今月の標語 2008年

2008年 「12月の標語」

比丘たちよ、放逸ならざる比丘は、
かならずや、聖なる八つの正しき道をおさめ、
それらを実現するであろうことを、
期して俟つことができるのである。

――― 相応部経典 45、139〜148 不放逸品

ある時、ブッダはサーヴァッティーの祇園精舎にとどまり住しておられました。その時、ブッダは、比丘たちをよび、このように説かれたことがありました。
「比丘たちよ、この世の中に生けるものは、さまざまである。無足のものがあり、両足のものがあり、四足のものがあり、多足のものがある。あるいは意識あるものがあり、意識のないものがある。このように、さまざまの生きとし生けるものの中にあって、覚ったもの、如来こそは最上であると説かれる。比丘たちよ、それと同じように、世の中に道は様々あっても、それらはすべて、善きことに心をひたすら集中し専念していること、すなわち不放逸をもって根本とする。されば、さまざまの善き法の中において、不放逸こそ最上であると説かれる。
 比丘たちよ、このようにして、放逸ならざる比丘においては、八つの正道を修習し、それを実現するであろうこと、期して俟つことができるであろう。彼は、すべての世のかかわりを離れ、貪りを去り、煩悩をすてて、人生の正しい見方をうちたてることができる(正見)。一切の思いを正しい目標に集中することができる(正思)。すべて理にそむく言葉をさけて、正しい言葉を語ることができる(正語)。一切の邪な行為をやめて、清らかな行為につくことができる(正業)。正しからぬ生業(なりわい)をいとい捨てて正しい生き方をすることができる(正命)。このようにして、ここに正しい努力が集中され(正精進)、正しい気づきがなり(正念)、ふたたび揺らぐことなき心を確立することを得る(正定)とき、八つの正道は実現せられるのである。
 比丘たちよ、それであるから、放逸ならざる比丘は、かならずや、聖なる八つの正しき道をおさめ、それらを実現するであろうことを、期して俟つことができるのである。」
また、ある時、ブッダはこのようにも説かれました。
「比丘たちよ、たとえば、もろもろの歩行するものの足跡はさまざまであるが、すべての足跡は象の足跡に入り、象の足跡は最大であると説かれる。それと同じように、世の中に道はさまざまであるが、それらのすべては不放逸をもって根本とする。それゆえに、もろもろの善き法の中において不放逸こそは最大であり、最上であると説かれる。
 比丘たちよ、かくて放逸ならざる比丘は、かならずや、八つの正しき道を修習し、それを実現するであろうこと、期して俟つことができるのである。」
放逸とは、あまり日常的に耳慣れない言葉ですが、「勝手気ままに振る舞うこと。生活態度に節度がないこと。」といった意味がありますので、不放逸とは「怠惰に陥らず、自身の生活態度を慎み、わき目もふらずに精進努力すること」ということになると思われます。
9月の標語でもご紹介しましたように、不放逸を説かれるブッダの説法は他にもしばしば見られます。ブッダが修行の成就において、持って生まれた才能や能力よりも、精進努力を最重要のことと見ておられたことがよく理解できます。

2008年 「11月の標語」

比丘たちよ、
善き友をもった比丘は
彼がやがて 聖なる八支の道をならい修め、
ついに成就するであろうことを、
期して俟つことができるのである。

―――  相応部経典 45,49 善友。 45,2 半。

ブッダとその弟子達は、朝まだ陽の昇らないうちに起きるのが日常です。やがて、町にむかって托鉢に出かける頃、東の空が明らんで、陽光が差し始めます。その頃の様子を喩えとして、ブッダはこのように教えを説かれたことがありました。
「比丘たちよ、なんじらは、朝、陽の出ずるさまを、よく知っているであろう。陽の出ずるにあたっては、まず、東の空があかるくなってくる。やがて光炎がさっと輝きわたって、陽が昇ってくる。すなわち東の空があかるくなるのは、陽の昇る兆しであり、その先駆である。比丘たちよ、それと同様に、なんじらが聖なる八支の道(八正道)をおこす時にも、その先駆があり、その兆しがある。それは善き友をもつということである。
 比丘たちよ、だから、善き友をもった比丘は、彼がやがて 聖なる八支の道をならい修め、ついに成就するであろうことを、期して俟つことができるのである。」
ここに「善き友」とある言葉は、後世の仏教でいうところの「善友(ぜんぬ)」もしくは「善智識」にあたります。「知識」というのは、智慧の意ではなくて、「相知るもの」すなわち友の意です。僧伽(そうぎゃ)すなわち仏教教団においては、すべての者が相たずさえて同じ聖なる道をたどる仲間であり、友だちなのです。そこでは、わが同輩も「善き友」であり、我が後輩も「善き友」であり、また、わが師と仰ぐ人も「善き友」です。ブッダすらも比丘たちにとっての「善き友」であることは、ブッダご自身の言葉でそのように随所で述べられております。それらの「善き友」たちが、あつまり、はげましあって、同じ聖なる道をあるく、それが僧伽にほかならないのです。「善き友」をもつものとなるということは、この僧伽の一員としてあることに他なりません。そして、この僧伽の一員でありさえすれば、やがて聖なる道の実践(八正道)を成就するにいたることを、期して俟つことができるのだと、ここにブッダは比丘たちを励まし、力説しているのです。
 さらに、「善き友を持つことが、聖なる道の半ばを成就したことに等しいと思われます。」と言うアーナンダの問いかけに対し、ブッダは「善き友を持つことは道の全てである」とお答えになったと申します。
「アーナンダよ、これを考えてみても解るではないか。人々は、わたしを善き友とすることによって、老いねばならぬ身にして老いより自由になることができる。病まねばならぬ身にして病より自由になることができる。死なねばならぬ人間でありながら、死より解脱することができる。
 アーナンダよ、このことを考えても、善き友をもち、善き仲間とともにあることが、この道のすべてであるという意味がわかるはずである。」
 僧伽が三宝の一つとして、ブッダや、その教法とともに、仏教徒の最高の尊敬と帰依すべき対象とされる所以はこのことに拠ります。「善き友」のつどいなくしては、この聖なる道の実践は成りえないからなのです。

2008年 「10月の標語」

人の肉体は渦巻のごとくである、
その感覚は泡沫のごとくである。
その表象はかげろうのごとくである、
その意志は芭蕉のごとくである、
その意識はまぼろしのごとくである。

――― 相応部経典 22、95 (泡沫)23、13(常)

ブッダは、ある時、ガンガ(恒河)のほとりの都アヨッジャーにあって、流れを眺めながら、比丘たちに語りかけたことがありました。
話のテーマは「無我」でした。「無常」「無我」はブッダの教えの根本となるものですが、大変深遠な教えですので、なかなか実感として捉えがたいものがあります。
ブッダは流れのほとりに立ち、水の流れる様を眺められた時、無我をよく説き表す好材料を見出しました。
「比丘たちよ、このガンガの流れの様を見るがよい。あちこちに渦巻きが起こっている。だが、よくよく見れば、渦巻そのものというものはどこにもない。あるいは、渦巻の本質というものもどこにもない。それは絶えず変化する水の形状にしかすぎない。そして、人間の存在もまた同じである。」
 ブッダの人間観は、人間をその物質的なもの(これを色(しき)という)と精神的な諸相(受=感覚、想=表象、行=意志、識=判断)とに分析して、それらの流動する結合統一として人間を考えるという捉え方でした。したがって、そこには「変化しない肉体」や「所有」や「自己の本質」と言うものは存在しないと考えます。無我というのはそのような考え方を言う言葉なのです。
それを、今ブッダは流れに形成される渦巻をもって喩えとして語られたのでしたが、この経は、さらに続いて4つの喩えをそこに記しています。
その第2は、水の面にうかぶ泡沫です。人間の感覚(受)は泡沫のようなものであるというのです。その第3は、日盛りにたちのぼる陽炎(かげろう)です。人間の表象(想)は陽炎のようにはかないというのです。第4に芭蕉の喩えがあげられます。芭蕉を伐りたおして、その皮をむいてゆくと、どこまでいってもその心材に到ることができません。人間の意志(行)もそんなもので、その不変の本質などというものはどこにもないというのです。第5には幻師の術という喩えがあげられます。ブッダの時代には四辻で人々の前にまぼろしを描き出す術を操るものがありました。ブッダは、ここに、その術のことを、人間の判断(識)に比して語っておられます。
それらの譬喩が、次のような偈として語り伝えられております。
「人の肉体は渦巻のごとくである、その感覚は泡沫のごとくである。その表象はかげろうのごとくである、その意志は芭蕉のごとくである、その意識はまぼろしのごとくであると、かくのごとくブッダは説きたもうた。」
ここでは、人間の、肉体、感覚、表象、意志、意識と言う一つ一つが全て移ろい、変わらぬものはない事を説き示しておられますが、ブッダはこの無常の原理をもって、人間のみならず、この世の存在全て、変転せざるものはない、と言うことを随所で語っておられます。
さらにブッダは、「比丘たちよ、このように観察して、私の弟子たちは、一切を厭い離れる。厭い離れることによって欲望を去る。欲望を去ることによって、解脱する。その時、――わが迷いの生涯はすでに終わった。わが聖なる修行はすでになった。なすべきことはすでになされた。このうえは、さらに迷いの生涯を繰り返すことはないであろう――と確信することをうる。」と説かれ、無常を深く認識し、修行によってそれを会得することが即ち解脱に導いて行かれることであると、はっきりと教えて下さっておられるのです。

2008年 「9月の標語」

人のいのちの過ぎ行くさまは
日月の天をゆくより速やかである。
されば、われらは、今 不放逸にして
努力しなければならぬ。

―――  相応部経典 20、6、弓術師

これもまた、ブッダがサーヴァッティの郊外、ジェータ(祇陀)林の精舎に居られた時のことでした。
 ブッダは、比丘たちを集めて、こんな問答をしたことがありました。
「比丘たちよ、たとえば、ここに、弓術の達人が4人そろっていたとするがよい。そこに一人の男がやって来て、彼らに向かって豪語した。 <あなた方4人が、東西南北の四方にむかって弓をひくならば、わたしは、それらの矢がまだ大地に落ちない前に、ことごとく捉えてごらんにいれます。>と。
 比丘たちよ、わたしは、とてもそんなことはできまいと思うけれども、もし、それができるとしたら、その人は大変な速さをもった人といわねばなるまい。」
「大徳よ、まったく、すばらしい速さであります。もしも、一人の弓の達人が一方にむかって射た矢を、見事、落ちない先に捉えたとしても、その人はすでに、大変な速さをもつ人でなければなりません。しかるに、今の男は、4人の弓の達人が、四方にむかって放った矢を、ことごとく、まだ地に落ちる前に捉えるというのですから、その速さは、まったく、驚きいったものです。」
このようなことを話し合って、ブッダが比丘たちに説こうとしたのは、いわゆる「無常迅速」のことわりを、彼らに深く印象付けようとするためでした。
そこでブッダは言いました。
「比丘たちよ、だが、その人よりも、もっと速いものがある。日月の天をはしる速さは、さらに速い。そして日月の天をはしる速さよりも、さらに速いものがある。人間の寿命のうつりゆく速さは、日月のそれよりも、さらに速いのである。
比丘たちよ、そのゆえに、なんじらは、このように学ばなければならない。
<人のいのちの過ぎ行くさまは、日月の天をゆくより速やかである。されば、われらは、今 不放逸にして、努力しなければならぬ。>と。なんじらは、よく、このように学ぶがよいのである。」

このことを、後世の仏者は「生死事大なり、無常迅速なり、心を緩くすることなかれ」(六祖壇経、機縁七)といい、あるいは「志の到らざる事は、無常を思はざるに依るなり」(正法眼蔵随聞記一の七)といって、仏者の大切な心得として伝え持って来ております。
月日の移り変わりはとどまるところをしりません。無常の姿を客観的な概念として考えているうちは、仏教が自身の問題を解決してくれるものとはならないように思います。無常が人間存在の事実であることに深く思い至った時、仏教は初めて自分の人生の指針として生きてくるものとなります。

2008年 「8月の標語」

信はわが蒔く種子である。
智慧はわが耕す鋤である。
身口意の悪業を制するは
わが田における除草である。

――― 相応部経典 7,11、耕田

ある時 ブッダはマガダ国のエカサーラ(一葦)という村にとどまっておられました。
この村はあるバラモンの所領であって、ちょうどその頃は、種蒔きの時期に当たり、彼は、村人たちを指揮して、種蒔きの用意で忙しくしておりました。
ある朝のこと、ブッダが衣鉢をととのえて、托鉢のために、かのバラモンの家の前に立たれました。
ちょうど、その時、彼は村人に食べ物の分配をしていましたが、ブッダの托鉢の姿を見るとつかつかとその前に歩み寄ってこう申しました。
「沙門よ、私は田を耕し、種を蒔いて、食を得ている。あなたも、みずから耕し、種を蒔いて、食を得てはどうか。」するとブッダはさらりとこのようにお答えになります。
「バラモンよ、私も、耕し、種を蒔いて、食を得ている。」
それを聞いて、かのバラモンはわが耳を疑うような顔をして、じっとブッダの面を見つめていましたが、やがて、問うて言いました。
「だが、私共は誰もまだ、あなたが田を耕したり、種を蒔いたりする姿を見たものはない。あなたの鋤はどこにあるのですか。あなたの牛はどこにいるのですか。あなたは何の種を蒔くのですか。」
そのとき、ブッダは以下のような偈を以ってお答えになりました。
「信はわが蒔く種子である。智慧はわが耕す鋤である。身口意の悪業を制するは、わが田における除草である。精進はわが引く牛にして、行いて帰ることなく、おこないて悲しむことがない。かくのごとく私は耕し、かくのごとく私は種を蒔いて、甘露の果(み)を収穫するのである。」
 かのバラモンはその意味をすぐに理解して、ブッダに申しました。
「尊者よ、尊者はすぐれた農夫でいらっしゃいます。尊者が耕し、種を蒔くということは、不死の果のためであることが私は分かりました。どうぞ、この食をお受けください。」
しかし、ブッダはこの施食を退けて、このように説かれました。
「偈を説いて、私は食を得るものではない。バラモンよ、そのようなことは知見あるもののするべきことではない。覚者たるものは、誦偈によってその代価を受けてはならぬ。バラモンよ、覚者はただ、法に住するのであって、それが覚者の生活の道である。バラモンよ、そうであるから、もろもろの煩悩がつきて後悔の伴う行為をすることが無い完全な聖者に対して飲食でもって奉施するがよい。このような施食は、功徳を求める者の福田であるからである。」
 大地を耕し、荒地を切り開き、美田を作り、豊かな収穫を上げるのが農業の営みです。
ブッダの教えは、人間の心の中の荒野を切り開き、うるわしい人格を開発して、豊かな営みを得ようとする道と申せましょう。ブッダの意図したことはこのようなことであり、かのバラモンは、このことを理解し、ブッダの帰依者となったと申します。

2008年 「7月の標語」

おのれを愛すべきものと知らば
おのれを悪に結ぶなかれ。
悪しき業をなす人々には
安楽は得がたきものなればである。  

――― 南伝 相応部経典 3、4 愛者

このように私は聞きました。
ある時 ブッダが祇園精舎に居られた時、コーサラ国の王パセナーディは、ブッダを訪ね来たって、ブッダのそばに坐して申しました。
「世尊よ、私は独り静かに坐して考えている時に、ふと、このように思いました。真に自己を愛するというのは、どのようなことであろうか。自己を愛せぬというのは、どのようなことであろうか。世尊よ、そのことについて私はこのように考えたのですが、如何でしょうか。
 世尊よ、何人にあれ、悪い行為をおこない、悪い言葉を語り、心に悪い思いを抱くならば、その人は、真に自己を愛する者ではないであろう。たといその人々が、私は自己を愛する、と言ったとしても、彼らは真に自己を愛する者ではないであろう。どうしてなら、彼らは、愛しない者が、愛しない者に対してやることを、彼らは自分に対して行っているからである。それで、彼らは真に自己を愛する者とは思えないのである。
世尊よ、何人にあれ、善い行為をおこない、善い言葉を語り、心に善い思いを抱くならば、その人は、真に自己を愛する者であろう。たといその人々が、私は自己を愛しない、と言ったとしても、彼らこそ真に自己を愛する者であろう。どうしてなら、彼らは、愛する者が、愛する者に対してやることを、彼らは自分に対して行っているからである。それで、彼らは真に自己を愛する者と思われるのである。」
「大王よ、全くその通りである。何人であれ身体と、口と、心によって悪い行いをするものは、本当に自己を愛する者ではない。また、何人であれ、身体と、口と、心によって善い行いをする者は、彼らこそ、本当に自己を愛するものである。」
このように答えられ、ブッダはさらに偈を説かれました。
「おのれを愛すべきものと知らば、おのれを悪に結ぶなかれ。悪しき業をなす人々には、安楽は得がたきものなればである。」

巷では、しばしばそのように言っている本人もさしたる仔細や確証もなく、他人に「自分を大切にしなさい」とか申します。この短いお経の中には、それが具体的にどのようにすべきことなのか、ブッダによって指し示されております。大切なことは身口意による自らの行為であることが、明言されております。

自己こそ自分の主(あるじ)である。他人がどうして(自分の)主であろうか。自己をよくととのえたならば、得難き主を得る。(法句経、160)
自ら悪をなすならば自ら汚れ、自ら悪をなさないならば自ら浄(きよ)まる。浄いのも浄くないのも、各自のことがらである。人は他人を浄めることはできない。(法句経、165)

というブッダの言葉も、今まで度々ご紹介して参りました。

仏教とは根本的に、苦の原因を自己の内面に見出すものであること、したがって自己の苦の解決は自己の内面において図るべきであること、神やその他の存在による他力的な救済はないこと、などが含まれております。
常に自分自身のあり方を問題とするのが根本の教理であり、仏教の真髄であると言えると思います。


2008年 「6月の標語」

比丘たちよ、明がまずあって、もろもろの善法が生じ、
さらに慚(ざん)、と愧(き)とがこれに随うのである。
比丘たちよ、明にしたがう智者において、正見は生ずる。
正見の存するところ、正思惟は生ずる。
正思惟あらば、正語が生ずる。正語あらば正業が生ずる。
正業あらば正命が生ずる。正命あらば正しき精進が生ずる。
正しき精進あらば正念が生ずる。
正念があれば正定が生ずるのである。

――― 南伝 相応部経典 38、9〜45、1 無明

ある時、サーリプッタ尊者が、マガダ国のとある村に在った時、一人の沙門が、彼を訪ねてきて、問いました。
「友よ“無明、無明”と称せられるが、友よ、無明とは何であるか。」
「友よ、およそ苦についての無知、苦の生起についての無知、苦の滅尽についての無知、苦の滅尽に至る道についての無知。友よ、これを称して無明というのである。」
「友よ、さらば、この無明を捨て去る道があるであろうか。」
「友よ、かの聖なる八つの道こそは、この無明を捨棄する道である。それは即ち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。友よ、これが無明を捨棄する道である。」

また、ある時、ブッダが、サーヴァッテイの祇園精舎にあられた時のこと。ブッダが比丘たちの為に、このように説かれました。
「比丘たちよ、無明がまずあって、もろもろの悪不善の法が生じ、さらに無慚無愧がこれに随うのである。比丘たちよ、無明に随う無智者において邪見は生ずる。邪見あらば邪思惟が生ずる。邪思惟あらば邪語が生ずる。邪語あらば邪業が生ずる。邪業あらば邪命が生ずる。邪命あらば邪精進が生ずる。邪精進あらば邪念が生ずる。邪念あれば邪定が生ずるのである。
 
比丘たちよ、明がまずあって、もろもろの善法が生じ、さらに慚(ざん)、と愧(き)とがこれに随うのである。比丘たちよ、明にしたがう智者において、正見は生ずる。正見の存するところ、正思惟は生ずる。正思惟あらば、正語が生ずる。正語あらば正業が生ずる。正業あらば正命が生ずる。正命あらば正しき精進が生ずる。正しき精進あらば正念が生ずる。正念があれば正定が生ずるのである。」

ブッダの説かれた四聖諦のうち道諦は八正道として説かれますが、従来、この八つの道を並列して(つまりそれぞれを独立して別個に)説くことが多かったのですが、この経文には、縁起のようにそれぞれが順序だてて説かれているところが注目すべき点です。

平易に書き改めてみますと、以下のようになるでしょうか。

比丘たちよ。物事をはっきり見ることができる曇りない知恵がまず前提にあって、物事の真理が明らかになるのである。このことがあって、そうでないことに対する深い恥じらいが心に生ずるのである。
比丘たちよ、さとい眼、曇りない智慧を持つものが、物事を正しく見ることができる。そして、正しく見ることによって、物事を論理的に考察することが可能になる。その結果、無駄話をしなくなり、正しい言葉を述べることができるようになる。正しく物事が言えるようになると、行為が正しくなってくる。
そして、日常の行為が正しくなってくると、生きるための糧を得る手段として正しい職業、正しい仕事を選ぶようになる。正しい仕事に就くことができると、正しい方向の努力ができるようになってきて、心を慎むことができるようになるのである。そしてそのようなところに、正しい気づきが生じてくる。そして、物事や、自身に対して正しく気づける者こそが、正しく禅定に入ることができるのである。

このことを逆に辿っていきますと、ブッダが説かれた、正しい禅定の形が現れてくると思います。
「衆生は本来仏である」と説くこともなく、あるいは坐るという行為のみで禅定を定義付けるということはしておられないのです。

2008年 「5月の標語」

聖者は一切処に依ることなく著することなく
愛する者もなく、憎む者もなく、
たとえば、はすの葉に水のしずくの著かざるがごとく、
悲泣することもなく、邪慳の心をいだくこともない。

――― 南伝 小部経典 経集 4,6 老経

人の命はまことに短い。
百歳に及ぶものは少なく、
百歳をすぎて生きる者もまた、
やがて老いのために死ぬ。

人は自分の執着する物のために愁える。
それは所有に常なきがゆえである。
それは存し、変化し、また滅する。
このように知って人は、執着を去らねばならない。

「これは私のもの」と思っている物も、
それは死のために失われる。
賢い者はその理(ことわり)を知り尽くして、
自分の執着を去るのである。

たとえば、夢のなかで会った者に、
人は、夢から覚めて再び見ることはできない。
このように、愛する人々も、
命が終わってから見ることは出来ない。

この世にあった頃に某々(それがし)というふうに、
その名前を聞き、その顔を見た人でも、
亡き後は、ただその名前だけが、
彼を語るよすがとして残る。

執着するものを貪り求める者は、
悲愁、邪慳の心を捨てることができない。
であるから、安穏の境地を知る聖者は、
全ての所有を捨てて行ずる。

聖者は何処にも依ることなく執着することもなく
愛する者もなく、憎む者もなく、
たとえば蓮の葉に水滴が付かないように、
歎き悲しむこともなく、意地悪く酷い心を抱くこともない。

2008年 「4月の標語」

おのれの幸福を求むる者は、
おのれの歎き悲しみを除かねばならぬ。
貪りと憂いとを除かねばならぬ。
まさに煩悩の箭(や)を抜かねばならぬ。

――― 南伝 小部経典 経集 3,8 箭経

この世における人のいのちは、
定めなくして知ることができぬ。
また、みじめにして短く、
それは、苦と相応しているのである。

何となれば、一たび生まれたる者の、
死をまぬかれる手だてはない。
生まれたる者は必ず老と死とに至る。
これ、生きとし生ける者の法則である。

熟したる果物は、まもなく
落ちる恐れのあるがごとく、
生まれたる人も、また同じく、
常に死の恐れの前にある。

また譬えれば、陶工がうつわの、
みなやがては壊れるごとく
人の命もまた然るのである。

おさなき者も 成人せる者も、
愚かなる者も 賢き者も、
すべての者は死にゆすられ、
すべての者は死に赴く。

死に打ち勝たれて去りゆくとき、
父も子を救うことはできぬ。
いかなる親類も縁者も、
彼をかの世より救い出すことはできぬ。

ここ相見つつある人々が、
ここに親しく語りつつある人々が、
屠所にひかれる牛のごとく、
一人々々、死魔に連れ去らるるを見よ。

そのように、すべて世間の人々は、
死と老とに攻めさいなまれる。
されど、もろもろの賢き人は、
世間の自性を知りて憂うることがない。

生まれ来たり、死して去る、
かの道をなんじは知らぬ。
生死の両端を正しく見ることなき、
なんじは無益にも悲しみ泣くのである。

この両端を知ることなくして、
おのれを害いつつ悲泣する者が、
なお何らかの利益することあらば、
賢き者もまたまさにこれをなすであろう。

されど、悲泣すとも、憂悩すとも、
人は心の寂静を得ることはできぬ。
ただ、苦しみはますます彼につのり、
彼の身体を害うのみである。

憂愁(うれい)を捨断せよ、悲泣するをやめよ。
しからざれば、ますます苦を受くるのみ。
命終せる者の上に、いたずらに涙するは、
憂愁のとりことなるのである。

たとい人ありて百年生くるとも、
さらに百年をこえて生きようとも、
彼もまた親戚縁者と別れて、
ついにかの世に赴かねばならぬ。

されば人は、聖者の法を聴き、
いとしき者の命終にあうとも
「私はもはや彼とともに暮らすことができぬ」と
悲泣する心をまず調伏せねばならぬ。

たとえば、水をもて燃ゆる火を消しとどめるがごとく、
風来って綿をふきとばすがごとく、
かくのごとく、賢き者は、
生起する憂愁を速やかに滅せねばならぬ。

おのれの幸福を求むる者は、
おのれの歎き悲しみを除かねばならぬ。
貪りと憂いとを除かねばならぬ。
まさに煩悩の箭(や)を抜かねばならぬ。

すでに煩悩の箭を抜きすて、
依るところなく、求むるところなく、
心の寂静を得るにいたれば、
一切の憂愁をこえて無憂者とな

2008年 「3月の標語」

忿(いか)るものに忿りかえすは、
悪しきことと知るがよい。
忿(いか)るものに忿りかえさぬ者は、
二つの勝利を得るのである。
他人のいかれるを知りて、
正念におのれを静むる人は、
よくおのれに勝つとともに、
また他人に勝つのである。      

――― 相応部経典 七、二 讒謗

ある時、ブッダが、ラージャガハ(王舎城)郊外の竹林精舎に在られた時のことでした。そこに一人のバラモンが、大変な勢いで怒鳴り込んできました。彼の同族の者がブッダのもとに出家したのを怒ってのことでした。
 ブッダは、彼がさんざんに罵詈讒謗するのを黙って聞いていましたが、やがて少し静かになったところで彼に向かって言いました。
「バラモンよ、なんじの家にも、時には来訪するお客さんがあるだろう。」
「もちろんである。」
「バラモンよ、その時には、ご馳走をすることもあろう。」
「もちろん、時には、彼らに食事をふるまうこともある。」
「バラモンよ、もしその時、彼らがそれを、受けなかったらそのご馳走は誰のものとなるであろうか。」
「食べて頂けなければ、それは、私のものとなるより他はあるまい。」
そこでブッダは、じっと彼の面を見つめてこう言いました。
「バラモンよ。今日なんじは私の前に、いろいろと悪しき言葉を並べたが、私はそれを、頂戴しない。だから、それは、またなんじのものとなるより他はあるまい。バラモンよ、もし私が罵られて罵り返したなら、それは主と客が食事を共にすることになる。だが、私はそのご馳走を頂戴しないよ。されば、これはなんじのものである。なんじの悪語はなんじのものである。」

そして、ブッダは彼の為に次のような偈を説かれました。
「よく調御し、正しく生活し、正智ありて心解脱したる者に、
いずこよりか瞋恚(しんに)は起りえよう。
忿(いか)るものに忿りかえすは、悪しきことと知るがよい。
忿るものに忿りかえさぬ者は、二つの勝利を得るのである。
他人のいかれるを知りて、正念におのれを静むる人は、
よくおのれに勝つとともに、また他人に勝つのである。」

かくのごとく説かれて、かのバラモンもブッダに帰依し、ブッダの元において出家し、やがて独り住し、
不放逸に、熱心に精進して、ついに阿羅漢の一人となることが出来たということです。

むさぼりと、いかりと、おろかさ。これを、貪瞋癡(とんじんち)の三毒といって、それらを除くことに努めるのが、仏教徒の修行の普遍的実践項目でありますが、怒りの調御が一番難しいと感じているこの頃です。

2008年 「2月の標語」

比丘たちよ、この身は汝らのものではない、また余の人のものでもない。
比丘たちよ、これは先の業によって造られたものであり、先の業によって
考えられたものであり、また、先の業によって感受せられたものであると、
知らなければならない。

――― 相応部経典 12,37  汝のものにあらず

ある時、ブッダはサーヴァッティー(舎衛城)にいらっしゃいました。その時、ブッダは比丘たちのために、このように説かれました。
「比丘たちよ、この身は汝らのものではない、また余の人のものでもない。
比丘たちよ、これは先の業によって造られたものであり、先の業によって考えられたものであり、また、先の業によって感受せられたものであると、知らなければならない。
 比丘たちよ、したがって、聖弟子たるものは、縁起をよく聞いて、よく思念するのである。
 それは、かようである。
 これがある故に、これがある。これが生ずる故に、これが生ずる。これがない故に、これがない。これが滅する故に、これが滅する。即ち、無明によりて行があり、行によりて識があり、ないし、かくのごときが、すべての苦しい人間存在のよりて生ずる所以である。又、無明を余すところなく滅することによって行が滅する。行の滅することによって識が滅する。ないしかくのごとくにして、すべての苦しい人間存在も滅する。」

古くから人口に膾炙した言葉として、「自業自得」と言う言葉があります。概ね、自分の行為の報いを自分自身が受けること、といったような意味合いで、一般的にはあまり良い意味には使われてきませんでした。原始仏教の立場では、悪い意味だけでなく、良い面も含んでいるようです。即ち、
「生まれによって賤しい人となるのではない。生まれによってバラモンとなるのではない。行為によって賤しい人ともなり、行為によってバラモンともなる。」(スッタニパータ・136)
「鉄から生じた錆が、鉄自体を損なうように、悪をなしたならば、自分の行い(業)が、罪を犯した人を悪いところ(地獄)へと導く。」(ダンマパダ・240)
さらに又、ブッダは業について、このようにも説かれております。
ある時、ブッダは、祇園精舎にいらっしゃいました。その時、コーサラ国の王パセーナディがブッダを訪れブッダの傍らに座して、申します。
「世尊よ、私は、独り静かに座して思いにふけっている時、ふと、このように考えた。自己を護るというのは、どのようなことであろうか。自己を護らぬというのは、どのようなことであろうか。世尊よ、そのことについて、私はこのように考えたのであるが、いかがであろうか。
世尊よ、何びとにあれ、行為において悪しき行為をなし、言葉において悪しき言葉を語り、その意(こころ)において悪しき思いを抱くならば、彼は自己を護れる人ではないであろう。たとい彼が、象軍によりて護られ、騎兵によりて護られ、歩兵によりて護られ、戦車によりて守られていようとも、彼はよく自己を護ってはいないのである。何となれば、外なるこれらの守護(まもり)は、決して内なる守護でないからである。その故に、彼は真に自己を護る人であるとは言えないのである。
世尊よ、何びとにあれ、行為において善き行為をなし、言葉において善き言葉を語り、その意(こころ)において善き思いを抱くならば、彼はよく自己を護れる人であるであろう。たとい彼は、象軍によりて、騎兵によりて、歩兵によりて、あるいは戦車によりて守られていなくとも、彼の自己はよく護られているのである。何となれば、内なるこれらの守護(まもり)は、外なるそれらの守護にまさるからである。この故に、彼は真によく自己を護ると言うことができるのである。」
「大王よ、その通りである。まことにその通りである。何びとにあれ、身口意によりて悪しき業をなすものは、よく自己を護る人ではない。何びとにあれ、身口意の三業において善き業をなすものは、彼こそ、よく自己を護る人であると言うことができる。」
かく答えて、ブッダは、偈をもって、さらにこのように説かれました。
「身において自ら制するはよい。語(ことば)において自ら制するはよい。意(こころ)において自ら制するはよい。すべてにおいて自ら制するはよいかな。すべてにおいて自らよく制する者は、よく守られたる人と言われる。」


2008年 「1月の標語」

林苑をほどこし、果樹をうえ、橋を架し、
船をもて人を渡し、 曠野に泉や井戸をひらき、
あるいは、精舎を建立する
かかる人々は、さいわい日夜に加わり、戒をたもち、
法を楽しみ、後生に善道を得るであろう

――― 南伝 律蔵 小品 臥坐具 犍度

今日まで名高い、いわゆる祇園精舎は、ジェータ(祇陀)林にアナータピンディカ(給孤独)と称せられる長者が営んだものです。
 この頃、コーサラ国にスダッタ(須達多)と言う長者が居りましたが、彼は親のない子や、老いて子供の無い者などを憐れみ助けたので、アナータピンディカ(孤独なるものに給するの意)と称せられていました。
 ある時、彼はたまたまラージャガハに在って、ブッダの噂を聞き、ヴェルヴァナ(竹林)にブッダを訪れ、その説法を聴いて心を打たれ、たちまち在家の信者となりました。その時、サーヴァッティー(舎衛城)に法を説きに来て下さるよう懇願します。
 家に帰った長者は早速ブッダとその弟子たちの為の精舎を作ることを計画し、適当な場所を求めて、自ら捜し歩きました。町からそう遠くなくしかも静かで瞑想修行が出来る所と言うことになりますとなかなか見つかりません。ようやく彼が見つけた土地はコーサラのジェータ(祇陀)太子所有の園でした。長者はその土地の売却を申し入れましたが、その林園を気に入っていた太子は譲ろうとはしませんでした。しかし、何度も熱心に懇願するので、太子は「それほど欲しいなら、その土地に黄金を敷き詰めれば、その分だけ譲りましょう」と答えます。
それを真に受けた長者は黄金を車に積んで運び地面に敷きつめ始めました。最初に運んだ黄金をめぐらした土地ではまだ足りなかったのでさらに黄金を運ばせます。それを見ていた太子は、これはさすがにただ事ではないと感じました。
「長者よ、もう止めてください。残った土地は私に布施させてください。」と申し出ました。
やがて長者はそこに精舎を建て、房舎を営み、あらゆる設備を整えました。
 これが「ジェータ林のアナータピンディカの園」すなわち「祇樹給孤独園」の成立のいわれです。
 ブッダはこの精舎をことのほか喜び、以下のような偈を持って、長者に対する謝意を表しました。
「林苑をほどこし、果樹をうえ、橋を架し、船をもて人を渡し、 曠野に泉や井戸をひらき、あるいは、精舎を建立する。
かかる人々は、さいわい日夜に加わり、戒をたもち、法を楽しみ、後生に善道を得るであろう。」

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