今月の標語 2014年

2014年 「12月の標語」

行く河の流れは絶えずして
しかももとの水にあらず

――― 鴨長明『方丈記』

私自身ひとつ歳を重ねるごとに、ますます時の流れの速さを実感するようになりましたが、いよいよ今年も師走となり、喪中の葉書が一枚、また一枚と舞い込むようになり、ふと鴨長明のこの一節を思い浮かべましたので、取り上げてみました。

鴨長明(1155年〜1216年7月26日)は、平安時代末期から鎌倉時代にかけての日本の歌人・随筆家。賀茂御祖神社の禰宜(ねぎ:神職)鴨長継の次男として京都で生まれました。承安2年(1172年)頃に父・長継が没した後は、若くして後ろ盾を失いました。そのため、身内の間で、神職をめぐって争いが起きた時にも敗れ、神職としての出世の道を閉ざされてしまいます。その後、後鳥羽院のとりなしを頂いたにも関わらず長明は出家し、東山次いで大原、のちに日野に閑居生活を行いました。
『方丈記』は、鴨長明によって著された随筆で、『徒然草』『枕草子』とあわせて「日本三大随筆」とも呼ばれています。

『方丈記』の冒頭は以下のように始まります。
「行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある、人とすみかと、またかくのごとし。」
(河の流れは絶えることがなく、しかも、一度流れた河の水というのは、決して元と同じ水ではない。流れていない河の淀みに浮かんでいる水の泡(うたかた)も、瞬間に泡が消えたり、あるいは泡が出来たりするが、長く同じ場所に泡が留まっている例などはない。世の中にある人間と住まいというものも、これと同じで、絶えず移り変わっていく無常のものなのである。)
彼自身の不遇な人生と重ね合わせてみると、その無常観は切々と伝わってくるものがあります。

翻って、我々の日常や、周りを見渡してみて、我々人間の命というものがこれほど無常なものであるという事を果たしてどれほどの方が実感しておられるでしょうか?

常宿寺前住職光文師は、来年正月2日に、満90才になるのですが、11月7日夜、庫裡トイレ前で転倒、肋骨3本、腰骨を骨折、翌日入院しました。骨折による入院は昨年に続き2度目です。自力でトイレにも行けないので、尿道カテーテルを入れられたのですが、そのことを大変に苦にして「この歳になってこんなことになって…」と悲しんでおりました。
私も、これは本当に寝たきりになるのではと心配致しましたが、最近になって、介助してもらえば車椅子でトイレにもいけるようになり、少しほっとしております。こんな有り様ですから、お見舞いもお断りして、と言うご本人の希望により、病院も内緒にしております。
当然のことながら、ここ数年は本当に足腰も弱られ、耳も遠くなり、家の内も外もシルバーカーの支えがないと歩けない状態になっていました。(上用と下用と2台借りています)
たまにお電話を頂いても、耳が遠いので、聞き取ることが出来ず、当然ながら会話も成り立ちません。最近は手にも力が入らないので、文章を書くこともままなりません。眼も不自由になりつつありますので字を読むときには拡大鏡が不可欠です。そういう状態ですので、今までの長いお付き合いのある各方面から、一筆の添え書きもなく突然モノが送られてきたり、とっくに年賀状など書けない状態なのに年賀状を頂いたり、様々なことがあると、一緒に生活している者としては、「いったいこの方たちは人間が年を取る存在だという事に対する想像力のかけらさえ持ち合わせていないのだろうか?と疑問に思うことが度々です。送る方は昔と変わらない…と思っていても、送られる側がそれを受けることが出来ない状態である時、それが送られた当人や家族の気持ちに対してどれだけ負担になるかという事を、考えることもしないのだろうか?とも思います。どれだけ遠慮する手紙、御断りの手紙を私が代筆しても、それを無視したかのように物や書き物を送り付けられると、こういう方たちは、まさに無常という事が、全く分かっていないのだと痛感します。

ここまで読んで頂いたアナタ!身近な人が亡くなった場合でも、泣いている場合ではありませんよ。すぐアナタの番が廻ってきますからね。気持ちの準備は怠りなく、生きとし生けるもの全ては必ず老化し、死ぬ運命にあるという事を、毎朝、毎晩自分に言って聞かせましょうね。

2014年 「11月の標語」

またこの生のをはるときは
二つの眼たちまちにくらくなるべし
そのときを すでに生のをはりとしりて
はげみて南無帰依仏ととなへたてまつるべし

――― 『正法眼蔵 道心』

常宿寺では、土日にヨーガ教室を開催しておりますが、テキストとしては、佐保田鶴治先生の御著書『ヨーガ入門』(池田書店)『ヨーガ根本教典(正・続)』 (平河出版社)などを元にしております。
以下、佐保田先生の略歴をご紹介いたしましょう。
佐保田 鶴治(さほだ つるじ、1899年 〜1986年9月11日)先生は、1899年 福井県鯖江市生まれ。1922年 京都帝国大学文学部哲学科卒業。立命館大学、大阪大学文学部教授などを歴任されたインド哲学・宗教学専攻の学者。
若いころから虚弱体質で、60歳を越えるまで、満足な健康感を味わったことがなかったと言います。
ところが、還暦を過ぎた62歳の時に、インド人の手ほどきによるヨーガに出会うことにより、健康をめきめき取り戻し、それまでの不健康な生活が一変し、周囲が驚くほどの健康体となったとのこと(典拠『ヨーガ入門』)。
それまでの古代インド哲学の研究にヨーガの実践が加わったことにより、その成果は、その後の日本におけるヨーガ研究や指導に計り知れない意味と実益をもたらし、今なお人々に影響を与え続けていらっしゃいます。
教授時代の佐保田先生は、苦虫をかみつぶしたような表情が多かったそうですが、ヨーガの実践を始められて以降は、大変穏やかな表情の写真が数多く残っております。
最晩年まで強健(最高度の健康)であり、身体もしなやかに保たれ、逝去5日前まで講義もなさいました。逝去する朝に、自宅で倒れられたのですが、家人の「医者を呼びましょうか」との問いかけに、「その必要はない」と答え、静かに息をひきとったと伝わっております。まさに身体知が極度に高まった人の直観で、「学を好み、道を求める模範」と評され、最期まで言行一致を保持なさいました。
私は、初めてこの記事を読みました時、私もこのように今生の終わりを迎えられたら…と強い憧れを持ちました。私にとってヨーガの実習はこのような境地を目指したもの、と言っても過言ではありません。

道元様も『道心』の巻で、自身の臨終に際しての心構えを詳細に述べていらっしゃいます。
「つぎには、ふかく仏法僧三宝をうやまひたてまつるべし。生をかへ身をかへても、三宝を供養し、うやまひたてまつらんことをねがふべし。ねてもさめても三宝の功徳をおもひたてまつるべし、ねてもさめても三宝をとなへたてまつるべし。たとひこの生をすてて、いまだ後の生にむまれざらんそのあひだ、中有と云ふことあり。そのいのち七日なる、そのあひだも、つねにこゑもやまず三宝をとなへたてまつらんとおもふべし。七日をへぬれば、中有にて死して、また中有の身をうけて七日あり。いかにひさしといへども、七々日をばすぎず。このとき、なにごとを見きくもさはりなきこと、天眼のごとし。かゝらんとき、心をはげまして三宝をとなへたてまつり、南無帰依仏、南無帰依法、南無帰依僧ととなへたてまつらんこと、わすれず、ひまなく、となへたてまつるべし。
すでに中有をすぎて、父母のほとりにちかづかんときも、あひかまへてあひかまへて、正知ありて託胎せん。処胎藏にありても、三宝をとなへたてまつるべし。むまれおちんときも、となへたてまつらんこと、おこたらざらん。六根にへて、三宝をくやうじたてまつり、となへたてまつり、帰依したてまつらんと、ふかくねがふべし。
 またこの生のをはるときは、二つの眼たちまちにくらくなるべし。そのときを、すでに生のをはりとしりて、はげみて南無帰依仏ととなへたてまつるべし。このとき、十方の諸仏、あはれみをたれさせたまふ。縁ありて悪趣におもむくべきつみも、転じて天上にむまれ、仏前にうまれて、ほとけををがみたてまつり、仏のとかせたまふのりをきくなり。
 眼の前にやみのきたらんよりのちは、たゆまずはげみて三帰依となへたてまつること、中有までも後生までも、おこたるべからず。かくのごとくして、生々世々をつくしてとなへたてまつるべし。仏果菩提にいたらんまでも、おこたらざるべし。これ諸仏菩薩のおこなはせたまふみちなり。これを深く法をさとるとも云ふ、仏道の身にそなはるとも云ふなり。さらにことおもひをまじへざらんとねがふべし。」

この段はそれ程難解ではないので、おおよその意味はお分かりになられると思います。
即ち「次に深く仏法僧の三宝を敬うべし。生まれ変わり死に変わりをくりかえし、身体が替わろうとも、三宝を供養し、敬い続けることを願いなさい。寝ている時も、目覚めている時も、南無三宝を唱えるべきです。今生が終わり、まだ次の生に生まれる間に中有というものがあります。
中有は七日ですが、その間にも南無三宝を唱えようと思いなさい。七日をすぎれば、中有の世界で死んで、生まれ変わり、また来世で死んで中有にはいり七日を過ごします。

どんなに長くても七七日(49日)を超えることはありません。その時には、何を見聞きすることに対しても障害がなく、全てを見通せる天眼をもったような状態になります。
このとき、心を奮い起こして、南無三宝を唱え奉り、南無帰依仏、南無帰依法、南無帰依僧と唱え奉ることを、忘れることなく、休むことなく唱え奉るべきです。
中有を過ぎて、(新しい)父母の傍らに近づくときも、くれぐれも心して正しい知を持って母の体内に入りなさい。
母の胎内でも南無三宝を唱え奉りなさい。生れ落ちる時も南無三宝を唱え奉ることを怠ってはなりません。六根を通して、三宝を供養し、南無三宝を唱え奉り、帰依しますと深く思うべきです。
また、今生が終わる時は、両眼が暗くなっていきますが、そのとき今生の終わりであると認識し、心を奮い起こして、南無帰依仏と唱え奉るべきです。
このとき、十法の諸仏がわれに憐れみをたれたまうのです。縁があって悪趣にいかなけれればならない罪も、転じて天界に生まれ、仏の前に生まれ、仏を拝むことができ、仏の説法を聞くことができるのです。

生の終わりに眼が暗くなってきた後は、休むことなく、心励まして、三帰依を唱え奉ること、中有でも、後生でも怠ってはなりません。
このようにして、輪廻転生の長い期間を尽くして唱え奉るべきなのです。仏果菩提にいたるまで怠ってはなりません。これが諸仏諸菩薩の行なってきた道なのです。
これが法を悟るともいい、仏道が身にそなわったともいうのです。くれぐれも他のことを思わないように願うべきなのです。

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坐禅を希望して、通い始めても、なかなか年単位で続けられる人が多くはないのが現状ですが、途絶えがちになる方に私はよく「どのような死に方をしたいと思っていますか」と尋ねることがあります。初めに来られた時はなにかしら課題や期するところがあっても、そのトラブルが喉元を過ぎてしまうと暢気なもので、あっという間に来なくなるのが大半なので、このような問いを投げかけたくなるのです。
死ぬ時の事を聞きますと、「えっ、そんなこと考えたこともない」と驚かれますが、逆に、私にとりましては死ぬ時のことを考えもしないで生きているということに驚いてしまうのです。これはゴールも分からず方角も分からないでただやみくもに走っているだけという事と同じではないでしょうか?行く先も分からず走り続けていて「よく平気だな」と言う気さえ致します。

「人生をどのように締めくくるか」と真剣に向き合ってみた時、初めて、限りある与えて頂いた命を如何に使わせて頂くのかと言う風に変わっていくのではないでしょうか。

道元様が『道心』の前段に「仏道をもとむるには、まず道心をさきとすべし。(中略)しばらく心を無常にかけて、世のはかなく、人のいのちのあやふきこと、わすれざるべし。」と述べておられるように、修行においてはまず「道を求める心」がないと長続きしません。
以上のようなことを踏まえていれば、おのずと坐禅やヨーガに対する姿勢も変わってくるのではないでしょうか。

「死んでかんがえねば仏法にならぬ。ナマ殺しでかんがえていては駄目じゃ」(澤木興道老師)

2014年 「10月の標語」

まさに正法にあはんとき
世法をすてて仏法を受持せん
つひに大地有情ともに成道することをえん

――― 『正法眼蔵 渓声山色』

「もし菩提心をおこしてのち、六趣四生に輪転すといへども、その輪転の因縁、みな菩提の行願となるなり。
しかあれば、従来の光陰はたとひむなしくすごすといふとも、今生のいまだすぎざるあひだに、いそぎて発願すべし。
ねがわくはわれと一切衆生と、今生より乃至生々をつくして、正法をきくことあらん。きくことあらんとき、正法を疑著せじ、不信なるべからず。
まさに正法にあはんとき、世法をすてて仏法を受持せん、つひに大地有情ともに成道することをえん。
かくのごとく発願せば、おのづから正発の因縁ならん。この心術、懈倦することなかれ。」

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菩提心(自他共の悟りを求める心)を起こした後は、(地獄餓鬼畜生修羅人間天上の)六道のくりかえしや、(胎生卵生湿生化生の)四種の生存の間にあっても、その輪廻転生の因縁が、みな悟りの為の修行と誓願になるのです。
だから、いままで長い時間を無駄に虚しくすごしていたとしても、今生が終わるまでに急いで菩提心を起こしなさい。
願わくは、私と一切衆生が今生より、未来永劫にいたるまで正しい法を聴くことができますように。正法を聞いた時、疑問を持ったり、信じられなかったりすることがありませんように。

正法に出会ったならば、世俗の法を捨てて、仏法に従い、ついには大地有情と共に悟りをえることができますように。
このように菩提心を起こせば、自然に正しい発心の縁となるでしょう。ですから、このような心がけを嫌になって途中でやめるようなことがあってはなりません。

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せっかく、『渓声山色』の巻を引用致しましたのに、とんでもない事件から御話することをお許し下さい。
今年7月26日に長崎県佐世保市で市内の公立高校に通う女子生徒が、同級生の女子生徒に殺害されるという大変痛ましい事件が起きました。遺体が発見されたのは容疑者が住むマンションの一室で、発見された時、県警によると遺体は首と左手首が切断され、胴体部分にも刃物で切ったとみられる複数の傷があったそうです。

容疑者は「体の中を見たかった」「人を殺して解体してみたかった」などと供述しており、犯行を認めているものの、受け答えは淡々として反省の様子は見られず、佐世保簡裁が精神鑑定留置を認める決定をしました。
容疑者につきましては、各種メディアで様々に取り上げられておりまして、以下に要約してみます。(主にWikipediaより)
「容疑者は佐世保市内の高級住宅街で育つ。幼い頃から学業は優秀でスポーツも積極的。中学では放送部に所属しており、NHKのアナウンサーが夢だった。検事になって弁護士である父や、弁護士志願者である兄と戦いたい、という夢を語ったこともある。
その一方、「あまり笑う子ではなかった」「頭が良すぎて特殊な子」といった評価も見られる。自分のこ
とを「ボク」と呼び、中学の頃から医学書を読んだり動物の解剖に熱中したりしていた。
小学校6年時の2010年頃、同級生の給食に薄めた洗剤や漂白剤、ベンジンを混入するといった行為をくり返すなどの問題を起こしている。
2013年10月に実母がガンで亡くなって以降、不登校が続いていた。今年3月 容疑者は父親を金属バットで殴り負傷させていた。中学校卒業後には一人暮らしを始めるが、高校は1学期のわずか3日だけ出席。5月、父親が再婚。また、中学時代に祖母も亡くなっており、その頃から猫を解体したりしていた。
容疑者の女子高生は父親と一緒に冬季スポーツ種目で国体に出場するなど地元では有名だった。」

今回の事件につきまして、様々な有識者・専門家の方が見解を述べておられます。
@母親の死が犯行のきっかけという見解、
A生活環境の変化が原因という見解、
B父の再婚の早さについての見解
Cそれ以前からの問題を指摘する見解
D容疑者の性癖を指摘する見解

このような中で、私が最も衝撃を受けたのはパリ人肉事件の加害者佐川一政が、(全く想像を絶することに)現在、普通に社会の中で生活をしているという事、今回の事件について以下のようなコメントを寄せている事でした。
「『遺体をバラバラにしてみたかった』という供述に同性愛的な愛情を強く感じる」と指摘し、「『なぜ親友を解体できるのか』ではなく『親友だからこそ解体したかった』と解釈すべき」と分析している点です。
今、これを読んで頂いている皆様、パリ人肉事件の事をご記憶でいらっしゃいましょうか。成り行き上、触れざるを得ないのでこの事件についてもお伝えしてみます(Wikipediaより)
1981年6月11日、パリに留学していた日本人留学生佐川一政(当時32歳)が友人のオランダ人女性留学生(当時25歳)を自宅に呼び出し、背後からカービン銃で射殺した。佐川は衣服を脱がせ屍姦したあと遺体の一部を生のまま食べ、また遺体を解体し写真を撮影して遺体の一部をフライパンなどで調理して食べた。
6月13日、残った遺体をスーツケースに収め、ブローニュの森の池に捨てようとしたところを目撃され逃亡。目撃者が遺体を発見し警察に通報し、2日後に逮捕された。
なお、この事件以前に、佐川は日本でも近隣に住むドイツ人女性を食肉目的で襲い逮捕されている。事件は父親の提示した示談金で告訴は取り下げられている。
佐川は犯行を認め裁判では心身喪失であったとして不起訴処分で無罪となり、フランス国内の精神病院に入院する。翌年、帰国し東京都立松沢病院に1年間入院した。病院側の診断結果は、佐川は人肉食の性癖など一切なく、フランス警察に対する欺瞞であるというものであった。同院副院長(当時)の金子医師は、佐川は精神病ではなく人格障害であり、刑事責任を問われるべきであるとしている。日本警察も全く同様の考えであり、佐川を逮捕して再び裁判にかける方針であったが、フランス警察が不起訴処分になった者の捜査資料を引き渡す事はできないとして拒否した。
退院後、出版した書籍が大ヒットする。現在では作家やコメンテーターとして時々公に姿を見せ、また人肉を食したいとの発言もしている。(2010年1月29日新宿)

ここまで読んで頂いた方は、さぞ胸の悪くなる思いをなさったことでしょう。
私もここまで書くのに相当気持ちを奮い立たせないと書くことが困難でした。

ただ、ここから私の申しあげたい本題に入りたいのですが、今回の佐世保の事件が盛んにメディアに取り上げられていた時、この事件の猟奇性を強調し、加害少女の心の闇に迫る、などとエキセントリックな部分にばかり注目する論調が多かったことでした。

もちろん、殺人などは絶対に許されることではないことですが、私がこうした世間の論調に触れてまず思ったことは「毎日世界中で、人間によっておびただしい数の牛や豚や鳥や魚が殺され、バラバラにされ、人間に食べられている、犬や猫その他の、例えば人間のエゴを満たすために酷い目に遭っている実験動物だって、人間の勝手な理屈で、殺されている。そんなことをしている人間に、この加害者たちを非難する資格があるのかしら」ということでした。私にとっては、牛や豚を食用目的にバラバラにするのも、人間をバラバラにするのも、生きているものを殺すことにおいては同じことだと思うからです。人間を殺す者に心の闇が存在し、牛やウナギを食べる人間には心の闇が存在しないとでも言うのでしょうか。反捕鯨の運動も然りです。牛を殺すのが平気な国の人々が、クジラやイルカを殺してはいけないと捕鯨国を非難する理屈もわかりません。(捕鯨を肯定する訳ではありません)
先日、TVのニュースで、マグロの解体ショーを実演しその場で食べているシーンをやっていたのを見て気分が悪くなり、スイッチを慌てて切りました。世の中と言うのは、こんな風なのです。

さてさて、道元禅師にもどります。「まさに正法にあはんとき、世法をすてて仏法を受持せん」
「世法」即ち一般的な世俗の物差し、世の中で、主に新聞、テレビ、インターネットなどで声高に叫ばれている事、上記の例を考えてみただけでも、その根底にある価値基準、そこの中にどれほど本当に「正しい」と言えることがあるのか、甚だ疑問だと思っています。また、人の心の闇などと簡単に言ったって、それを言えるほど、現代に生きる人々は、自分の心をつまびらかにしているのでしょうか?

「世間虚仮、唯仏是真」(聖徳太子)

「今日ほめて 明日悪く言う 人の口 泣くも笑うもウソの世の中」(一休禅師)

「グループができると、その中に麻痺状態が発生して、よい悪いがわからなくなってしまう。われわれが世の中を遠ざかっているのも逃避しておるのではない。この麻痺状態をおこしたくないからである。昔から山野に才を求むと言うが、この山野とは無色透明な世界のことだ。」(澤木興道老師)

「峰の色 渓の響きも皆ながら 吾が釈迦牟尼の声と姿と」(道元禅師)

途中はどうなることかと思いましたが、なんとか「渓声山色」に戻ることができました。(^^)ホッ。

2014年 「9月の標語」

無常たちまちに到るときは
国王 大臣 親ジツ(目に匿) 従僕 
妻子 珍宝たすくる無し
唯独り黄泉に趣くのみなり
己れに随い行くは
只是れ善悪業等のみなり

――― 『正法眼蔵 出家功徳』

朝日新聞を購読なさっている方はご存知の事と思いますが、毎週土曜日の朝刊に、『be on Saturday』というテーマ別の連載記事が満載された別刷りが付いてきます。(ちなみに当ウェブサイトにある「元気のひけつ」のページは、私がこのbeの連載テーマ「元気のひけつ」に掲載して頂いた時のものです)
この中に「be between 読者とつくる」と言うコーナーがあり「超常現象は実在する?」という読者アンケートの結果が載っていたことがありました。(2014年7月26日 朝刊 週末be・b10)

アンケートに答えるのは、朝日新聞のモニターの人達ですが、この「超常現象は実在する?」の問いに答えを寄せた方は2151人。
この特集の出だしの文章は以下のようなものでした。「祖先の霊を迎え入れるため異界とつながる夏こそオカルトにふさわしい季節。幽霊が見えたり、とりつかれたりする心霊体験だけでなく超能力やUFOなど、この世界は不可解な超常現象で満ちあふれています。それは恐怖の感情がつくりだした黒いファンタジーにすぎないのか否か。信じるか信じないかはあなた次第なのです。」

「超常現象は実在する?」の問いかけに対しての答えは「はい」が54%、「いいえ」が46%でした。
「はい」の人達に対して「その理由は?」と聞いたところ「科学で世界の全てを解明できない」「感じ取る能力に個人差がある」「じぶんで実際に体験した」「家族や知人が体験」「信用できる著名人の体験談を見聞き」「陰謀などで意図的に隠ぺいされている」と言う順に並んでいました。

次に「はい」の人に「実在すると思う現象は?」(複数回答可)の問いに対し、多い順から以下のようになっています。( )内は「はい」と答えた人数。
「予知」(585人)「UFO」(513人)「臨死体験」(433人)「テレパシー」(417人)「シンクロニシティ」(358人)「幽霊」(345人)となっていましたが、次に「生まれ変わり」(258人)と出てきた時に、「エ〜ッ!」と絶句。ご参考までに以下に続いていたのが「幽体離脱」(251人)「念力」(235人)「鬼火」(210人)「透視」(172人)「憑依」(140人)「妖怪・妖精」(137人)「降霊」(125人)「ポルターガイスト」(112人)「ドッペルゲンガー」(61人)「人体発火」(42人)「テレポーテーション」(41人)でした。
ちなみにこの後に「自分や家族、知人が体験した現象は?」と言う問いについては、以下のようになっています。「予知」(177人)「幽霊」(135人)シンクロニシティー(117人)「UFO」(79人)「テレパシー」(62人)「鬼火」(60人)「幽体離脱」(50人)「臨死体験」(49人)「念力」(37人)「降霊」(24人)「透視」(21人)「憑依」(18人)「生まれ変わり」(16人)「ポルターガイスト」(9人)「ドッペルゲンガー」(9人)妖怪・妖精(8人)「テレポーテーション」(2人)「人体発火」(1人)。そしてこの結果を見る限り、これらの現象を自分や身近にいる人々の体験に基づいて信じていらっしゃる方が多いのだという事が分かります。
それにしても以上の様な現象を体験した方の数が多いことに驚きますが、私的には一番ショックだったのが、「生まれ変わり」が超常現象の中に取り上げられていたことでした。

当ウェブサイトに定期的にアクセスして頂いて読んで頂いている方は、仏教や禅に元々興味がおありの方と拝察しておりますので、仏教にとって、転生とは「超常」どころか常識であり、修行の大前提であることはご存知の方が殆どだと信じたいです。

ブッダが悟りを開いたと宣言した時の言葉は以下のようだとされています。
「わたくしは幾多の生涯にわたって生死の流れを無益に経めぐって来た、――家屋の作者をさがしもとめて――。あの生涯、この生涯とくりかえすのは苦しいことである。
家屋の作者よ!汝の正体は見られてしまった。汝はもはや家屋を作ることはないであろう。汝の梁はすべて折れ、家の屋根は壊れてしまった。心は形成作用を離れて、妄執を滅ぼし尽くした。(『真理のことば(ダンマパダ)』第11章153,154 中村元訳、岩波文庫)
原初のブッダの「悟り」宣言とは、このような生まれ変わりの輪廻転生から抜け出す事に成功したという勝利宣言だったともいえます。

時代はそれからおおよそ1700年を経て、道元禅師様は如何だったのでしょうか?
「今月の標語」に取り上げました道元禅師のお言葉は、私共がほぼ毎日、各家々でお読みする『修証義』の中にも出て参ります。
「無常たちまちに到るときは 国王大臣親ジツ(目に匿)従僕妻子珍宝たすくる無し、唯独り黄泉に趣くのみなり、己れに随い行くは只是れ善悪業等のみなり」
元は、『正法眼蔵 出家功徳』の巻からですが、今の言葉に直してみますと、
「無常(死)が間近にせまって来る時には、例えば、国王 大臣 親友 召使 妻子 財宝などといったもので助けてくれるものはなく、ただ一人であの世へ向かわねばならないのです。その時に付いて来るものは、この世で専ら自らが行った善業や悪業などだけです。」という事になります。つまり、肉体的に死を宣告され灰になっても、その後の世では、今ここで行った良いこと悪いことがそのままついていきます。ということになります。
こういった姿勢は、『深信因果』『三時業』等の巻に特に顕著で、このようなことを述べる為に著されたのではないかと言う印象を持ちます。

禅宗の源流たる仏教は、ブッダの元の教えから数百年の歳を経て大乗仏教として開花し、現代に至りました。今ではすっかり様変わりしておりますが、現代に生きる我々にとって、仏教や禅の原点がどこにあるのかという事を、改めて自らに問い直し、学び直し、そのことに基づいて研鑽を重ね、皆様に発信していかねばという必要性を痛感しました。

ところで、ここまで読んで頂いたアナタ。「生まれ変わり」など信じられない。死んだらそれっきりでしょ。と思っているならば、それはアナタが、「科学を100%信じていて、なんでも人間の脳味噌で処理できないはずはない、と信じているのか、あるいは体験がないので信じようがない」etc、といったところでしょうかね。
そういうアナタを論破できるとは言いませんが、この上記の記事を読んで、体験した人が信じているという事はお分かりいただけると思います。そもそも、坐禅もヨーガも言葉を換えれば「死」の体験、「死ぬ練習」の側面もあると思います。「死ぬ」とは肉体の束縛から抜けること。生きながら肉体の死を体験できるところにこそその醍醐味があるのです。「食べることが楽しみ、寝ることが楽しみ、温泉つかることが楽しみ」なんて言ってるようでは、そもそも無理!
私的にいえることは、体験させて頂けるのも一つの御縁であり、御縁を頂けるためには、もっと謙虚になって、「我」の縛りを薄めて行こうと日常的に努力していくしか方法はないと思います。
ア〜ア、それにしても (O_O;)Shock!!!

2014年 「8月の標語」

古来の仏祖 いたづらに
一日の功夫をつひやささざる儀
よのつねに観想すべし
遅遅花日も明窓に坐しておもふべし
蕭蕭雨夜も白夜に坐してわするることなかれ

―――  『正法眼蔵 行持 上』

今月は『行持』の巻について述べたいと思います。
行は修行のこと、持は護持・持続のことですので、行持とは仏道の修行を怠りなく無限に継続していくことを言います。
道元禅師の『正法眼蔵』「行持」巻は、上下に分かれておりまして、『正法眼蔵』中最長の巻です。
それでは、少し内容を見てみましょう。

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「この一日の身命は、たふとぶべき身命なり、たふとぶべき形骸なり。かるがゆゑに、いけらんこと一日ならんは、諸仏の機を会せば、この一日を曠劫多生にもすぐれたるとするなり。
このゆゑに、いまだ決了せざらんときは、一日をいたづらにつかふことなかれ。この一日は、をしむべき重宝なり。尺璧の価直に擬すべからず、驪珠にかふることなかれ。古賢をしむこと身命よりもすぎたり。
しづかにおもふべし、驪珠はもとめつべし、尺璧はうることもあらん。一生百歳のうちの一日は、ひとたびうしなはん、ふたたびうることなからん。いづれの善巧方便ありてか、すぎにし一日をふたたびかへしえたる。紀事の書にしるさざるところなり。もしいたづらにすごさざるは、日月を皮袋に包含して、もらさざるなり。
しかあるを、古聖先賢は、日月ををしみ光陰ををしむこと、眼睛よりもをしむ。国土よりもをしむ。
そのいたづらに蹉過するといふは、名利の浮世に濁乱しゆくなり。いたづらに蹉過せずといふは、道にありながら道のためにするなり。
すでに決了することをえたらん、又一日をいたづらにせざるべし。ひとへに道のために行取し、道のために説取すべし。このゆゑにしりぬ、古来の仏祖、いたづらに一日の功夫をつひやさざる儀、よのつねに観想すべし。遅遅花日も明窓に坐しておもふべし。蕭蕭雨夜も白屋に坐してわするることなかれ。」

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(現代語訳)
この一日の身命は、尊ぶべき身命であり、尊ぶべき人身です。それ故に、生きていたのがわずか一日であっても、もしも諸仏の働きを会得したならば、その一日は無限の時間にわたる多くの生よりも優れていたことになるのです。
だから、諸仏の機をまだ会得していないのなら、一日を虚しくすごしてはなりません。この一日(今の命)は、大切にすべき宝なのです。これは一尺もある宝玉の価値とも比べものにはなりません。驪竜の玉と取り換えることもできません。昔の賢者は、この一日を身命よりも大切にしたのです。
静かに落ち着いて考えてみなさい。驪竜の玉は求めて得られぬこともないでしょう。一尺の宝玉を得ることもあるでしょう。しかし、一生百年の中の一日は、一度失えば二度と得られないのです。どのような手段を使って、過ぎた一日をまた取り返すことが出来ましょうか。歴史の書にも、そのような例は書きしるされていないのです。月日を無駄にして過ごさないということは、自己の命である光陰(時)を大切にして空費しないことなのです。
そのために、昔の聖人や賢人たちは、月日を惜しみ時を惜しむこと即ち、自分の眼よりも惜しみ、国土よりも惜しんだのです。空しく時を過ごすというのは、名譽と利益の追求に明け暮れる浮世の生活をするということです。月日を無駄に過ごさないとは、道にありながら道一筋に日々行ずることです。
すでに諸仏の機を会得した者は、一日を無駄にすごすことはないのです。ひたすら道のために行じ、道のために説きなさい。
このために、昔から仏や祖師が、一日として功夫をせずに空しくすごしたことがなかったことが知れるのであり、いつも観想しなさい。
以上のことを、日の長いのどかな春の日にも、明るい窓辺に坐して思いなさい。また物寂しい秋の雨の夜にも、そまつな草庵に坐して忘れてはなりません。

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さてさて、相変わらず難解な御文章ですが、それでも何度も読み返してみると道元様の「仏道の修行を怠りなく無限に継続していく」という事への並々ならぬ熱意、御心情が伝わってくるような気がいたします。
「修行」と言いますと、「難行苦行」を連想し、足が組めない、足がしびれる、考え事ばかりが起こる、集中できない、眠い、等々、継続していくのがとても難しいと思う方もいるかもしれません。確かに、今まで常宿寺に坐禅を希望して160名ほどの方が来ましたが、現在続いているのが3〜4名で、それ以外の方が殆ど数日か短期間で終わっているところから見ても、容易なことではないのでしょうが、何事でも一つの事を成就しようと思えば、長期間継続して行うのは当然のことなのですから、あまりにも早く断念してしまったということは初めから修行には向いていなかったのか、本気ではなかったあるいは、坐禅に対して勝手に思い込みを作り上げそれと違うという事で止めてしまったのでしょう(これが案外多くて2年前後通ってきてもどうにもならなかった方が7人程…、思い出しただけで溜息!)。

今、手元にたまたま新聞の記事があります。ソウル五輪のシンクロナイズド・スイミングで銅メダルを取り、その後メンタルトレーニングの指導士になられた田中京さんがメンタル訓練について書かれた記事なのですが、結論を言ってしまうと、メンタルの訓練も「練習を積み重ねて始めて効果がでる」というものです。「朝日新聞2014年5月17日私の視点」
(http://www.asahi.com/articles/DA3S11139646.html からでも読めます。)

先月のこの欄でご紹介させていただいた森美智代さんの食事療法も毎日の努力の結果です。これが2,3日おきとか「1週間に一度だけ青汁」などということをしても、うまくいかないだろという事は誰にでもわかることでしょう。毎日やるから食事も身体も変わっていくのです。森さんは初めから青汁1杯だけの食事にしようと決めて頑張った訳ではありません。
医者から見放された病気を克服したいと、様々なことを試行錯誤しながら、気が付いたら何年もかかって、結果的に青汁一杯になったのです。私はこれも立派な仏道修行と思います。道元様も食事については重く見られ、『典座教訓』を著しておられます。これこそを行持と呼ぶべきでありましょう。

同じ様にご紹介した気功師清水先生も、「まずは3ヶ月を目標に。 最初は苦しいけど3ヶ月くらいで余裕になるよ。 人は3ヶ月で本当に変わる。そうすると、底知れない自信が自分の中から生まれます。
何も無くても私はやれると思える自信をもつには何かをやり続けるしか無い。」と断言しておられます。

お寺で行っている、坐禅やヨーガにみえる方にも、毎日最低5分でも良いからやってとお願いするのですが、皆様に実践状況を聞いてみますがなかなか難しいようです。
坐禅も毎週1回来る方ことにしていた方が結果的に一番ダメでした。毎週来ることにきめると、本人にしてみれば、結構頑張っているつもりなのですが、こちらから見るとどうしようもないのです。そしてどうにもならないうちに、本人もそれに気が付いて止めてしまうというパターンになります。ですから、道場には来なくても、是非とも家で毎日行う必要があるのです。

「仏法は学課ではない。「自分の身体をどうするか」である。――人間の身体は大変便利にできている。この便利な身体をいったい何につかっているか。…たいてい煩悩の奴隷につかっている。この煩悩の奴隷でないつかいかたをするのが仏法である。――身心のおさめ方である。」

「仏法とは行によって得る。身をもって得るのじゃ。つまりあらゆる筋肉のおさめ按配が坐禅相応というのでなければならぬ。坐禅を標準として生活態度を訓練するのが「行」である。この「行」があって「安心」というものは充実する。あらゆる生活態度が「行」でなければならぬ。」
(『禅に聞け――澤木興道老師の言葉』より)

2014年 「7月の標語」

人はまさに自ら繋念して
量を知り 食をとらねばならぬ
さすればその苦しみ少なくして
老いること遅く
よく寿を保つであろう

――― 『南伝 相応部経典 3,13 大食』

ブッダに帰依していた、コーサラ国の王パセーナディは、大食漢で非常に肥え太っていたそうです。
ある日も、大食をした後、大汗をかきながらブッダの所にやって参りましたので、ブッダはそのさまをご覧になっておっしゃいました。
「人はまさに自ら繋念して、量を知り、食をとらねばならぬ。そうすればその苦しみ少なくして、老いること遅く、よく寿を保つであろう。」
その時、スッダナと言う少年が王の後ろに立っておりましたが、王はスッダナに「今の偈をそらんじて、私の食事の時に誦するが良い。そうすれば毎日汝に百銭ずつ施を行うであろう」といいました。
スッダナがその言いつけどおりに、王の食事の度にブッダの偈を唱えたところ、王は次第に食事の量が減り、1ナーリの量で、満足出来るようになりました。さらに体重が減ってきて健康にもなり、容貌も良くなっていきました。王は歓喜して以下のように申しました。
「誠に、世尊は二利をもって、わたしに恵みたもうた。わたしは現在の利益と、未来の利益とを得ることができた。」

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という訳で、今月は「食事について」述べてみたいと思います。この偈にあるように食事の度に「食べ過ぎてはいけません、ほどほどにしておきなさい」などと誰かが言ってくれるなどと言うことは、普通ではありえないことですし、あったとしても「あと一口だけ…」と、欲望に負けて自分に甘くなるので、ダイエットには苦労する方が大勢いらっしゃるのでしょう。
「食欲、性欲、睡眠欲」は体に付随する基本的な欲求ですから、コントロールが難しいのは致し方ないことなのかもしれません。

私自身の食事について申し上げますと、坐禅を始めた30年ほど前から、自然の成り行きで夜の食事は止まってしまいました。現代の普通の人々の食事は、朝昼が軽くて、量的にも夜が多いのが一般的のようですから、夜の食事をしないなどと言うと、非常に怪訝な顔をされることが多いです。
家族が寝ている内から起きて坐禅をしようとすると、3時位に起きないとできません。寝る前に食事をすると、翌日胃がもたれるし、食べない方がずっと寝醒めが良いと、坐禅を始めた当初にすぐ分かりましたから、止めてしまったのです。
(専門僧堂で安居した時は、朝は玄米粥、昼食が一番重く、夜は薬石と言って、昼の残りものに、うどん位で、それも席には着いても取らなくても自由でしたので、私には良いことだらけでした。)
それ以来、ず〜っと二食で来ておりましたが、昨年9月に檀務の忙しい時がありまして、たまたま昼食をとる時間が持てなかった時に、夜になっても空腹感を覚えず、翌朝まで行けたので、これは昼食も抜いても問題ないかもと思い、それから食事は、朝一食(玄米の豆乳粥と野菜)になりました。

夜の食事をしないというだけで驚かれたのに、食事は朝1回だけと言うとますます奇異の目で見られるようになりましたが、それとは裏腹に、体調はますます良くなっていきました。さらに驚いたのが、睡眠時間が短くなったことでした。元々、3時には起きることにしていますので、9時に寝て6時間の睡眠時間を確保したいと思っていたのですが、一食になってからは、9時に寝ても、午前1時から2時の間に目が覚めてしまうので、(つまり4時間半睡眠)自然に目が覚めた時に起きることにしました。これも無理やり起きるのではなく、すっきりと目覚めるのでこれ以上寝てはいられないという感じなのです。この標語を書いている今、2時15分です(^!^)。

このような状態を、坐禅や、ヨーガ教室にみえる方たちに御話しましたら、朝一食どころか、「不食」つまり食べない人も現におられるという事を教えて頂きましたので、ネットで色々調べてみました。

一番初めに知ったのが、一日に抹茶茶椀一杯の青汁のみで、13年間生きている森美智代さんでしたので、ご著書を早速取り寄せて読んでみました。

『食べること、やめました』―1日青汁1杯だけで元気に13年
森 美智代 著  マキノ出版 (2008/4/26)  以下ご著書のプロフィール参照。

森 美智代(もり みちよ)さんは、1962年、東京都生まれの52歳。短大卒業後、養護教諭として小学校勤務をしていた1984年に難病の脊髄小脳変性症を罹患。以来、西式・甲田断食療法を行い、難病を克服。その後、鍼灸師の資格を取得し、大阪市八尾市で鍼灸院を開業。現在、森鍼灸院院長。本格的な断食・生菜食療法を実施してからすでに30年、1日青汁1杯のみの生活になってからは18年を超えています。2010年秋には森さんを主人公としたドキュメンタリー映画『不食の時代―愛と慈悲の少食』(白鳥哲監督)が公開されました。

映画『不食の時代―愛と慈悲の少食』予告編(2分バージョン)
http://www.youtube.com/watch?v=fsxug-12fz0

詳細は、上記の著書に載っていますので読んで頂ければわかりますが、森さんは、最初から食べることを「やめた」わけではないのです。そこには、21歳で襲われた不治の難病「脊髄小脳変性症」との壮絶な闘いがありました。「余命5年、現代医学では助からない」と宣告された森さんは、絶望の淵から藁をも掴む思いで、断食療法を実践指導する甲田光雄医師のもとを訪ねました。甲田医師は、「おなかにガスがたまっているのが原因。だから断食すれば治る」と告げました。
このような経緯で、玄米菜食、断食、生菜食、少食療法、西式健康法・・・などによる闘病が始まったのです。病状は一進一退を繰り返しながらも、次第に回復していき、ついに医学的には完治。1日青汁1杯のみの生活になってから現在に至るまでに丸18年を超えているのです。

その間、理研、大阪私立大学、順天堂大学等で、森さんは医学的検査をうけました。
その結果判明したことは、
1、森さんの腸内細菌の機能は「人間離れして牛並み」であり、青汁の中の食物繊維まで分解して、たんぱく質や脂肪を作り出し、しっかり栄養源にしているということ。
森さんの腸内の細菌構成は、イモ類などの植物性食品しか食べない、パプアニューギニアの人たちに近いということ。
2、普通なら捨ててしまう尿素を再利用し、栄養源として使っているらしいこと。
3、ブドウ糖不足をまかなうケトン体が「強陽性」
身体は飢餓状態に陥ったとき、体内にエネルギー源が不足していると、その代用として脂肪酸やアミノ酸の代謝産物の「ケトン体」を多く出すのだそうです。(断食をすると2〜3日でケトン体が増える)
ブドウ糖が不足・欠乏しているとき、ケトン体であるアセト酢酸やβ-ヒドロキシ酸が、脳のエネルギー源として使われているそうで、超少食実行者の糖質摂取量の不足は、脳のエネルギーの低下を起こすことなく、かえって頭が冴え、脳の働きが活発になるという報告は、このブドウ糖不足を補う機能として、ケトン体の存在があるかららしいのです。

(不食の人の研究結果として上記以外に言われているのは脳内の松果体が普通の人より大きく、メラトニンを多く分泌している、ということ。
多量に分泌されたメラトニンによって基礎代謝が低くなり燃費の良い身体になっている。脈拍数や呼吸数が低下しエネルギー消費が減り、さらに基礎代謝が下がる。 つまり通常の人より少ないエネルギー量で生き続けられるということ、なのだそうです。体感的には私の場合はこれが一番近い様な気がしています)

以上のような研究結果に鑑みて思いますことは、現代のような飽食の時代の食生活は、元々備わっている潜在能力を低下させ、自然治癒力を損ない、ひいては様々な精神疾患を招いている元凶かもしれないということです。

普通の社会生活において「食べていける」という生活能力が価値基準の一つになっていることは間違いありません。ふた昔位前の夫婦喧嘩で最後に発せられる夫の決まり文句は「誰のおかげで飯が食えると思っているのか」でした。年を取って働けなくなった時の一般人の悩みは「食べられなくなったらどうしよう」ということです。そのくらい、「食べていける」という事は重要なことだったのです。生きる為に「食べる」ことが不要になる、即ち食べなくても生きて行けるのであれば、そのようなことから解放されるということ、であることは容易に理解して頂けるでしょう。これは即ち「食べなければならないという恐怖」から解放されるという事です。

さらに付記しておきたいことは、森さんは青汁を飲む以外に、西式健康法の体操をなさっています。私も森さんの著書を読んでから、西式は毎日実行しています。私の場合はそのほかに、ヨーガと、気功師清水義久先生提唱の呼吸法を全部で30分位毎朝行っています。これも4時半からの坐禅の前の、恐らくほとんどの皆さんが寝ている時間に、欠かさず毎日楽しく行っています。
よく食事療法だけ切り離して提唱している方がいますが、それだけでは不十分ですし、実現不可能のように思います。
清水先生の呼吸法(http://kikou.info/page/cat2/cat4/184.php)

以上述べてきたようなことは、誰にでも当てはまることではないかもしれません。特異なケースかもしれません。でも、現実にこのようなことが起きていることは事実なのですから、限りある現代の医学的な知識ですべてを判断しようとしたり、いわゆる常識の枠にはめこもうとすることは、存在の自由、生き方の自由を損ねるものであるように思います。

最後に一言「たいていの者は食うために働く。これでは人間一生口に使われる。これはもう負け戦で、そんな人間はまことに困った弱虫の動物…口に全部使われるという動物なみの人間といわなければならぬ。」(澤木興道老師『禅談』「食堂の宗教」148頁)

2014年 「6月の標語」

四には勤精進
諸の善法に於いて勤修すること無間なり
故に 精進と云う
精にして雑ならず 進んで退かず

――― 『正法眼蔵』「八大人覚」

今月は、『正法眼蔵』とは、一見関係なさそうなテレビドラマの御話から始めさせて頂きます。毎朝8時から始まるNHKの連続テレビ小説は『あまちゃん』『ごちそうさん』等と近年続けて大変話題になっていることは知っていましたが、ちょうどお勤めに出かける前の一番忙しい時間帯ですから観る暇もありませんでした。
ところが26年度上半期『花子とアン』は翻訳家村岡花子さんがモデルになっていると知り、村岡さんが翻訳した本を沢山読んで少女時代を過ごした私としては、大変に興味が湧き、しかも衛星放送で7時半から放送していることが分かりましたので、観ることにしました。
御覧になっていない方の為に今までのあらすじをご紹介します。(以下wikipediaより)

「山梨県甲府の貧しい小作農家に生まれ育った花は、家の手伝いのため学校に通えなかったが、1900年(明治33年)7歳の時、行商人の父・吉平からもらった絵本に強い興味を持ち、父に導かれ尋常小学校に通い始める。読み書きを習い始めた花の聡明さに感心した父は、彼女を東京のミッションスクール・修和女学校へ編入させようと動き出す。家族と周囲に反対され諦めざるを得なくなるものの、花の本を愛する気持ちは3年の年月を経て母・ふじと祖父・修造の気持ちを動かし、女学校への転校が叶う。
女学校へ転校当初、慣れない環境と苦手な英語に囲まれ花はホームシックになるが、課題で不正を犯し、外国人教師を傷心させた際に校長から助言を受け、懸命に英語の勉強に取り組む決意をする。自分が話す英語で外国人教師と和解した喜びは、その後の英語の勉強への励みとなり、本科に進級した5年後には、英語の成績はクラスで一番になるほど優秀になる。更に、通訳や英文の翻訳をするほどの実力を付け、英語力を認めた教師たちから、出版社のアルバイトを紹介されたり、英語教師への推薦話が持ちかけられ、卒業式では校長の通訳の任務を果たす。」

5月17日(土)放送の第42話は、10年在籍した修和女学校の卒業式でした。
卒業生を代表して畠山鶴子が謝辞を読みます。
「ブラックバーン校長先生はじめ先生方。長い間のお導きに感謝申し上げます。ここで過ごした女学生時代ほど楽しい時代は二度と来ないと思います。 私たちの生涯のうちで一番幸せな時代はこの学校で過ごした日々です。本当に有難うございました。」

これを受けてブラックバーン校長が以下のような祝辞を卒業生たちに送ります。
校長先生の傍に立ち、その言葉を列席者に通訳をしたのは、はなでした。

My girls!
Grow old along with me.
The best is yet to be.
わたしの愛する生徒たちよ
我と共に老いよ 
最善は今ここではなく なお後にきたる

If some decades later,
You look back on your time with us here
and you feel that these were the happiest days of your life,
then I must say your education will have been a failure.
今から何十年後かに あなた方がこの学校生活を思い出して、
あの時代が一番幸せだったと、心の底から感じるのなら、
わたしはこの学校の教育が 失敗だったと言わなければなりません。

Life must improve as it takes its course.
Your youth you spend in preparation
because the best things are never in the past, but in the future.
人生は進歩し続けるべきものです
最善のものは過去にあるのではなく未来にあるのですから
若い時代は準備の時なのです。

I hope that you pursue life,
and hold onto your hope and your dream
until the very end of the journey.
旅路の最後まで 希望と理想を持ち続け 
進んでいくものでありますように

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この時、ドラマをご覧になっていた方は、言葉ではどのようにも表現できない感動を共有して頂けたことと思います。私の中にもグッと込み上げてくるものがありました。どちらかと言いますとドラマの前半部分では、非常に厳格な「コワイ」イメージが強かった校長先生が、こんなにも生徒たちの事を本当に愛し、幸せを願って止まないのだ、ということが直に伝わってきたシーンでした。
ブラックバーン校長を演じていらっしゃったのはトーディ・クラーク(Tordy Clark)さんで、長年ロスアンゼルスでアクトレス、アクティングコーチとして活躍なさっていたそうで、さすがに本場仕込みの演技は圧巻でした。

そして卒業式が終わり、富山タキ先生からも花に向けて以下の言葉が贈られました。

Every woman is the architect of her own fortune.
自分の運命を決めるのは自分自身です

富山先生も、花にはかなり厳しい先生でしたが、この言葉は先生が自身にも常に語りかけていた言葉なのではないかと思います。
この場にいた校長先生は、花に向かって「Hana, I am proud of you.」と言う最上の言葉で、花の10年間の精進と努力を褒め称えたのでした。

卒業式とは、新たな門出の日、めでたい日ではありますが、私は校長先生のスピーチの感動に浸っていました時、ふとお釈迦様が入滅される時の御遺言、また道元様最後の御教勅『八大人覚』を思い出しておりました。

お釈迦様も道元様も、いよいよ人間として今生を卒業する時が近づいたことを悟られた時に、弟子たちに渾身の想いをこめ残された言葉。それは「怠らず努めよ」(常精進)でした。

『八大人覚』とは、大人(たいにん:仏、菩薩)が覚知するべき八種の法門を具体的に道元様が説かれたものです。
1、少欲。2、知足。3、楽寂静。4、勤精進。5、不忘念。6、修禅定。7、修智慧。8、不戯論。の8項目で、その第4に勤精進です。

「四には勤精進。諸の善法に於いて勤修すること無間なり、故に、精進と云う。精にして雑ならず、進んで退かず。仏言く、汝等比丘、若し勤め精進せば、則ち事として難無き者無し。是の故に汝等、当に勤め精進すべし。譬えば、小水の常に流るれば、則ち能く石を穿つが如し。若し、行者の心、数々懈廃せんには、譬えば火を鑽るに、未だ熱からざるに而も息めば、火を得んと欲ふと雖も、火を得べきこと難きが如し。是れを精進と名づく。」                  

つまり、「僅かな水滴でも長い年月が経てば岩をも穿つし、あるいは錐で火を起こす時に充分熱くならないうち止めてしまったら火は起きないので必死にやり続けなければならない、これと同じように、少しずつでも、僅かずつでも進み励み続けよ。」とのお示しです。

道元様も目の当たりお会いさせて頂いたら、きっとブラックバーン校長先生のように、大変厳格ではあるけれど、弟子(生徒)たちに対しては、本当の意味の情愛の深いお方でいらしたのでは?と花のように想像の翼を広げてしまいます。(今月は引用ばかりで m(._.*)m )

2014年 「5月の標語」

自己をはこびて万法を修証するを迷とす
万法すすみて自己を修証するはさとりなり

――― 『正法眼蔵第一 現成公案』

常宿寺では、毎朝4時半から5時半まで坐禅を行っております。坐禅後の行茶の時、参禅者の御話なさることを聞いていて、ふと思い出したのが上記『現成公案』のこの一節でした。

今から18年前、駒沢大学仏教学部に編入学し、初めて学ばせて頂いた『正法眼蔵』が『現成公案』でした。手元にその時のノートがありますが、今読み返してみましても全く難解な文章なのですから、当時はなおのことチンプンカンプンでした。

ちなみに冒頭部分をご紹介しましょう。

「諸法の仏法なる時節、すなわち迷悟あり、修行あり、生あり、死あり、諸仏あり、衆生あり。
万法ともにわれにあらざる時節、まどひなく、さとりなく、諸仏なく、衆生なく、生なく滅なし。
仏道もとより豊倹より跳出せるゆゑに、生滅あり、迷悟あり、生仏あり。
しかもかくのごとくなりといえども花は愛惜にちり、草は棄嫌におふるのみなり。

自己をはこびて万法を修証するを迷とす、万法すゝみて自己を修証するはさとりなり。 迷を大悟するは諸仏なり、悟に大迷なるは衆生なり、さらに悟上に得悟する漢あり、迷中又迷の漢あり。
諸仏のまさしく諸仏なるときは、自己は諸仏なりと覚知することをもちゐず。しかあれども証仏なり、仏を証しもてゆく。
(中略)

仏道をならふといふは、自己をならふ也。自己をならふといふは自己をわするゝなり。自己をわするゝといふは、万法に証せらるゝなり、万法に証せらるゝといふは、自己の身心、および他己の身心をして脱落せしむるなり。」

当時、講義を受講し、一生懸命図書館に通って作成しましたノートに基づき、少しでも理解して頂けるように現代の言葉に置き換えてみましょう。(ノートには沢山の先生方の解説が書き込まれていますので、今となってははっきりしませんが、恐らく、河村孝道先生が校訂された解説が大部分の元になっていると思います)

「宇宙におけるすべての存在の現実の世界が現れている時、迷悟も修行も生死も諸仏、衆生もそれぞれの姿で、あるがままにそこにある。すべてのものに固定不変の実態がないという諸法無我の立場からみれば、迷いも悟りも諸仏も衆生も生滅もないのであるが、仏道においては、豊かとか乏しいとかいう相対的な有無の対立を超えているので、生滅も迷悟も衆生も仏も前の通りそのまま絶対的肯定としてただそのまま存在するのである。

しかも理としてはそうであるが、花は惜しまれながら散り、雑草は嫌われながら生い茂る。(絶対的肯定といっても、何かを見て不感症のように何とも思わなくなるのが禅なのではない)

自分の方から自分の考えを規準にして存在するものすべてを相対的に捉えていくことを迷いという。(それとは逆に)万法に現成している大いなる力がそれに催されて感得されてくることを悟りと言う。(そこでは自己が忘れられている)

迷っているという状態が、はっきりわかっている人は仏である。それに対して、本来悟っている状態でありながら迷うのが普通の人である。そしてまた悟った上にさらに悟りぬく人もいる。逆に迷いに迷いを重ねていく人もいる。
悟りを開かれた仏様たちがそれになりきっている時は、自分は悟ったと意識する必要はない。

しかし仏には間違いはなく、仏としての事実を無限に実証していくのみ。自分が悟ったとかいう実感は何もないけれども、仏としての日常生活を間違いなく着々と送っていく。
(中略)

仏道を学ぶということは、仏法と一体となっているという意味の自分自身をとらえるということである。
本当の自分を学ぶということは、利己的な我を放棄し、仏の加被力に包まれること。自我を放棄するということは、万法の在り方通りになって、仏の力を感得すること、自分が法の中の一つになること。

万物一体観の上に立った時、自他の差別がなくなり、根源と一体になる。」

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と、ここまで書いてみて、やはり現代の言葉に置き換えるべきものではないと…分かりますね。

道元様のお言葉は、ひたすら坐禅を行じ続けている身体で、初めて体感させてもらえるものであるように思います。

私は毎日の坐禅を始めて30年程になります。当初は「1分坐れば1分の仏」と言う言葉に「騙されて」始めたのでしたが、10年目くらいまでは騙されたと思っておりました。しかしそれは私が、本当に坐禅が分かっていなかったからなのだということを、最近になって坐禅に教えて頂けたような気がしています。そこに「諸仏の機(ハタラキ)」がみえます。

辛くて鬱々とした気持ちから必死に逃げ出そうとして始めた坐禅でしたが、その時から今日まで、自分が続けて来たのではなく、続けさせて頂けたのだと今になってつくづく思います。

昨年「9月の標語」で「全機」をとりあげました。
「「諸仏の機を会せば」と述べられてはいますが、私どもは常に「諸仏の機」に会っているのですが、気が付かないだけなのです。否、会っているどころか、私共が生かされていることそのものが「諸仏の機」なのです。また道元様は「森羅万象すべてのことに諸仏の機が何物とも相対せず常に働き現れている」ということを「全機」とおっしゃっています。

そしてこの「働き」に心の底から気づき、体感し、それと対立せず、生きることができるようになることを「悟り」というのだと思います。」と書きました。

もちろん、私は、「悟り」についておこがましいことを言う資格はないことを重々承知しておりますが、それでも、30年休まず坐禅を続けさせて頂け、「諸仏の機」に気づかせて頂けただけでも、この世に生を受けた意味を教えて頂けたような気がして、心の底から感謝させて頂く毎日です。

私が、ダラダラ現代語訳したものを御読みになってもさっぱり分からなかったアナタ。安心なさって下さい。澤木老師が簡潔な言葉で、ズバッとおっしゃっています。

「身心脱落と言うたって、ただ「おれがおれが」ということを捨てるだけじゃ。」

「「これでよい」という世界があるものでない。それなのにどこぞに「これでいい」という世界があると思うて、それを求めてウロウロ歩きまわる。――ウロウロしたって仕様がないやないかそれじゃ泣き寝入りするか。そうじゃない。ウロウロしない世界にドッカと坐っておるこっちゃ。」
『禅に聞け――澤木興道老師語録』より

私が参禅者の方の話をお聞きしていて、申し上げたかったことはつまるところ、これなのでした。

「自己をはこびて万法を修証するを迷とす」とは、全ての事に対して、「自分が自分が」と言うことが先に出てくる世界。
自分の身体、自分の家族、自分の家、自分の仕事、自分の会社、自分の命、自分がしている坐禅。

「万法すすみて自己を修証するはさとりなり」とは、全てが相互の働きの中で存在し、その中で与えて頂き、生かして頂いている世界。

全てが与えられているものである以上、ウロウロ歩きまわる必要などないのです。

2014年 「4月の標語」

ただ一つの真理を逸脱し
うそをつき
彼岸の世界を無視している人は
どんな悪でもなさないものは無い 

――― 『法句経』 第13章 世の中 176

最近、「STAP細胞」で大きな注目を集めた小保方晴子氏。あまり関心のない方のために、事件の概要を、Wikipediaから抜粋してご紹介します。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E4%BF%9D%E6%96%B9%E6%99%B4%E5%AD%90

「小保方 晴子 (おぼかた はるこ、1983年6月29日 〜 )は、日本の細胞生物学者。学位は博士(工学)(早稲田大学・2011年)。独立行政法人理化学研究所発生・再生科学総合研究センター・細胞リプログラミング研究ユニット・ユニットリーダー。

2014年1月28日、「外からの刺激で体細胞を初期化することにより、全ての生体組織と胎盤組織に分化できる多能性を持った細胞(STAP細胞)を作製する方法を世界で初めて確立した」と発表した。

(博士論文)
2011年3月、学位論文「三胚葉由来組織に共通した万能性体性幹細胞の探索」により、早稲田大学から博士(工学)の学位を取得した。 この論文の審査には主査である常田聡(工学博士、早稲田大学教授)のほか、武岡真司(工学博士、早稲田大学教授)、大和雅之(理学博士、東京女子医科大学教授)、チャールズ・バカンティ(ハーバード大学教授)がかかわっており、このうち常田、大和、バカンティの3人はSTAP細胞の研究メンバーでもある。

(博士論文に対する疑義)
論文内容博士論文の冒頭の約20ページ分の文章が、アメリカ国立衛生研究所のサイト「Stem Cell Basics」からのコピー・アンド・ペーストであることが指摘された。これらの指摘を受け、博士論文を審査した早稲田大学教授の武岡真司は、大学院先進理工学研究科が調査に乗り出すことを表明した。
また、論文内の画像が、バイオ系企業コスモ・バイオのプライマリーセル事業部(かつてのプライマリーセル)のウェブサイトの「肝細胞培養キット」のサンプル画像に酷似していることが発覚し、小保方がコスモ・バイオのウェブサイトから画像をコピーしたのではないかと指摘された。
さらに、博士論文の参考文献リストも一部が文字化けしているなど別の論文からのコピー・アンド・ペーストであり、意味不明な内容になっていると指摘された。

(STAP細胞研究論文の疑義に関する調査中間報告)
2014年3月14日、理化学研究所は研究論文の疑義に関する調査中間報告を発表し、記者会見を行った。会見要旨は以下の通り。
理事長野依良治は、小保方について「1人の未熟な研究者が膨大なデータを集積し、極めてずさんな取り扱いをして、責任感に乏しかった」と指摘。
 調査委員会では、STAP細胞に関する論文で改ざんなどが疑われる6つの項目について、小保方らから聞き取りを実施し、検証。このうち、画像の切り貼りや他の文献からの記述のコピーなど4つの項目で不適切な取り扱いが認められた。
小保方は、論文の見栄えを良くするため画像を加工したことを認め「やってはいけないという認識がなかった」と主張。
調査委員長石井俊輔は、「研究倫理を学ぶ機会がなかったのか」と小保方の姿勢を疑問視。
センター長竹市雅俊は、STAP細胞の万能性を示す画像が小保方の博士論文の画像と同一だった点について「論文の体をなしていない」と評価し、小保方を採用したことに関して「過去の(研究ぶりの)調査が不十分だったと深く反省している」と陳謝。
論文を指導した理研発生・再生科学総合研究センター副センター長笹井芳樹は、小保方と共同での論文作成に大きな役割を果たしており、これについて野依理事長は「責任は非常に重い」と批判。」

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1月末、各メディアが大々的に取り上げ、その時の小保方氏の華やかに着飾った様子には、研究者らしからぬ雰囲気は感じたものの、それは決して悪い印象ではなく、「こんなにも若くてかわいらしい女性が、こんな素晴らしい研究成果を上げて…」と私まで誇らしく感じたことを思い出します。
  
発表後、比較的早い時期から画像についての疑問がポツポツと報じられ始めましたが、やっぱり「出る杭は打たれる」で、アラ探しをされて気の毒に…位に思っておりました。ところが、その後次々と論文の剽窃、盗用、コピペなどの問題が明るみに出てきた段階で、これは「万事休すだ」と思わざるを得ませんでした。

暗い、想像を絶するような事件が続く今日この頃、久々に明るいニュースに触れた時の喜びが大きかっただけに、このところの騒動には、当初もてはやされた頃とのギャップが大きすぎて、正直申しまして、日常生活に障る位、気持ちが落ち込んでいます。


そもそも、今ここまで書いてきた私も直前に行ったように、何か文章を書こうとした場合、インターネットで色々調べます。キーワードを入れて、ポンと「検索」をクリックしますと、膨大な量の記事が瞬時に現れて参りますから、パソコンとは本当に便利なものです。

ただ、あまりに便利すぎて、その使い方を誤ると、大変なことになるという教訓を今回の小保方氏の事件は証明しているように思います。それは「諸刃の剣」のたとえのように、一方では大変役に立つものであっても、使い方を誤ると命取りになるほどの危険を伴います。

 私は、先月当ウェブサイト「3月の標語」に、さだまさしさんの歌の歌詞を引用致しましたが、それをサイト上にアップする場合でも、著作権の問題がありますから、一応「歌詞の引用」で検索して、問題ない範囲で取り上げさせて頂きました。ウチのお寺の様な小規模なサイトでも、「毎回楽しみに読んでいます」と言って下さる方もいらっしゃるので、それなりに気を付けております。
  
同じく「坐禅を科学する」のページにしても、引用元を掲げておりますが、引用させて頂く時には、メールとかお手紙で、このページの記事の趣旨をご説明し、掲載の許可をそれぞれの方々に頂きました。人によっては、文章の中身や構成についてまで色々親切にアドバイスして下さったり、オリジナルの画像を作成して下さったりと、本当に良い思い出になっています。隠居様は、当時私がそこまでやるのを見ていましたので、「なんでそんなことが必要なのかとその時は思ったけど、今回の事で、どうしてそれが必要だったのか初めて分かった。」とおっしゃいました。

こういった事態になってみて思うことは、大事な一世一代の論文に、ここまで盗用部分が多いということは、小保方氏の場合、不正行為は今回が初めてではないのではということです。「早稲田大学」「ハーバード大学」「理化学研究所」と言う華々しい履歴を見ただけで、一般的には研究成果にも箔を与えるのに十分で、私も含め素人は鵜呑みにしがちだと思います。

結果論ですが、そういう履歴を通過するたびに、その都度かなり危ういことをやってきたのに、なぜかそれぞれの機関でチェック機能が全く働いていなかったのでしょう。彼女の「うそ」がまだ些細なものであった頃から、不正は不正として指摘されるような周りの雰囲気があり、本人もこれではいけないと反省するような機会があれば、ここまで騒ぎが大きくならなかったのでは…と非常に残念に思います。

他人様の文章や画像を断りもなく自分のオリジナルのような顔をして、勝手に自分の文章内に取り込んではいけないなどということは、教えられなくても分かりそうなものですが、世間をそこまでなめていたのでしょうか?本当に世間知らずだったのでしょうか。或いはネットでも散々言われているように、どこの大学でも似たり寄ったりの現実があったのでしょうか。

論文の不正について詳しすぎるくらい検証された以下のようなサイトもあります。
http://stapcells.blogspot.jp
この検証を読むと、今回の事件は、本当に氷山の一角だったことがよくわかります。
こんなにも世の中の道徳的レベルが低下してしまっているなど言うことを、信じたくありません。

小保方氏は、陰では色々言訳しているようですが、画像を間違えた、単純ミスだというのであれば、正しい方のデータを速やかに公表すべきであるのに、一か月以上も経つのにいまだにそれさえできない訳ですから、STAP細胞そのものの真偽を疑われても致し方ありません。
  
 結果的に、誰かが成果を追試し、その存在が万が一証明される日が来ても、ここまで論文そのものに不正行為があると、彼女の業績にはならないでしょう。失った信用を回復するのはほぼ絶望的であると思います。

理化学研究所も、今頃になって、彼女を痛烈に批判しておりますが、発表までに研究所におけるチェック機能が働かなかったという点で、彼女をここまで批判する資格があるとは思えません。世間に対する責任は負うべきであると考えます。世紀の大発見レベルの論文であれば、どんなところから検証されても大丈夫なくらい注意深くあらねばならないのは当然のこと。「やってはいけないという認識がなかった」と言うことを本人が言っているなどと発表するに及んでは、在り得ないことで、あまりの事に言葉を失います。

また、今までのところ調査中としながら沈黙を続けている早稲田大学にも当然責任はあるでしょう。彼女一人を血祭りにあげ、彼女だけがマスコミの餌食になっているような状態を速やかに収束させるべきであると考えます。誰か一人を悪者に仕立ててそれですむ様な問題ではないはずです。

「今の科学的文化は、人間のもっとも下等な意識をもととして発達しておるにすぎぬということを忘れてはならぬ。」
「こんなに利口ぶって、こんなにバカになってしもうたのが、人間というバカモノである。」
「科学の発達のわりに、人間がちっともエラクなっていないのはどういうわけか。」 
(澤木興道老師語録『禅に聞け』より)

今年五十回忌を迎える澤木老師のお言葉です。50年前は、パソコンも、携帯も、スマホもありませんでした。それでもここまでおっしゃる慧眼には恐れ入るばかりです。  (-_-;) 

2014年 「3月の標語」

同事といふは 
不違なり
自にも不違なり 
他にも不違なり

――― 道元禅師『菩提薩埵四摂法』

「同事といふは、不違なり。自にも不違なり、他にも不違なり。(中略)同事をしるとき、自他一如なり。」
即ち「同事と言うのは、たがわないということ。自分と他人、と言うように区別や差別をしない。自と他は別々ではなく、一つである」(つまり自と他の絶対的平等)ということです。

『菩提薩埵四摂法』の巻は、「布施・愛語・利行・同事」の4つの菩薩行について述べられ、道元禅師がその実践を勧める為に撰述された巻です。

ただ、逆説的に言えば、菩薩行として「同事」を勧めているということは、現実問題として不平等の存在が歴然としてあることの証にもなっております。
現代社会においても明らかな差別や不平等が、多く存在しています。まず人種による差別、国別の差別、男女の差別、職業上の差別、宗教上の差別、経済状態や資産状況に基づく差別、能力による差別、部落問題等の住む地域による差別、等々、数え上げればキリがありません。

私は、30数年前、英国ロンドンに2年程住んだことがあります。一時は「太陽の沈むことがない」(the empire on which the sun never sets)と言われた程、全世界の植民地を支配していた大英帝国の名残でしょうか、ありとあらゆる国の人々が住んでいるまさに人種のルツボといった観のある国でした。
その当時の出来事で忘れることができない経験があります。ある日、市内でTubeと呼ばれる地下鉄に乗ろうとした時の事です。その時間は結構込み合っていたのに、やけにガラガラとすいている車両があり、これ幸いと飛び乗りました。そしてその瞬間、すいている理由が分かったのです。その車両には一人の黒人男性が乗っていました。そして、このようなことを文字にして書くことは誠に気が引けるのですが、その時の状態を正確に申し上げますと、何とも形容しがたい臭いが車内に充満していました。それは未だかつて経験したことの無い種類の体験でした。とてもそのままそこにとどまれる状態ではなかったので、私も他の乗客と同様、せっかく乗った車両を降りざるを得ませんでした。

日本のように人種的に単一民族がすんでいる国ではこのような経験はめったにないと思いますが、この経験は私にとって衝撃的なものでした。
理性の段階では、差別と言うことは、絶対してはいけないこととして私たちは分かっていると思いますが、実際に眼耳鼻舌皮膚という五官を通して体感したことが、次の行動を左右するものなのだと、身にしみて思い知らされた時、人間というものは自分で自分を信じているほどのものではないと痛感します

また、その当時、かなりの数の日本車がロンドンの町中を走っているくらい、日本は経済的にも圧倒していたにも関わらず、日本人に対する差別と言うか嫌悪を感じたことも何度かありました。
それでもそのような英国人をまだましだと感じた位、パリを訪れた時には、フランス人が日本人を見下しているような印象を持ちました。欧米の人々にとっては、白色人種か否かという判断の方が重い場合、当然我々日本人は、coloredに入るのです。
先の大戦で日本と戦った経験のある人など、露骨に敵意を表す場合もあり、このようなことは、現代の日本の若者には、想像も出来ないことでしょう。

  恐らく世界中を飛び回っていらっしゃるような方は、もっと違う体験などもなさっていることだと思います。現在の地球上では、人種どころか、同じ国の人々の間でも、考え方やそれぞれの立場の違いから、内戦状態になっている国々もあります。
また我が国においては、内戦こそないものの、男女の不平等は他の国々より顕著であるということも指摘されており「不二」などとはまさに遠い世界、夢物語の世界です。
人間がそれぞれの違いを克服して仲良く暮らせるかと言えば、それはかなり困難なことなのだと思います。

そして、このような社会だからこそ、傷ついている人々、精神を病んでしまっている人々が沢山いらっしゃいます。現在、坐禅、ヨーガ、写経会と言った、常宿寺の行事に出かけていらっしゃる方々の中には、どうやって解決したらよいのか糸口さえ見えないような状態の方々もいらっしゃいます。

さだまさしさんの『奇跡〜大きな愛のように〜』という歌をご存知でしょうか?さださんの優しい声の魅力もありますが、何よりその歌詞があまりにも素晴らしく、耳を傾けていると彼の癒しの世界に引き込まれます。

「僕は神様でないから 本当の愛は多分知らない けれどあなたを想う心なら神様に負けない
たった一度の人生にあなたとめぐりあえたこと 偶然を装いながら奇跡は いつも近くに居る」

本当に傷ついている方の傍にいる時、何を試みても役に立たず、その方を想う目いっぱいの気持ちをただ持っているだけしかすべがないと感じる時。何とかしてあげたくても何もできないもどかしさ。そんな時はこのさださんの歌を思い出します。

「大きな愛になりたい あなたを守ってあげたい あなたは気付かなくても いつでも隣を歩いていたい」

これが「同事」なのだ、としみじみ痛感します。このような思いを常に持ち続けようと心がけていけば「五官」の制約を克服できるのでは、と勇気が湧きます。

さだまさしさんの素晴らしい歌を御聴きになりたい方は
http://www.youtube.com/watch?v=QWa3E7wdCdI

2014年 「2月の標語」

乃ち正身端坐して
左に側ち 右に傾き
前に躬り 後に仰ぐことを得ざれ
耳と肩と対し 
鼻と臍と対せしめんことを要す

――― 道元禅師『普勧坐禅儀』

昨年末、A僧堂から、曹洞宗発行『禅の風』にA僧堂が特集で紹介されているので、と言うことで、贈呈本が送られてきました。
  パラパラと開いて眺めておりましたら、中頃に、坐禅堂内での、雲水(修行僧)達の坐禅中の写真が載っておりました。それを一目見て唖然茫然!!! 何と申し上げてよいやら…。これが修行僧の修行の場である僧堂内の坐禅の姿?ということでショックを受けました。

   東堂の光文老師がこれを見て一言「雑木林みたいだね」。


   その言葉に「さすが!」と感心してしまいましたが…。皆様、雑木林というものを想像して下さい。申し上げるまでもなく、雑木林とは、様々な種類の木が雑然と生えている林の事です。即ち、木の生え方の向きも高さもバラバラ、まちまちです。縦線も様々な角度を向いているということです。樹齢何百年もたった杉林等ですと、真直ぐに全部が天を衝いて伸びており、見事にそろっておりますが、雑木林では、そうはまいりません。
   坐禅が生命の曹洞宗でありながら、その修行道場たる僧堂の光景が、雑木林の如くでは…言葉を失います。
   姿勢の悪さだけではなく、多くの方が、頭が前に垂れ、澤木老師がしてはいけないとされた「気の抜けたビールみたいな坐禅」と言う様相を呈しているのです。何の気力もない、「形ばかり」の…、と書きかけ、いや「形ばかり」という表現ですと、形は整っていることになりますが、その形からしてダメと言うことになってしまっているのです。

  確か、この僧堂では、夜坐の時に『普勧坐禅儀』を読誦することもあったと記憶しております。
  それで「今月の標語」では『普勧坐禅儀』において、坐禅中の心得をどのように道元様が書かれていらっしゃるのか、その一部を取り上げました。

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夫れ参禅は静室宜しく、飲食節あり。諸縁を放捨し、万事を休息して、善悪を思わず、是非を管すること莫れ。心意識の運転を停め、念想観の測量を止めて、作仏を図ること莫れ、豈坐臥に拘らんや。 尋常、坐処には厚く坐物を敷き、上に蒲団を用う。或は結跏趺坐、或は半跏趺坐。謂く、結跏趺坐は、先ず右の足を以って左の腿の上に安じ、左の足を右の腿の上に安ず。半跏趺坐は、但だ左の足を以て右の腿を圧すなり。寛く衣帯を繋けて斉整ならしむべし。次に右の手を左の足の上に安じ、左の掌を右の掌の上に安じ、両の大拇指、向かいて相さそう。乃ち正身端坐して、左に側ち右に傾き、前に躬り後に仰ぐことを得ざれ。耳と肩と対し、鼻と臍と対しめんことを要す。舌上の腭に掛けて唇歯相著け、目は須らく常に開くべし、鼻息微かに通じ、身相既に調えて欠気一息し、左右揺振して兀兀として坐定して、箇の不思量底を思量せよ。不思量底如何が思量せん、非思量、此れ乃ち坐禅の要術なり。

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  「正身端坐して、左に側ち右に傾き、前に躬り後に仰ぐことを得ざれ。耳と肩と対し、鼻と臍と対せしめんことを要す」
   即ち、「背筋を伸ばして正しい姿勢で坐る。左に曲がったり、右に傾いたり、前にのめったり、後ろに反り返ってはいけない。耳と肩、鼻と臍がそれぞれ一直線上になるようにする。」

   「耳と肩、鼻と臍がそれぞれ一直線上に」とは、耳と肩を結ぶ線が床面に対して直角、同じように鼻と臍を結ぶ線が前から見て真直ぐということです。頭が前傾しますと、耳と肩を結んだ線は床に対して、前に傾いてしまいます。

   あまり乗り気でなく、沈んだ気持ちで坐りますと、頭がだらっと前に垂れて参ります。そうしますと、身体を横から見た場合、耳と肩は一直線上にはなりません。
   まず坐ったらそのようになっていないか十分に気を付けること。時間の経過と共に、身体が傾いてきたらその都度、自身でチェックして、キチンと姿勢を整えることが非常に重要なことです。
   気が散ったり、あるいは落ち込むようなことがあっても、形を整えようと努めることによって、気持ちも次第に整ってくるものです。
   常宿寺の坐禅会では、警策は基本的には使いません。身体が傾いてきた、首が曲がってきたと私が気が付いた時には、立って行って真直ぐに直して差し上げるようにしております。

   当サイト内「坐禅を科学する」に述べております様な事に留意して頂ければ、自ずと耳と肩、鼻と臍がそれぞれ一直線上に来るようになってまいります。

   ここで、せっかく『普勧坐禅儀』を取り上げましたので、常々私が、疑問を持っていた点について述べさせて頂きます。上記引用文中に「目は須らく常に開くべし」とあります。目については是のみの御垂示なのですが、今手元にあります曹洞宗宗務庁発行の小冊子『坐禅作法・食事作法』の中で、「坐禅の仕方」7、目の落としどころの項に、「視線はおよそ1メートル前方、約45度の角度に落とします。」とあります。この点は、普通の坐禅道場でもこのように指導なさっていると思われますが、『普歓坐禅儀』の中ではそのように御垂示がないのに、いつからどのような理由で、目線を下に落とすようになったのか、私は寡聞にして存じませんので、どなたか出典をご存じでいらっしゃいましたら教えて頂けませんでしょうか?
   私が、ほぼ30年間毎日坐禅を行じている中で、色々試行錯誤してみたのですが、目線につきましては、どこを意識するというのでもありません。強いて言えば、まっすぐ前あたりにしかも遠くを見る感じで漠然と、という位がベストの印象を持っております。注意力が散漫になり、様々な思考が頭をよぎる時に、目線が下に落ちてくるように思います。
   視線と心理の関係についてネットで検索中に、「何かを思い出そうとしている時は、多くの場合、視線が右下を向く、また、自己対話をしていたり、何か言葉を探し出そうとしたりすると、視線が左下を向く」というような記事を見たことがあります。この視線と心理の関係についての研究はまだまだ未解明の部分も多いようですが、これも私が経験的に思うことなのですが、私は今この原稿をパソコンで書いております。現在の私の視線は若干下向きになり、画面を見つめています。これを読んでいらっしゃるアナタの視線も恐らく上ではなく下を向いていることと想像します。
   脳や目をフルに使うような場合、真直ぐ前という向きは非常に疲れるもので、言葉を探したり、文章を考えながら書いたり、あるいは読んだりという作業には視線が下向きの方が向いているのです。ですから逆に、考え事をしてはいけない坐禅中に目線を下にすることは適当ではないと思うのです。

    また、今私の手元に『1日3分で医者いらずの体になるホネナビ』(長谷川智著)と言う本があるのですが、その中に「遠くを見るようにすると、首や肩の力みが自然にとれてきます。なぜなら、遠くを見ることで目の周辺の筋肉が緩むからです。(中略)また、武道の観点から言えば、遠くを見ることで重心がお腹の部分に下りてきて首や肩周辺の力みがとれることが考えられます。」(133頁)とあります。この本を読んだ時には、私が常日頃感じている事が書かれていましたので、大変心強く感じました。

   以上、目線については、余分なことを付け加えさせて頂きましたが、姿勢につきましては、坐禅の基本中の基なのです。

   このような写真が掲載されるということは、それなりの立場にある方がチェックされなかったのだろうか、それとも御覧になったのに、この僧堂内の恥ずかしさに、気が付かなかったのだろうかと不思議でなりません。

2014年 「1月の標語」

衆生 本来佛なり 
水と氷のごとくにて 
水をはなれて氷なく 
衆生の外に佛なし

―――  『白隠禅師坐禅和讃』

臨済宗の傑出した僧侶に白隠禅師と称されるお方がいらっしゃいます。Wikipediaで見てみますと、御生涯は以下のようです。
 白隠 慧鶴(はくいん えかく、1686年1月19日(貞享2年12月25日)〜1769年1月18日(明和5年12月11日))は、臨済宗中興の祖と称される江戸中期の禅僧である。諡は神機独妙禅師、正宗国師。
  駿河国原宿(現・静岡県沼津市原)にあった長沢家の三男として生まれた白隠は、15歳で出家して諸国を行脚して修行を重ね、24歳の時に鐘の音を聞いて悟りを開くも満足せず、修行を続け、のちに病となるも、内観法を授かって回復し、信濃(長野県)飯山の正受老人(道鏡慧端)の厳しい指導を受けて、悟りを完成させた。また、禅を行うと起こる禅病を治す治療法を考案し、多くの若い修行僧を救った。
  以後は地元に帰って布教を続け、曹洞宗・黄檗宗と比較して衰退していた臨済宗を復興させ、「駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠」とまで謳われた。 現在も、臨済宗十四派は全て白隠を中興としているため、彼の著した「坐禅和讃」を坐禅の折に読誦する。

「白隠禅師坐禅和讃」
衆生 本来佛なり 水と氷のごとくにて 水をはなれて氷なく 衆生の外に佛なし
衆生近きを知らずして 遠く求むるはかなさよ たとえば水の中に居て 渇を叫ぶがごとくなり
長者の家の子となりて 貧里に迷うに異ならず
六趣輪廻の因縁は 己が愚痴の闇路なり 闇路に闇路を踏みそえて いつか生死を離るべき
夫れ摩詞衍の禅定は 称歎するに余りあり 布施や持戒の諸波羅蜜 念佛懺悔修行等
其の品多き諸善行 皆この中に帰するなり
一座の功をなす人も 積みし無量の罪ほろぶ 悪趣いずくに有ぬべき 浄土即ち遠からず
辱なくも此の法を 一たび耳にふるる時 讃歎随喜する人は  福を得ること限りなし
いわんや自ら回向して 直に自性を証すれば 自性即ち無性にて すでに戯論を離れたり
因果一如の門ひらけ 無二無三の道直し
無相の相を相として行くも帰るも余所ならず 無念の念を念として 謡うも舞うも法の声
三昧無礙の空ひろく 四智円明の月さえん 此の時何をか求むべき 寂滅現前するゆえに
当処即ち蓮華国 此の身即ち佛なり

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 常宿寺は曹洞宗に属しておりますので、白隠禅師の御和讃について、述べると言うことは部外者の身の程知らずの行為ですが、この御和讃を読めば読むほど、白隠禅師という方は、本当に素晴らしい方だったのだとの思いを深くしますので、私なりの解釈でご紹介することをお許し頂きたいと思います。
 
 出だしの「衆生 本来佛なり 水と氷のごとくにて 水をはなれて氷なく 衆生の外に佛なし」の段ですが、これが冒頭の「衆生 本来佛なり」から、どうしても理解できないという方もいらっしゃると思います。現にそのような質問を受けたことが御座いました。

  それは「佛」と言いますと、何か特別に尊い存在で我々凡人を超越したというイメージを持っていらっしゃる方が殆どなので、それに比べて、衆生即ち生きとし生けるものの中には、必ずしも行いの良からぬもの、佛と言うイメージからは程遠いと思われるものも含まれるからなのでしょう。
  本当に、生きとし生けるものは本来佛と言えるものなのでしょうか?

  そこで白隠様は、衆生と佛の関係は「水と氷」の関係のようなものですと、次の句に持ってこられた訳です。水はH2O(2は小文字)で表され、水素2個と酸素1個で出来ています。そして、水素2個と酸素1個で水以外の物には絶対にならないというのが、『縁起(因縁)の法則』です。この法則があるからこそ、私たちの毎日の生活か成り立っているということは、ちょっと観察すればすぐに理解できることです。
   

   どうして地球は24時間で一回転するのでしょう?(秒速500mで!)どうして365日かけて太陽の周りを一周するのでしょう(秒速30kmで!)このような猛スピードで回っていても決して地球は太陽系から飛び出すこともなく、回り続けています。だからこそ、大晦日の翌朝は、元旦となり、「明けましておめでとう」といえるのです。そこには狂いなく働いている縁が存在し、規則正しいお働きがあって成り立っているのです。新年を迎えられることを当たり前だなどと思ってはいけません。

  それでは「水と氷」では何が違うのでしょうか?普通は、気温が零度になると水から氷の固体の状態になります。温度という条件の違いによって、液体から固体になり、100度を超えると、気体となるのです。組成は全く同じものなのに全く見た目も状態も変わってしまいます。因と縁を英語で申しますと、cause & conditionsですが、つまり、「元になるもの」と「条件」を言い、この方が理解し易いと思います。
  水も、氷も、沸騰し煮えたぎったお湯も、蒸発した蒸気も、全て同じH2O(2は小文字)なのだということも、学校で学んだから、納得しているだけの事で、体感的には全く別物、熱い、冷たいという風に、私たちの感情に与える影響も全く違いますし、もし学んだ知識がなかったら、これらが全く同じものであると言われても到底理解できないと思います。

 衆生と佛の関係にも全くこれと同じことを言うことが出来ると白隠様はおっしゃっているのです。元は同じなのに条件によって違うだけだというのです。
  私共は、この宇宙の中で存在する以上、宇宙の万物が存在するのと同じ法則で生み出されたものです。例えば私共の肉体でも、物質として肉体となるものを元にしてこの地上に存在していますが、眼には見えない精神的なものの作用で、ガンガン怒れば地獄のエネルギーを生み出し、貪れば餓鬼となり、全てを慈しむ慈悲のエネルギーによって、その場は即ち極楽浄土にもなり得ます。心の状態、条件によって、どんどんとその様子が変わっていきます。

    佛を自分から遠い存在と思って自分の外に求め続けるのは、例えて言うならば、水の中にいて、のどが渇いた、と叫んでいるようであり、また、大変な大金持ちの家の子供として生まれていながら、そのことを知らずに乞食をしているようなものだとも例えていらっしゃいます。


 「当処即ち蓮華国」とは、自分のいる場所そのものが極楽浄土なのです、ということですが、それには自分自身でその条件を整えねばなりません。ものすごく大雑把に纏めてしまいますと、その条件を整えるのに最適な行いが、坐禅であるとおっしゃっているのだと思います。

    御和讃の全体の意味を知りたい方は、以下のサイトをご覧ください。
     http://shofukuji.net/5hakuin.htm

  あまりにも簡単に言いすぎてしまいましたので、臨済宗の方からお叱りを頂戴するかもしれませんが、誤っている部分、ご指摘いただければ幸いです。

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