったことが、その女性が着物を着た私の父方の祖先の女性であること、そしてその女性の側には幼い娘がいつもいることです。
その幼い娘は、私が長女を授かると同時に消えました。このことが意味することはわかりますよね?実はこの親子には悲しい歴史があるのですが、あまりに悲しすぎるので、ここでは書きません。ひとことだけ申し上げると私の家は大名に仕えていた武家です。
さて、私の側に常にいるこの女性の守護霊ですが、私の会社勤務時代の後輩に見破られたことがあります。その後輩はとある有名武将の子孫で、その武将に滅ぼされた者達の怨霊に取り憑かれており、色々な災難に見舞われてました。こっそり、浄化してあげましたが、それまでは、父方の男性が皆短命であったり、付き合う女性とことごとくトラブったり大変だったようです。

話は脱線しますが、先祖が武家というと、羨ましく思う人もいますが、決してそんなことはなく、過去の祖先が必ず大量に人を殺してしますので、そのカルマを負うことが多いです。。。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
実は、ウチのお参り先にも、もと織田信長のかなり有名な家臣だった方の子孫の御家があるのですが(そのことをそこの奥様が自慢気におっしゃるので(-_-;) )、現在、あまり良い状態にはなっていなくて、その家に足を踏み入れただけでも「いや〜な」感じがするのです。(もちろん、そのようなことは、そのおウチの方には、絶対に言っていませんが(-_-;) )やはり、因縁というものはあるのだと実感しています。
戦国大名の人気度調査を頻繁に目にしますが、先日も以下のような記事を見かけました。
2020年12月28日(月)にテレビ朝日系列で放送の「国民・専門家・AIがガチで選ぶ 戦国大名総選挙」。全国1万4000人の国民による投票・専門家・AIで、ガチで選んだ最強戦国大名ベスト30にランクインした戦国大名は誰か?という記事で、1位織田信長、2位武田信玄、3位豊臣秀吉、という結果でした。
これに限らず、織田信長が1位というのは、結構見ます。ただ、霊格的見地から見ますと、織田信長はあまりおすすめできませんので、もしアナタが、信長を好き、とか親近感をお持ちでしたら、ぜひ考え直して頂くことをお願いしたいと思います。

なんだか暗い話になってしまいましたが、そもそも、現世においても、霊界においても、生きる目的は霊格の向上が全てです。それがすなわち、霊界全体、顕界(現世)全体の向上になるのですから、やはり各自が霊格を向上させたいという自覚をもって、日々の生活を送っていく必要があると痛感しています。
 皆さんにとって最大の不幸は「死」だと思いますが、実は、別に死ぬことなど不幸なことでもありません。何故ならこの世は修行する為に生まれてきた苦の娑婆ですから、卒業できることはむしろ喜ばしいことなのです。避けるべきは、霊的向上のためこの世に生まれてきたはずなのに、以前より霊的に堕落してしまうことです。死ぬことを恐れ、生に執着し、長生きだけを目的にして生きることを選び続ければ本末転倒な結果となりますので、くれぐれもご注意頂きたいと思っています。

2022年 「2月の標語」

幽界へ行ったものが
どうして 自覚が速かったり
遅かったりするのだろう

――― 「新樹の通信」第一編(九)再生問題その他 P57

もう10年以上前のことになりますが、毎月のお参りでTさんの御家に伺った時のことです。Tさんは当時、80代後半でいらっしゃいました。お勤めが終わり、お茶を頂いておりますと、Tさんが「庵主様、実は先日夢を見まして、それが、明らかに死後の世界を見せて頂いたようなのです。
一つは極楽のように見えるお花畑のような美しい世界でしたが、もう一方は薄暗く、じめじめとした、ぬかるんだような場所に、人の頭がゴロゴロしておりました。」とのことでした。忘れてはいけないと、絵にまで描いておられ、それも見せて頂きました。

先月から、浅野和三郎氏の次男新樹の「霊界からの通信」をご紹介しておりますが、第一編の最後に以下のような節が出ておりまして、これを読んだ時に、突然、Tさんの描かれた絵を見せて頂いたときのことを思い出しました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
和三郎「幽界へ行ったものがどうして自覚が速かったり遅かったりするのだろう。」
新樹「やはり信念の強いもの(死後の世界への理解が深い者)が早く自覚するそうで、その点に於いて近代日本人の霊魂は甚だ成績が悪いようです。現に僕なども自分の死んだことも自覚せず、又自分の葬式の営まれたことも知らずに居た位ですからね…。」
和三郎「唯物論者…つまり死後個性の存続を信じない連中は死後どうなるのかナ?」
新樹「非常に自覚が遅いそうです。」
和三郎「一つこれから自覚していない人たちの実況を見てくれまいか?」
新樹「承知しました。(数分の後)……今その一部を見せてもらいましたが、イヤどうもなかなか陰惨ですね。男も女も皆裸体で、暗いところにゴロゴロして、いかにも体がだるそうです。僕は気持ちが良くないというよりか、むしろ気の毒の感に打たれ、この連中はいったいいつまでこの状態に置かれているのですかと御爺さん(指導霊の一人)に聞いてみますと、この状態は必ずしも永久に続くのではない。中には間もなく自覚する者もある。自覚する、しないは本人の心がけ次第で、他から如何ともし難いのだ、という返事でした…」
「新樹の通信」第一編(九)再生問題その他 P57
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
文中、新樹は「僕なども自分の死んだことも自覚せず、又自分の葬式の営まれたことも知らずに居た位ですからね…。」と述べていますが、彼にとって幸いだったのは、父の浅野和三郎博士や、叔父の浅野正恭中将立ち合いの下で霊媒を通じて、現界との通信を開くことができたことでした。
新樹は死の直後、その自覚を持っていなかったそうで、夢中で頭部や腹部の苦悩を訴えたそうです。その時、叔父の正恭中将が、軍人気質で、単刀直入に彼がすでに肉体を棄てた霊魂に過ぎないことをきっぱり言い渡し、一時も早い彼の自覚と奮起を求めたそうです。
『えっ!僕、もう…死んだ…僕…残…念…だ…。』そう、絶叫しながらその場に泣き崩れたといいます。
悔しいやら、悲しいやら、実にたまらない気がしました。と後で本人も述べています。


通常の場合、死に際に、ここまで環境に恵まれることは稀有のことですので、私がご葬儀をお勤めさせて頂く場合は、何よりご本人に「死んだ」ことに気がついて頂くことを最優先に致します。
もちろん、ほとんどの方は気がついて下さるのですが、僧侶としましては、なんとかして全ての方にしっかりと気がついて頂くのが勤めですので、そのように願いつつ、ご本人に話しかけながら、ご葬儀を行う様にしております。

普通に生活していても、死んだことに気づいていない人は周りに結構いらっしゃいまして、街中を普通に歩いていたり、あるいは、お寺を徘徊したりもします。
病気で長期間患ったりすることはつらいことですが、死ぬための心の準備ができるという点では結構メリットもあり、一番困るのが事故で突然、体と魂が分離を余儀なくされる状態だと思います。交通事故現場などは、死んだことに気づかずいつまでもそこら辺を徘徊しているような霊もあるのです。
以前、ウチの檀家の男性で「いわゆる見える方」のお話をしましたが、彼が、交通事故の現場を通りかかったときのことです。車に挟まれた人を助け出そうとしていた救急隊員の方の肩を、(その挟まれた人は事故の瞬間に体からすでにポンと抜け出してしまっていたのですが)、一生懸命、自分は「ここだ、ここだ」と、後ろから叩いていたのだそうです。

通常の場合は、自分の守護霊たちや、両親などの肉親がいわゆる「お迎え」に来てくれるので、気がつくことになるのですが、「そんなはずはない」、といった思い込みの強い方は、その「お迎え」をなかなか受け入れることが困難のようです。
 「死んで」体と魂が切り離された状態になっても「自分」という意識は全く変わらないので、なおさら気づきにくいこともあるかもしれません。
2020年11月の標語で「『あの世』の存在を信じる日本人は全体の40%」と書きました。
「現代の日本人の6割の人が「死後の世界は存在しない」と考えているらしい」という記事をこの時ご紹介しましたが、新樹が「近代日本人の霊魂は甚だ成績が悪いようです。」と書いている事態と一致しますので、残念ながら昭和初期の頃とあまり事態は変化していないようです。
 死後の世界を信じていないと、「死んだらそれっきり」「無」になるはずと思い込んでいますから、意識が相変わらずあれば、とても「死んだ」ということが受け入れがたいのはわかります。

ただ、この標語で繰り返し、何度もお願いしておりますように、死は終わりではなく、死後の世界は当然存在します。
死後の世界を具体的に語っている一例として、臨死体験があります。
https://www.excite.co.jp/news/article/Tocana_201711_post_15159/

 イギリス・ブリストルのクリストファー・ムーニー氏はかつて、死の淵をさまよった経験を持つ臨死体験者です。この時に感じたことをムーニー氏は3つに分けて説明しています。

1. 極度の静寂に包まれました。人々は死を恐れますが、一度この静寂を味わってもはや何もできないことを知れば死に際して平安を見いだすことができるでしょう。この時に私はこれまでの人生で最も心が安らぐ静寂を体験しました。
2. これまでの人生をとても反省しました。よく死の間際にこれまでの人生を一瞬で追体験する“走馬灯”がよぎるという話がありますが、それは本当です。私はこれまでの人生を振り返って考え、その都度迫られる選択や判断がもっと良いものにできたのではないかと反省しました。
3. 奇妙に思われるかもしれませんが、死へと向かう最中、これは“ラッキー”な体験であると感じました。ユーモアも感じられて逆説的に「私はなんて不幸なんだ!」って笑いがこみ上げてきました。
「この体験は私に多くの発見をもたらしました。私はこの時まで無神論者でしたが、このまま死が訪れても人生が終わるわけではないと感じました。ただ別の場所へ行くだけです」
臨死体験中、恐怖はまったく感じなかったというムーニー氏ですが、それは脳がすぐさま死を迎える準備を整えたからだといいます。
「私の脳の思考モードが変わり、私はすべてを理解し、すべてのことに備えました。人間の身体と脳は死に対して完全に準備されているようです」
 臨死体験で死後の世界を実感したというムーニー氏の世界観、人生観はこの日を境に大きく変わったようです。

死んだらすべて終了になるかと言えば、そんなことは絶対にありません。命というものはそんなに短いものではなく、「死ぬ」ということはいわば「家に帰る」ようなものなのです。
誰にも家があって、必ずそこに帰ってくるように、死んだ後はあの世と呼ばれる世界に帰っていきます。そして新樹もいっていたようにあの世にも自分の家があるのです。
肉体は物質でありこの世のものなので、それを持って行くことはできません。死というのは、この世での仕事や学び(修行)が終わって、肉体を脱ぎ捨ててあの世の本来の世界に帰ることなのです。
この世で死んだ後も、命は続いていくからこそ、この世を生きる意味があります。死んですべてが終わりなのであれば、生きる意味などないと思いませんか。でも、そうではないからこそ、すべての経験に意味があり、無駄になるものなど一つもないのです。そうして、何度かこのように生まれ変わり死に変わりを繰り返しながら、霊格の向上を目指していくのです。あの世は皆様の霊格に応じた差別の世界ですから、少しでも向上できるよう努め続けるのが本来の在り方です。ジメジメした暗い世界を這いずり回りたいと思うような方はいないでしょう。
いずれ必ず死ぬ瞬間は訪れるのですから、その時の為に、十分予習なさることをお勧めします。

そもそも、存在の中で、突然消え失せ、跡形も無くなるなどという事象は一つもありません。目の前から品物が消えてなくなるように見える手品でも、タネはあるのです。この世の全てが、形や状態、条件を変えて、流転していくのです。いきなり、ブツッとそこで途切れて跡形もなくなるような存在は皆無なのです。それを「無」になると考えることのほうが不自然で、存在そのものが「無意味」だと決めつけることと同じです。それは「傲慢」以外の何物でもありません。

繰り返しになりますが、僧侶としての私の立場といたしましては、皆さんが「死んだ」時には、ご自分の状態に一刻も早く気づき、冒頭述べたような、悲惨な状態に陥ることのないように切に願いながら、お勤めしております。

2022年 「1月の標語」

幽界で一番重きを置くのは
やっぱり精神統一で
これをやると何でも判ってくるのです

――― 『新樹の通信』浅野和三郎

浅野 和三郎(あさの わさぶろう、1874年(明治7年)8月9日生 )は、日本の心霊主義運動の父とも言える日本における心霊科学研究の第一人者です。
1896年(明治29年)、東京帝国大学に入学、同時期に小泉八雲(パトリック・ラフカディオ・ハーン)が英文学担当教師として赴任し、教えを受けました。
1899年(明治32年)に同大学英文学科を卒業。海軍に請われて、横須賀にある海軍機関学校の英語教官に赴任します。
1915年(大正4年)の春、三男の三郎が原因不明の熱病になりましたが、多数の医者に見せても回復しなかったものが、三峰山という女行者の言葉通りに快癒した事から、それ以後、心霊研究に傾倒することになりました。
1923年(大正12年)3月、「心霊科学研究会」を創設。
1928年(昭和3年)、ロンドンで開かれた第三回国際スピリチュアリスト会議(世界神霊大会)に出席し、グロートリアン・ホールにて「近代日本における神霊主義」の演題を英語で講演しました。さらにロンドンで霊媒や降霊会を訪ね、パリ、ボストン等を歴訪し、心霊関連の文献を多数持ち帰りました。この実績をもとに、日本国内での心霊主義(スピリチュアリズム)の啓蒙活動を行います。
1929年(昭和4年)5月に名古屋に「中京心霊協会」が、同年7月に大阪に「大阪心霊科学協会」が、そして12月に東京に「東京心霊科学協会」が相次いで設立されて心霊研究の実行機関が各地に設置されました。
「東京心霊科学協会」では、1930年(昭和5年)1月15日に設立記念の新年総会を開催し、1月17日に新事務所開きを行って、活動を展開し始めました。

家族は、妻多慶子と子供が4人いましたが、今回取り上げるのは次男新樹(しんじゅ)との交信の記録です。
妻多慶子は三男の三郎の病気が治った翌年から、霊的な能力を見せ始め、新樹の死をきっかけに霊言(トランス・トーク)を行うようになり、『新樹の通信』、『小桜姫物語』(ともに霊界見聞録等の内容)を収録し出版しました。
浅野和三郎氏は、1936年(昭和11年)末、『小桜姫物語』の原稿をまとめ上げ出版の準備を終えた後、1937年(昭和12年)2月1日急性肺炎を発症。2月3日に急死しました。(62歳没)
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新樹は明治37年(1904年)6月10日に生まれましたが、仕事で滞在していた大連で昭和4年(1929年)2月28日にわずか25歳で病死します。
『新樹の通信』は、新樹自身の希望により、彼の死後百か日の後、彼の母を霊媒として死後の世界について語られてきた報告です。本書の中で、彼自身が巻頭の挨拶の中で「何と言おうがもう致し方がないのですから、僕のようなものにも次第にアキラメがついてきまして、現世で使い得なんだ精力の全部を一つみっちり幽明交通の仕事に振り向け、父の手伝いをしてやろうという心願を起こしました。それが現在の僕にとって活きて行くべき殆ど唯一の途なのです。」述べています。
この『新樹の通信』を今回取り上げましたのは、死後の世界について非常に分かりやすく述べられており、新樹が没後すぐに交信してきたものですから、私たち自身の”その時”について、非常に参考になると思われたことからです。
死後の世界は、スピリチュアリズムにおいては、幽界・霊界・天界・神界のように区分されていると説かれますが、『新樹の通信』は死の直後の幽界からの通信ということになります。

今月は、まず『第一篇』から御紹介しましょう。
彼の父、つまり浅野和三郎氏の問いかけに答えて、問答は進んでいきます。衣服や日常について尋ねられ、以下のように答えています。
今、着ているのは白い着物。(その後は、場面に応じて、洋服になったり、色のついた着物もでてきます)
*食事はしない
*睡眠もしない(場合によっては眠ることもあるそうですが、新樹は眠らなかったようです。)
*月日の概念がない
*こちらの世界の人の言葉は、聞こえるのではなく波のように”感じる”
「現にお母さんは所中僕の事を想い出してくださるので、お母さんの姿も、心持も、一切が僕に感じて来てしょうがない・・・」と新樹は言っています。
*死んだことにいつ気がつくのかという問いには
「それは本人の信仰次第で、真の信仰のある者は早く覚めるそうです。信仰のないものは容易に覚めるものではないといわれます。」
これは新樹の守護霊からの返答ですが、信仰とは、ここではいわゆる宗教にたいする信仰ではなく「正しい心霊学の理解」と解釈したほうが良いと思います。
霊的に受け入れる準備が出来ていない霊魂は、しばらく眠った状態だそうですが、修行が進めばずっと意識がはっきりしてくると思われます。
それにしても、自分が死んでからいつまでも目覚めず、ず〜っと寝ているなど考えただけで嫌ですよね。
えっ‼かまわない?そのような方には言うべき言葉が見つかりません(-_-;)

*幽界の居住者の姿は静と動の二通りあり、静的状態は紫っぽい、軽そうな、フワフワした球体またはクラゲのようだそうで、浄化するにつれて色が薄くなり、やがて白くなるようです。
動的状態とは外へ向かって働きをする時のことで、作ろうと思えば観念で、いつでも自分の姿を作れるようです。霊界からの通信の多くは生前と同じ姿か、それを理想化し、美化したような固定的な姿をしているかのように読み取れるものが多いのだそうです。

*自分の体は触っても生前そのままのようで、足などもあるようで、これが死を自覚しない未浄化霊には「自分は死んでない」という錯覚を生む原因でもあります。
*住環境については、洋館に住みたいと考えたら洋風の部屋にいたそうです。このことから、幽界での家は純粋な自己表現の場であると判ります。欲しいものが何でも出現する快適さが理由となって、先へ進む(幽界から霊界へ向上する)意欲がわかない霊魂もいるそうです。
ただし、静的状態に戻れば家も庭も消えて”何処に居る”という観念も消えます。

さて、ここからが今回の本題で、幽界において主に行うこと、どのように過ごしているか、についてです。「修行が進めばずっと意識がはっきりしてくる」と書きましたが、本書において浅野和三郎氏は「しかし幽界の修行の中心は、詮じつめれば之を精神統一の一語に帰し得るようです」とおっしゃっています。
”精神統一・・・これは現世生活に於いても何より大切な修行で、その人の真価は大体これで決せられるようであります。五感の刺激のままに、気分の向かうままに、あちらの花にあこがれ、こちらの蝶に戯れ、少しもしんみりとした、落ち着いたところが無かった日には、五七十年の短い一生はただ、一場の夢と消え失せてしまいます。人間界の気のきいた仕事で何か精神統一の結果でないものがありましょう”
が、物質的現世では統一三昧にふけらずとも、どうやらその日その日を暮らせます。ところが、いったん肉体を棄てて幽界の住民となりますと、すべての基礎を精神統一の上に置かなければ到底収まりがつかぬようです。
新たに帰幽したものが、通例何より苦しめられるのは、現世の執着であり、煩悩であり、それが心の闇となりて一寸先も判らないようであります。地上の闇ならば、これを照らすべき電燈も、またガス燈もありますが、帰幽者の心の闇を照らすべき燈火は一つもありません。心それ自身が明るくなるより外に幽界生活を楽しく明るくすべき何物もないのであります。
そこで精神統一の修行が何より大切になるのであります。一切の雑念妄想を払いのけ、じっと内面の世界にくぐり入り、表面にこびりついた汚れと垢とから離脱すべく一心不乱に努力する。それを繰り返し、繰り返しやっているうちに、だんだんあたりが明るくなり、だんだん幽界生活がしのぎやすいものになる。これより外に絶対に幽界で生きる途はないようです。」

新樹は”もしひょっと雑念がきざせば、その瞬間、一生懸命になって先ず神さんにお願いします。するとたちまちはつらつとした良い気分になります。又、こちらでは精神統一を、ただ執着や煩悩を払うことのみに使うのではありません。僕たちは常に統一の状態で仕事にかかるのです。通信、調査、読書、訪問…何一つとして統一の産物でないものはありません。統一がよくできるできないで、僕たちの幽界における相場がきまります…。“
と言っていますが、彼は、生前には精神統一をしていませんでしたが、帰幽してから学び始めたのです。
ですから現世で精神統一をしなかったからといって少しも不安に思うことはありません。

ここまで読んでくださったアナタ、ご自分が帰幽した時、”精神統一をしなければならないのか!!!”と思われましたか?
もちろん、どのように過ごすかの自由はあるのでしょうから、それぞれの霊格の違いがここで如実に現れるということなのでしょう。その意味で、死後の世界は皆同じで平等という訳ではなく、それぞれの魂のレベルに応じた世界にいくことになるということです。
そこが明るく輝いているのか、あるいは薄暗い世界なのかは、それぞれの想念の反映ということになります。
煩悩の足かせとなる肉体を持っていないので、肉体を維持する為に必要な、食事、睡眠等が不要ですので、考えようでは、修行に専念できる環境が整っており、志せば、現世における修行よりは比較的容易なのではと思われます。
今まで取り上げたテーマの中では、最も実用的だったのではないかと思い、『新樹の通信』は、大変貴重な内容であることに改めて気がつかされます。
本書は昭和6年8月に出版された版の完全復刻版なので、旧かな使いが読みにくい方には、理解が困難かもしれませんので、ここでは可能な限り、読みやすい形にしてご紹介していくつもりでおります。

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