今月の標語 2009年
2009年 「12月の標語」
われらの肉体は、われらを妨げ、かき乱し、
不安におとしいれる。これが悪魔である。
われらの感覚は、われらを妨げ、かき乱し、
不安におとしいれる。これが悪魔である。
われらの感情、意志、判断がわれらを妨げ、
かき乱し、不安におとしいれる。
これが悪魔である。
――― 相応部経典 23,1、魔
ブッダの弟子に、ラーダ(羅陀)という一人の比丘がありました。大変率直な若者であったらしく、きわめて基本的なことも、腑に落ちないと、率直にブッダに質問致しました。そのことが多くの経典に記されております。今日もまた、ラーダはブッダの前に出て、問うて言いました。
「大徳よ、よく悪魔、悪魔とおっしゃられますが、いったい悪魔とは、なんでありましょうか。」
「ラーダよ、悪魔というのはこうである。われらの肉体は、われらを妨げ、かき乱し、不安におとしいれる。これが悪魔である。また、われらの感覚は、われらを妨げ、かき乱し、不安におとしいれる。これが悪魔である。さらに、われらの感情、意志、判断がわれらを妨げ、かき乱し、不安におとしいれる。これが悪魔である。そして、そのように観ることができれば、それが正観すなわち正しい観察というものである。」
「では大徳よ、正観してどうしようというのですか。」
「ラーダよ、正観することを得れば、厭離すなわち厭いの想いを生ずる。」
「では、大徳よ、厭離してどうしようとするのですか。」
「ラーダよ、厭離することを得れば、離欲すなわち欲望の激しい営みを克服することができる。」
「では、大徳よ、離欲によって、なんとしようとするのですか。」
「ラーダよ、離欲によって解脱することができるのだ。」
「では、大徳よ、解脱してどうしようというのですか。」
「ラーダよ、解脱すれば涅槃にいたることができる。」
「では、大徳よ、涅槃にいたってなんとしようというのですか。」
「これこれ、ラーダよ、お前は質問の限度というものを知らない。わたしの教えでは、涅槃にいたることが究極の目的である。われらが、この聖なる道を行ずるのは、すべて涅槃にいたるためであり、涅槃において尽きるのである。」
この単刀直入の問答の中に、仏教の究極の理想が、説かれております。それは「涅槃」であり、言い換えれば、貪り、怒り、愚かさなどの激情によって掻き乱されることのない、究極の静けさと自由の境地です。
「われわれの肉体、感覚、感情、意志、判断などに妨げられ、掻き乱されることが悪魔」という捉え方も、一般の方には、容易に理解できない概念かもしれませんが、身を刻まれるほどの苦にさらされていると実感している方ほど、その原因をよくよく観察してみたときに、理解し捉えられるものではないかと感じております。
2009年 「11月の標語」
人はみずから繋念(けねん)して、
量を知って食をとるべし。
さすれば、苦しみ少なく、
老いることおそく、寿を保つであろう。
――― 相応部経典、3,13、大食
ブッダはしばしば王たちの来訪を受けて、その度に、きわめて具体的な教示を与えられました。
今日もまた、コーサラの王パセナーディがやって参りました。見ると、王はフウフウと大息をついております。たずねてみると、王は、よく大食するクセがあり、今日もまた、大いに美食を貪り食ったあとで、すぐにブッダを来訪したとのことでした。
大息をついている王のすがたを、しばし微笑をたたえて眺めておられた仏陀はやがて王の為に一偈を説いて与えられました。
「人はみずから繋念(けねん)して、量を知って食をとるべし。
さすれば、苦しみ少なく、老いることおそく、寿を保つであろう。」
その時、ウッタラという少年が、王に侍して、後ろに立っておりました。王はその少年をかえりみて言いました。
「ウッタラよ、お前は、今の世尊の偈をそらんじて、わたしの食事の時に、いつも唱えるようにせよ。そうすれば、わたしは毎日百銭ずつお前に与えよう。」
「大王よ、かしこまりました。」
そこで少年は、ブッダによってその偈をそらんじ、それからは、毎日、王の食事の度に、その偈を唱えました。王は、その偈を聞きながら食事を致しましたので、次第に食事の量を減らす事に成功しました。その結果、肥大した体も次第にすんなりとなり、大変健康になると共に、その容貌もまた端正になりました。
そしてある日のこと、王はその手で自分の体を撫でながら、歓喜に満ちて、ブッダの居られる方角を拝し、声を上げて、三度申しました。
「誠に世尊は、ふたつの利益をもって、わたしに恵みたもうた。わたしは世尊によって、現在の利益と、未来の利益を得ることが出来ました。」
これは誠に私共にとっても、身近な教えとなります。行住坐臥、喫茶喫飯のなかにもキチンと生かされるのがブッダの教えです。
前述の偈の中に仏教の基本原理を見るならば、「中道」の教えがそれであります。中道とは、禁欲主義にも傾かず、快楽主義にも傾かない実践の原理を表現する言葉です。それを、日常生活の上でいえば、「量を知って食事をとる」ということになるでしょう。
先日、あるお寺の祝宴の席で、肝臓の薬を飲みながら、少しも加減することなく酒を飲み続けている方を、お見かけました。薬を飲まざるを得ない位ならば、その前にまず飲酒の量を摂生すべきで、在家の方ならいざ知らず、出家の身としては、かなり恥ずかしい事のように思いました。
2009年 「10月の標語」
比丘たちよ、今、汝らもまた、
藁を枕として眠り、心放逸なることなく
熱心に為すべき事を勤めている。
だから、悪魔が汝らの心を侵そうとしても、
その機会を得ることはできないだろう。
――― 相応部経典 20,8 藁
ブッダとその弟子達がヴァイシャーリーのマハーヴァナの精舎にとどまっていた時のことでした。その精舎の講堂には屋上に尖塔がそびえていたので、堂閣講堂として知られていました。
このヴァイシャリーは、ヴァッジ族の都で、南はガンガを隔ててマガダ国に接し、西はコーサラ国の勢力範囲に連なり、そのころの2大王国にはさまれて、絶えずこの両国に脅かされておりましたが、かれらは会議政体による共和制によって政治を行い、商工業を盛んに営んでおり、独立を保持しておりました。
ある日ブッダは、弟子達を集めて、ヴァイシャーリーの人々をたたえてこのように仰いました。
「比丘たちよ、ここの人々は、夜は藁を枕として臥し、朝はやく起きて、熱心に各々の任務を営んでいる。だからマガダ国のアジャータサットゥ(阿闍世)王はこの国を侵そうとねらっているが、どうしても、その機会を得ることができないのだ。
比丘たちよ、将来もしも、彼らが柔弱な生活に堕して、柔らかい臥所に寝、羽毛の枕をして、陽の出るまで眠るようになったならば、その時こそ、アジャータサットゥ王は、この国を侵攻する機会をつかむであろう。」
だが、そのような心構えを忘れてならないのは、ヴァイシャーリーの人々だけではないと、ブッダはさらにこのように仰いました。
「比丘たちよ、今、汝らもまた、藁を枕として眠り、心放逸なることなく熱心に為すべき事を勤めている。だから、悪魔が汝らの心を侵そうとしても、その機会を得ることはできないだろう。
だが比丘たちよ、将来もしも、汝らが柔弱な生活に堕して、柔らかい臥所に寝、羽毛の枕をして、陽のあがるまで眠るようなことがあったならば、その時こそ悪魔は、たちまち汝らを侵す機会をつかむであろう。」
ブッダは、ブッダとその弟子達の作る共同団体を、サンガという言葉で呼ばれましたが、その語源は、ヴァイシャーリーの人々の持っていたような政治体制、即ち、会議による政治の体制を指す言葉であったようです。ブッダに帰依する人々が増え、徐々に大きな集団となっていく過程で、ブッダは団体としての統制、秩序の維持に相当苦慮なさったようです。おびただしい律もそれらが守られていなかったという現実にふまえて存在するわけです。
ヴァイシャーリーの人々もサンガを持ち、ブッダとその弟子達もサンガの一員として生きる。それだけに「藁を枕として寝る」ヴァイシャーリーの人々の栄えは、ブッダとその弟子達にとって他人事ではありませんでした。
(ヴァイシャーリーは、ガンガー河に流れ込むガンダク河のほとりにあり、現在のパトナーからガンガー河を渡り、北へ四〇キロほどのところに位置しています。 このHPのトップページにありますように、市の跡の北西三キロのところに獅子の柱頭をもつアショーカ王柱があり、そのすぐ近くにストゥーパがあり、土地の人々はアーナンダのものと伝えています。この遺跡は現在も発掘中です。)
2009年 「9月の標語」
比丘たちよ、私は、この世界をよく観察し、
また、かの世界を観察し、全ての世界を知り尽くして、
正覚者、一切知者となった。されば比丘たちよ、
この私について、聴いて信じようとする者は、
ながく利益と幸福をみることができるであろう。
――― 中部経典、34、牧牛者小経
ある時、ブッダは、ヴァッジーのウッカーチェラーという村にとどまっていらっしゃいました。それはガンガの(恒河)の河岸にそった村でした。そこで、ブッダは弟子達のために、このような話をなさいました。
「比丘たちよ、昔、マガダの国に、ひとりの愚かな牛飼いがあった。雨期の最後の月が終わったので、彼は牛の群れをつれて、ガンガを渡ろうとした。だが彼は、この岸も、かの岸もよく観察することなく、渡し場でないところを、牛の群れを渡そうとしたので、河の中流で、牛どもはみんな溺れ死んでしまったという。比丘たちよ、それとおなじく、沙門や婆羅門もまた、もし彼が、よくこの世界を観察することなく、またかの世界を観察することなく、よく一切を知ることなくして人々を導こうとするようなことがあったならば、彼に付いて信じようとする人々は、ながい不幸を見ることとなるであろう。
比丘たちよ、昔、また、マガダの国に、ひとりの賢い牛飼いがあった。彼もまた、雨期の最後の月が終わって、牛の群れを連れて、ガンガを渡ろうとした。彼はまず、この岸をよく観察し、またかの岸をよく観察して、よい渡し場を見つけ出して、牛の群れを渡そうとした。最初に牛の群れの中でも最も強い牛達を流れに入れて、まず安全に、かの岸に渡した。次には、比較的強くて馴らされた牛どもを流れに入れ、これもまた無事に彼岸に渡した。最後には、まだ力の弱い小牛たちであるが、それらはすでにかの岸に渡った母牛たちの吼える声にひかれ、励まされて、また無事に流れをよこぎり、彼岸に到ることができた。
比丘たちよ、それと同じく、沙門や婆羅門もまた、もし彼が、よくこの世界を観察し、またかの世界をも観察して、よく一切を知り尽くして人々を導くことができたならば、彼に付いて聞いて信じようとする人々は、ながい幸いを見ることができるであろう。
比丘たちよ、牛の群れに中において、最初に流れを渡った力強い牛達のように、比丘たちの中においても、すでに煩悩を断滅し、修行を成満しおわれる者もあり、彼らはすでに魔の流れを横切って、安穏に彼岸に到れるものである。また比丘たちよ、かの牛の群れのなかにおいて、よく馴らされ、比較的強いものが、ついで流れを渡ることを得たように、比丘たちのなかにおいても、貪瞋癡も薄く、正覚に決定せる者もあり、かれらもまた、やがて、魔の流れを横切って、無事に彼岸に到るであろう。さらにまた、比丘たちよ、乳離れしたばかりの牛や、力弱い子牛たちも、すでに彼の岸にある母牛たちの吼える声にひかれ励まされて、ついに流れを渡る事を得たように、比丘たちのなかにあっても、いまだに煩悩の力強く、修行の力が弱い者もあるけれど、彼らもまた、よく法にしたがい、信に依らば、やがて魔の流れを渡って、彼の岸に到ることを得るであろう。
比丘たちよ、私は、この世界をよく観察し、また、かの世界を観察し、全ての世界を知り尽くして、正覚者、一切知者となった。されば比丘たちよ、この私について、聴いて信じようとする者は、ながく利益と幸福をみることができるであろう。」
誠に、現代社会の閉塞状況に直面し、それを打開する道はないのかと模索した場合、ブッダのダルマ以外に解決方法はないと深く思い至る日々です。
2009年 「8月の標語」
大王よ、王の上にも、老死は刻々と押しせまってくる。
この時、王の為すべきことは、ただ法に従って行じ、
善業功徳を積むほかに、何の為すべきこともないのである。
――― 相応部経典 3,25 山の譬喩
ある時、いつものように、ブッダが祇園精舎に居られた時の事です。ブッダは久々に訪れてきたコーサラ国の王パセーナディ(波斯匿)をかえりみて問うておっしゃいました。
「大王よ、王はいったいどこに行っておられたのですか。」
「世尊よ、広大なる領土を有し、主権を握り、国家の保全をはからねばならぬ王には、様々な王事があるので、わたしはそれらの王事に多忙でした。」
「大王よ、ではこのような場合、王はいかに考えられるか。ここに王の信頼する一人の者が、東の方より急いでやってきて、『大王様、私は今、東の方から来たのですが、そこでは虚空のような大きな山が、一切の生けるものを圧しつぶしながら、こちらへ進んでくるのを見ました。大王よ、急いでなすべきことをなさって下さい。』と告げたとするがよい。その時また、西の方からも、王の信頼する一人の者が急いでやってきて、西の方からも同じく、大いなる山が一切を圧殺しつつ進んでくると報告したとするがよい。さらに北の方からも、また南の方からも同じように注進する者があったとするがよい。大王よ、それは恐るべき事態であり、人類の破滅の時であり、もはや人身をふたたび受けることも難いであろうと思われる。そのような事態にたちいたったとき、王は何のなすべきことがあると思われるであろうか。」
「世尊よ、そのような事態にたちいたっては、ほかに何のなすべきことがあろうか。ただなすべきことは、法に従って行ずること、善業をなし、功徳をつむことのほかにはあろうか。」
「大王よ、わたしは王に説かねばならぬ。いま老死は大いなる岩山のごとく、王の身の上に押し迫り来たっているのである。この事態において、王はさらに、何のなすべきことがあろうか。」
「世尊よ、仰せのごとく、老死は大いなる岩山のごとく、私の上に押し迫って来ている。この時に及んで、さらに私に何のなすべきことがあろうか。世尊よ、大王たる私には、強大なる軍隊がある。しかしながら、巌の山のごとく押し迫ってくる老死に対して、それが何の防御の役に立とうか。また、私には呪をよくする大臣があり、彼らは私のために呪をもって、攻めきたる敵を破ることができる。しかしながら、呪の力をもってしても、押し迫ってくる老死には何の役に立とうか。また、わが王宮には莫大なる黄金を蔵しており、私はこれをもって、敵を買収し説得することもできる。しかしながら、これらの財宝の力も、老死の押し迫り来る事を、如何ともし難いであろう。
まことに世尊よ、わが上に巌の山のごとくに老死の押し迫ってくるとき、わたしの為すべきことは、ただ法に従って行ずること、善業をなし、功徳を積むことのほかに何事があろうか。」
「大王よ、実にその通りである。王の上にも、老死は刻々と押しせまってくる。この時、王の為すべきことは、ただ法に従って行じ、善業功徳を積むほかに、何の為すべきこともないのである。」
当然のことながら、老死は万人が避けて通れぬことです。上記教説中にも描かれているように、巌の山に押しつぶされるが如く、といった絶望的イメージが付きまといますが、もしブッダの説かれたように法を学び、修行に励むなら、老死さえも、明るく乗り切れるのではないか、と言う印象を持っております。
今、人間を生きているという事は、常に何らかの苦に直面している訳ですが、修行によってそれを克服する事ができた時、現在の肉体を脱ぎ捨てるという過程が苦となるはずがないように思います。
このWEBサイトを契機にして常宿寺参禅会を訪れた方が、100人を超えました。単に修行に興味があるといった程度の事ではなく、何らかの苦を抱えて自分自身で持ちきれなくなって・・・といった方も多く見られます。(勿論その苦が克服できれば・・・の前提はありますが、)その方たちを見ていると、私は、何事も順調で、社会的にも、経済的にも、巧く行き過ぎて、無防備のまま老年を迎えるという方たちよりは、ずっと幸せなのではないかと、最近思っております。
2009年 「7月の標語」
比丘たちよ、なんじらが集まっている時には
ただ2つのなすべきことがある。
法について語り合うことと、
聖なる沈黙をまもることがそれである。
――― 小部経典、自説経、3,9
これもまた、ブッダが祇園精舎に居られた時の事です。托鉢から帰って、食事も終え、集会の屋舎に集まっていた比丘たちのあいだに、こんな話の花がさいていました。
誰が言い出したのでしょうか。みんな出家する以前には、いろんな技を学んでいたはずなのですが、おのおの、どんな技を学んできたかを披露し、また、どんな技がもっともいいと思うかについて、思うところを述べてみようではないか、ということになったのでした。今でいうなれば、趣味の話なのです。そしてそのような話題になると、みな雄弁になって、話の尽きるところを知らぬというのが、昔も今も、かわらないところなのでしょう。
真っ先に口を切った比丘は、「わたしは、まだ家にあった頃には、象を御することを学んで、その技が得意であった。象を御する技は、すばらしいもので、これがもろもろの技芸のなかの第一のものであろう。」と言いました。
つづいて乗り出してきた比丘は、「わたしは家にあった時には乗馬を得意としていた。なんといっても乗馬が第一であると思う。」と主張しました。さらに「車を御する術が第一だ」というものがあり、「弓術が第一だ」と言うものがあり、「剣術が第一だ」とするものがありました。また、「数学が最もすぐれている」と主張するものがあり、「書道がもっともすばらしい」とするものがあり、「詩をつくる技こそ」というものもありました。ぱっと話の花が咲いて、喧々ごうごうとしているところに、ブッダがスッと入ってこられました。
「大変賑やかなようだが、なんの話ですか。」
ひとりが、おそるおそるその日の話題のことを申し上げると、ブッダは次のように仰いました。
「比丘たちよ、なんじらが集まっている時には、ただ2つのなすべきことがある。法について語り合うことと、聖なる沈黙をまもることがそれである。」
法の談話と聖なる沈黙ということは、ブッダがしばしば比丘たちのなすべきただ二つのこととして説いたことです。なぜならば、出家の比丘とは、すべてを放棄して、解脱をこそめざすただ一道に専念するものでなければならないからでありました。
ブッダの説かれたウダーナヴァルガ『感興の言葉』(第8章ことば)には、どのような言葉をこそ語るべきか、具体的に示されております。
11、善い教えは最上のものである、と聖者は説く。(これが第一である)。理法を語れ。理法にかなわぬことを語るな。これが第2である。好ましい言葉を語れ。好ましからぬ言葉を語るな。これが第3である。真実を語れ、虚偽を語るな。これが第4である。
12、自分を苦しめず、また他人を害しないような言葉のみを語れ。これこそ実に善く説かれた言葉なのである。
13、好ましい言葉のみを語れ。その言葉は人々に歓び迎えられる。常に好ましい言葉のみを語っているならば、それによって(ひとの)悪(意)を身に受けることがない。
14、真実の言葉は不滅であるはずである。実に真実の言葉は最上である。彼らは、真実すなわちことがらと理法の上に安立した言葉を語る。
15、安らぎに達する為に、苦しみを終滅させる為に、仏の説きたもう穏やかな言葉は、実に善く説かれた言葉である。
自分が言葉を発するとき、これは無駄な言葉ではないだろうかと、常に気をつけながら生活していく事も、仏道修行を目指している方にとっては、有意義であるように思います。
2009年 「6月の標語」
刻苦にすぎては、心高ぶって静かになることあたわず、
弛緩にすぎれば、また、懈怠におもむく。
ソーナよ、汝は、その中をとらねばならない。
――― 増支部経典、6,55、 守籠那
ある時、ブッダは、マガダ国の都、ラージャガハのほとりのギジャクータ(霊鷲山)におられました。
その頃、近くの淋しい森のなかでソーナ(守籠那)というひとりの比丘が修行を続けていました。彼の修行ぶりは大変に激しいものでしたが、なかなか悟りの境地に到ることが出来なくて、今、彼の心の中には、迷いが頭をもたげ始めていました。
「わたしは、こんなに激しい修行をしている。ブッダの弟子のなかでも、私ほど、一生懸命にやっているものはあるまい。それなのに、わたしは、どうしても地上の欲念から離れる事ができず、いっこうに悟りの境地に到ることができないのはどうしたことだろうか。
こんなことでは、むしろ家に帰ったほうがよいのではないか。わたしの家には財産がある。あれだけの財産があれば、どんな生活も営む事ができる。わたしは、あるいは、この道を捨てて、世俗の生活に帰った方が、よいのではあるまいか。」
ブッダは、彼の心の迷いを知って、彼を訪れ、その心境を質しました。彼はあるがままに、その思うところを打ち明けました。
「ソーナよ、汝が家にあった頃は、大変琴を弾くことが上手であった、と聞いているが、そうであるか。」
「はい、いささか琴をひくことを心得ておりました。」
「それではソーナよ、よく知っているだろう。琴を弾くには、あまり絃を強く張っては、良い音が出ぬのではないか。」
「さようでございます。」
「といって、絃の張り方が弱すぎたら、やはり、良い音は出ないだろう。」
「その通りでございます。」
「では、どうすれば、良い音を出す事ができるか。」
「それは、あまり強からず、あまり弱からず、調子に適うように整えることが大事でありまして、それでなくては、よい音を出すことはできません。」
「ソーナよ、仏道の修行も、まさにそれと同じであると承知するがよい。刻苦にすぎては、心高ぶって静かになることあたわず、弛緩にすぎれば、また、懈怠におもむく。ソーナよ、ここでも、また、汝は、その中をとらねばならない。」
それ以後、ソーナは、この弾琴の喩えをじっと胸にいだいて再び修行に励み、ついに悟りの境地に到ることが出来ました。
ブッダの基本の教説の中に、中道の教えがあります。苦行にも、あるいは怠惰な生活のどちらにも偏らない修行の大切さを唱えられました。
それは、ブッダご自身が、6年間にわたる厳しい苦行の結果、いくら厳しい苦行をしても、悟りを得ることができないとして苦行を捨て、中道を覚ったことに由来します。
肉体的苦痛や呻吟するほどの精神的葛藤を克服する事が、本当の仏道修行のように受けとめておられる方が現実にはあるのですが、上記教説を読む限り、それは本当のお釈迦様の教えとは程遠いものである事がわかると思います。
2009年 「5月の標語」
善男子プンナ(富楼那)は賢なる者であった。
彼はよく法にしたがって実践した。
また彼はよく法のために悩むことがなかった。
比丘たちよ、かの善男子プンナは、
よく全き涅槃に入ったのである。
――― 中部経典 145 教富楼那経
ある時ブッダが、サーヴァッティー(舎衛城)の祇園精舎にいらっしゃいました。その時プンナ(富楼那)という長老の比丘が独り静かな冥想の坐を起って、夕刻、ブッダのみもとに参りました。彼はブッダを拝し、ブッダの面前に坐し、このように申しました。
「世尊よ。願わくは、私のために簡略に教誡をお説きください。私はその教誡を世尊より頂いたならば、独り隠れ住んで、放逸(おこたり)なく、心を専らにして努力したいと思います。」
「しからば、プンナよ、よく聞くがよい。またよく思念するがよい。わたしは、いま、なんじのために語るであろう。」
「畏まりました、世尊よ」
そこでブッダは、このように説き教えられました。
「プンナよ、眼によって識(し)られる諸々の色がある。それらは望ましく、好ましく、喜ぶべく、愛すべきものであって、人々の欲望をかきたて、人々を惹きつけるであろう。だがもし、人がそれらを喜び、愛着したならば、そのゆえに、プンナよ、苦の原因は生ずるのだと、私は言うのである。
また、プンナよ、耳によって識られる諸々の声があり、鼻によって識られる諸々の香があり、舌によって識られる諸々の味があり、身体によって識られる諸々の感触があり、また意(こころ)によって識られる諸々の事柄がある。それは望ましく、好ましく、喜ぶべく、愛すべきものであって、人々の欲望をかきたて、人々を惹きつけるであろう。だがもし、人がそれらを喜び、愛着したならば、そのゆえに、プンナよ、苦の原因は生ずるのだと、私は言うのである。
またプンナよ、眼によって識られる諸々の色がある。それらは望ましく、好ましく、喜ぶべきものにして、人々の欲望をいざない、人々を惹きつけるであろう。しかるに、もし比丘があって、それらを喜びもせず、愛着することもなかったならば、そのゆえに、プンナよ、苦は生ずることがないのであると、私は言うのである。
また、プンナよ、耳によって識られる諸々の声、鼻によって識られる諸々の香、舌によって識られる諸々の味、身体によって識られる諸々の感触、および意によって識られる諸々の事柄についても同様である。それは望ましく、好ましく、喜ぶべく、愛すべきものであって、人々の欲望をいざない、人々を惹きつけるであろうが、もしここに比丘があって、それらを喜びもせず、愛着することもなかったならば、そのゆえによって、プンナよ、苦は生ずることがないのだと、私は言うのである。
ところでプンナよ、わたしがかように略して説いた教誡を受持して、なんじは、何処へ赴こうとするのであるか。」
「世尊よ、私は、世尊がわたしのために簡略に説かれた教えを持し奉って、西の方のスナ(輪那)という国に赴き、かしこに住むでしょう。」
その時ブッダはプンナに問うて仰いました。
「プンナよ、西の方スナの人々は凶悪であるという。もし、彼らが、なんじを罵り、辱しめたならば、その時は、なんじは、どうするか。」
「世尊よ、そのような時には、私は、かように念じようと思います。――まことに賢なるかな、スナの人々。彼らは、私を、手をもって打たず――と。私は、そのように考えたいと思います。」
「では、プンナよ、彼らが、もし、手をもってなんじを打ったとしたら、なんじはどうするか。」
「世尊よ、その時には、かように念じます。――まことに善なるかな、スナの人々。彼らは、いまだ、私を打つに、鞭(むち)をもってせず、杖をもってせず――と。私は、そのように考えます。」
「では、プンナよ、彼らが、もし、なんじを打つに、鞭をもってし、杖をもってしたならば、なんじはいかにするか。」
「世尊よ、そのときには、かように念ずるでありましょう。――まことに賢なるかな、善なるかな、スナの人々。彼らはいまだ、我をさいなむに刀をもってせず――と。そのように、私は考えるでありましょう。」
「では、プンナよ、もし彼らが、刀をもってなんじをさいなみ、生命を奪うにいたったならば、どうするか。」
「世尊よ、世尊の弟子達の中には、肉の思いに悩み苦しんで、自ら生命を断たんことを願うものもありました。しかるに、今、私は自ら願うことなくして、生命を断つことをえたと、その時、私は、そのように念じたいと思います。」
ブッダは、プンナの固い決意を賞讃し、その伝道の旅を許して仰いました。
「善いかなプンナ、善いかなプンナ。なんじ、かくのごとき忍辱の心を抱かば、よく西の方スナの国に赴き、住することを得るであろう。さらば、プンナよ、いまはなんじの欲するままに行くがよい。」
このように、長老プンナはブッダの説きたもうところに歓喜し、仏陀を拝して去っていきましたが、やがて衣鉢をとって、かの西の国、スナに向かって出発しました。
スナの国に赴き住んだ長老プンナは、多くの人々の為に、ブッダの教法を説き、その雨安居においては、五百の優婆塞と、五百の優婆夷が、この長老のもとにおいて修行しました。彼自らも、また、その悟境をすすめて三明を証することを得た後、没しました。
(三明:仏がそなえる三つの智慧。自他の過去世のあり方を自由に知る宿命明、自他の未来世のあり方を自由に知る天眼明、煩悩を断って迷いのない境地に至る漏尽明。)
その時、あまたの比丘たちは、ブッダのいらっしゃるところに詣り、ブッダを拝して、このようにお尋ねしました。
「世尊よ、かのプンナと名づくる善男子、世尊より略したる教誡を受け奉って西の方に赴ける者は、命終わったと聞きました。彼は死してのち、いずれのところに赴くのでしょうか。彼にはいかなる来世があるのでしょうか。」
「比丘たちよ、かの善男子プンナは賢なる者であった。彼はよく法にしたがって実践した。また彼はよく法のために悩むことがなかった。比丘たちよ、かの善男子プンナは、よく全き涅槃に入ったのである。
ブッダがこのようにお説きになりますと、かのもろもろの比丘たちは、ブッダの説くところを聞いて、喜びを同じくいたしました。
2009年 「4月の標語」
人は、その生まれによって賤しき人であるのではない。
また、その生まれによって聖なる者であるのでもない。
人は、その行為によって賤しき人となるのである。
また、その行為によって聖なる者となるのである。
――― 南伝 小部経典 経集1,7 賤民経
ある時、ブッダはサーヴァッティー郊外の祇陀林の園にいらっしゃいました。ブッダが早朝,行乞のためにサーヴァッティーの町に赴かれました。そのころ、アッギカ・バーラドヴァージャという婆羅門の邸では、神火が点ぜられ、供物が供えられていました。ブッダがその邸に近づくと、それを見て、かの婆羅門は叫んで言いました。
「沙門よ、そこに止まれ、えせ坊主よ、そこに止まれ。賤しき者が、神聖なる所に近づいてはならぬ。」
こう言われて、ブッダは、かの沙門に向かって言いました。
「バラモンよ、それならば、賤しき者とは誰であるか。どのようにすれば人は賤しき者となるのであるか、なんじは知っているか。」
「沙門よ、私は賤しき者とはなんであるか、また、どのようにすれば賤しき人となるのかを知らぬ。願わくは沙門よ、私の為に、それを説かれよ。」
「バラモンよ、では、聞くが良い。よく考えるがよい。わたしは説くであろう。」
そしてブッダは、かの婆羅門のために、次のように説き語られました。
怒りの心ある者、恨みを抱く者、あるいは偽りの善を行う者、邪しまの見解を抱く者、諂(へつら)いある者、かかる者は賤しき人であると知るがよい。
たとえ、いかなる生き物であろうとも、生きとし生けるものを害する者、生きとし生けるものに慈愛なき者、かかる者は賤しき人であると知るがよい。
村々に住まう者、町々に住まう人々を、害し、とりまき、略奪する者、圧制する者と呼ばれるがごとき者、かかる者は賤しき人であると知るがよい。
村において、あるいは林園において、他の人々の所有する財物を、与えられないのに奪うがごとき者、かかる者は賤しき人であると知るがよい。
まことには負債を有する者が、返済を迫られて遁辞をかまえ、「なんじに対して負債なし」という者、かかる者は賤しき人であると知るがよい。
まこと、かりそめの欲心をおこし、道ゆく人々を殺害して、些少のものを奪い取るがごとき者、かかる者は賤しき人であると知るがよい。
もし、証人として問われた時に、自己のため、他人のため、また財のために、偽りのことを申し述べるがごとき者、かかる者は賤しき人であると知るがよい。
親戚の妻、あるいはまた知人の妻と、暴力をもって交わりをなす者、あるいは合意にして交わりを行う者、かかる者は賤しき人であると知るがよい。
年老いてすでに盛壮(さかり)をすぎたる、母なる人、また父なる人を、自己は富裕であるのに、しかも養わぬ者、かかる者は賤しき人であると知るがよい。
母なる人に、また父なる人に、兄弟姉妹に、また妻の父母に、手で害を加え、言葉で悩ます者、かかる者は賤しき人であると知るがよい。
もし道理を問う者がある時に、無益で道理の無いことを教え、正しいことを覆い隠して語る者、かかる者は賤しき人であると知るがよい。
自ら悪しき行為をなして、「このことが知られないように」と願い、ひそかに隠れて行為をなす者、かかる者は賤しき人であると知るがよい。
おのれは他人の家を訪れ行きて、大変なもてなしを受けたのに、客が来ても返礼せず饗応せざる者、かかる者は賤しき人であると知るがよい。
婆羅門なる人、また沙門なる人、あるいはまた、その他の行乞修行者を、いつわりの言葉であざむく者、かかる者は賤しき人であると知るがよい。
食事の時間となっているのに、婆羅門、あるいは沙門を、言葉で悩まし、食事を進ぜぬ者、かかる者は賤しき人であると知るがよい。
この世の愚かさにとらわれて、かりそめのものを貪りもとめ、不実の言葉を弄し語る者、かかる者は賤しき人であると知るがよい。
おのれを高くほめそやし、他人を低く貶(けな)し落とし、高慢のために心卑しくなりたる者、かかる者は賤しき人であると知るがよい。
他人を悩まし害する者、物に吝嗇(りんしょく)なる者、悪しき欲ある者、頑(かたく)ななる者、諂(へつら)う者、人に恥なき者、おのれに愧(はじ)ざる者、かかる者は賤しき人であると知るがよい。
仏をそしりけなす者、また出家にあれ、在家にあれ、仏の弟子たちをそしる者、かかる者は賤しき人であると知るがよい。
まことは聖者にあらずして、みずから聖者なりと公言する者は、一切人天の世界の賊である。かかる者は実に最も賤しき人である。
人は、その生まれによって賤しき人であるのではない。また、その生まれによって聖なる者であるのでもない。
人は、その行為によって賤しき人となるのである。また、その行為によって聖なる者となるのである。
このように説き教えられて、かのアッギガ・バーラドヴァージャ婆羅門は、ブッダにこのように申しました。
「世尊よ、希有なるかな、希有なるかな。世尊は、例えば、倒れたものを起すがごとく、蔽われたものを開きあらわすがごとく、あるいはまた暗い夜に燈火をもたらして、「眼ある者は見よ」というがごとく、かくのごとく、世尊は多くの教えをもって法を説きたもうた。私は世尊と法と比丘衆とに帰依し奉る。世尊よ、願わくは今日よりはじめて私の寿命のつきるまで、わたしを帰依せる在俗の信者としてうけいれられんことを。」
よく、「本具仏性」は元々の仏教の教えにないのでしょうか?とのお尋ねを受けますが、このお釈迦様のお言葉が、そのまま、そのお答えになっていると思っております。度々ご紹介しておりますが、仏教の根本の教説が「無常」「無我」であるからこそ、行為の尊さが最も重要となってくるものと考えます。
2009年 「3月の標語」
およそ苦についての無知
苦の生起についての無知
苦の滅尽についての無知
苦の滅尽にいたる道についての無知
これを称して無明というのである
――― 相応部経典 38,9 無明 22,99 無知
ある時 サーリプッタ(舎利弗)尊者がマガダ(摩掲陀)国にある、とある村にいらっしゃいました。その時、一人の沙門が彼を訪ね来て、尊者との間に以下のような問答がありました。
「友よ、“無明、無明”といわれるが、友よ、無明とは何でしょうか。」
「友よ、およそ苦についての無知、苦の生起についての無知、苦の滅尽についての無知、苦の滅尽にいたる道についての無知。これを称して無明というのである。」
「友よ、さらば、この無明を捨て去る道があるであろうか。」
「友よ、かの聖なる八つの道こそは、この無明を捨て去る道である。それは即ち正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。友よ、これが無明を捨て去る道である。」
また、ある時、ブッダがサーヴァッティー(舎衛城)のジェータ(祇陀)林なる園にいらっしゃった時、ブッダは比丘たちのために、このように説かれました。
「比丘たちよ、輪廻はその始めを知らず、衆生は無明におおわれ渇愛に縛られて、流転し、輪廻して、その前の際(きわ)を知ることができない。
比丘たちよ、たとい大海の水の尽き果てて無くなる時はあろうとも、しかも比丘たちよ、無明におおわれ、渇愛に縛られて、流転し、輪廻する衆生には、苦の尽き果てる際ありとは、わたしは説かない。
比丘たちよ、たとい須弥山が崩れ落ちて、無に帰する時はあろうとも、しかも比丘たちよ、無明におおわれ、渇愛に縛られて、流転し、輪廻する衆生には、苦の尽き果てる際ありとは、わたしは説かない。
比丘たちよ、たといこの大地が壊れはてて無に帰する時はあろうとも、しかも比丘たちよ、無明におおわれ、渇愛に縛られて、流転し、輪廻する衆生には、苦の尽き果てる際ありとは、わたしは説かない。
比丘たちよ、例えば、犬を縄で縛って、丈夫な柱かクイにつなぐ時、犬はただクイ柱のまわり、同じ処を回り歩くばかりである。比丘たちよ、それと同じように、愚かなる凡夫は、聖者の法(おしえ)を見ず、聖者の法を知らず、聖者の法にしたがわず、色(現象・もの)に執着し、色をめぐって同じ処を歩き回り、いつまでも色を解脱せず、したがって苦を解脱することを得ないのである。
比丘たちよ、しかるに、すでに法を聞けるわたしの弟子たちは、よく聖者の法を見、聖者の法を知り、聖者の法にしたがって、色に執することなく、色をめぐって同じ処を歩き回らず、よく色を解脱するがゆえに、したがって苦を解脱することを得るのである。」
ブッダは、さらに、受についても、行についても、想についても、識についても、同じように説かれた。比丘たちは、ブッダの諸説を歓喜し、さらに修行に勤しんだ。
この標語欄で何度も取り上げておりますように、ブッダの教えの根本は、四諦八正道です。
上記、舎利弗尊者の発言は、無明とは、ブッダの根本の教義にくらいことだと、述べておられるのです。ただ、単に、物事の道理に明るくないとか、聡明さに欠けるといった程度のことではありません。
無明は、〈愚癡〉(moha)とも言われ、〈貪欲〉、〈瞋恚〉とあわせて三毒といわれます。
最近、経済評論家の勝間和代さんが、(妬む、怒る、愚痴る)を仏教の三毒といい、「これを追放しましょう。」と提言なさっているとの記事を目にしました。確かに(妬む、怒る、愚痴る)事は善い事ではありませんので、これを追放しましょうとのご趣旨は、有意義なことだと思いますが、お釈迦様の根本の教えの立場からすると、正確さに欠けている点が少し残念です。
2009年 「2月の標語」
涅槃は正しく存し、涅槃にいたる道があり、
私は導師としてあり、しかもわが弟子の中には、
ある者は涅槃に到ることを得、
またある者は到ることを得ないが、
それを私がどうすることができようか。
如来はただ、道を教えるのである。
――― 中部経典 107 算数家目犍連経
ある時ブッダは、舎衛城の東園、鹿母講堂に止住しておられました。その時、算数家のモッガラーナ(目犍連)というバラモンがブッダを訪れてきました。二人は挨拶を交わしてバラモンが問うて言いました。
「世尊よ、たとえば私が鹿母講堂に参るにも順にたどるべき道がありました。また私共の専門とする算数においても順を追った教え方があります。それと同じように、世尊よ、世尊の教えにおいても順を追って学ぶ道というものが設けられていますでしょうか。」
「バラモンよ、わが教えにおいても、順を追った学があり、道がある。たとえば、巧みな調馬師は、よい馬を得て、まず頭を正しくする調御をなし、ついでさらに様々の調御を加えるように、私もまさに御すべき人を得ると、まず最初にこのように調御するのである。『なんじ比丘よ、なんじはすべからくまず戒を具する者とならねばならぬ。律儀を守り、微罪をもおそれ、よく心して学処を学ばねばならぬ』と。
彼が正しく戒を具する者となると、さらに私は調御を加える。なんじ比丘よ、なんじは諸々の根において門を守らねばならぬ。眼をもって物を見ても、その相(すがた)に捉われてはならぬ。この眼の働きを制しなかったならば、むさぼり、愁い、その他さまざまの有罪、不善の心の動きが起こるであろうから、これを制することに専心せねばならぬ。その他、耳で声を聞くにも、鼻で香をかぐにも、舌で味わうにも、ないしは、心をもって了別するにも、また同じである』と。
彼が正しく諸々の根を制する者となると、私はさらに調御を加える。『なんじ比丘よ、なんじは食において、量を知らねばならぬ。正しい考え方をもって食をとらねばならぬ。なぐさみのため、栄華のためにしてはならぬ。まさに、この身の支持のため、聖なる修行を保ちうる為に、せねばならぬ』と。
彼が正しく食の量を知るに到れば、私はさらに進んで調御を加える。『なんじ比丘よ、なんじは覚めるにも寝るにも、正しく修せねばならぬ。昼は経行(きんひん)と坐禅とによって、諸々の心の蔽(おお)いを去り、心を清く保たねばならぬ。夜の初めには、また経行と坐禅とによって、心の清浄を保ち、夜の中ごろには、右脇を下にし、足に足をかさね、獅子のごとく臥し、夜の終わりには、また起き出でて経行と坐禅とにより、諸々の心の蔽いを払いさって、心を清くせねばならぬ』と。
この修行ができると、私はさらに、彼に正念と正知を成就することを命じる。『なんじ比丘よ、なんじは往くにも還るにも、大小便をするにも、正知をもってなさねばならぬ。飲むにも食うにも、大小便をするにも、起つにも坐るにも、語るにも黙するにも、正知をもってせねばならぬ』と。
この修行が成就すると、私はそこで、独り空閑処に坐して修行することを彼に命じる。彼は、あるいは森中、あるいは樹下、あるいは山上、あるいは洞窟、あるいは墓地を選んで、ただひとり、結伽して身を正し、念を正しくして坐する。そこで彼は、貪欲を断ち、瞋恚を断ち、惛眠(こんみん:心の働きがにぶく眠りを催すこと)を払い、掉悔(じょうげ:心落ち着きなく、行って悔いること)を去り、疑念をぬぐい、かくて五つの心の蔽いを去り、智をもって煩悩の力をおさえ、もろもろの執着と不善を離れて、しだいに無常安穏の境地にいたるのである。」
ブッダがこのように説かれるのを聞いて、バラモンはかさねてブッダにたずねていいました。
「ではいかがでしょうか。このように教え導かれた世尊の弟子達は、みなよく涅槃を得るでありましょうか。」
「バラモンよ、私の弟子の中にも、涅槃を得る者があり、また得ない者がある。」
「では、世尊よ。正しく涅槃は存し、涅槃にいたる道があり、世尊が導師としていますにもかかわらず、いかなる理由によって、ある者は涅槃を得、ある者は得ないのでありましょうか。」
「バラモンよ、それについて、いま私からなんじに問いたいことがある。バラモンよ、なんじはラージャガハ(王舎城)にいたる道を知っているか。」
「世尊よ、私はよく知っております。」
「では、バラモンよ、これをどう考えるか。ここにひとりの人があり、ラージャガハに行こうとして、なんじのもとに来たって、その道をたずねたとせよ。そのときなんじは、彼に語って言うであろう、『この道がラージャガハに通じている。これをしばらく行きたまえ。しばらくすると、かくかくの名の村がある。それをまたしばらく行きたまえ。しばらくすると、かくかくの名の町がある。それをまたしばらく行きたまえ。するとやがて、ラージャガハの美しい園や森や池が見えてくる』と。このように教えられて、ある者は安全にラージャガハに到るがある者は道を間違え、あらぬ方に行くこともあろう。バラモンよ、正しくラージャガハは存し、ラージャガハにいたる道があり、なんじが導者としてあるのに、いかなる理由によって、ある者は安全にラージャガハに到り、ある者は誤った道を、あらぬ方に行くのであろうか。」
「世尊よ、それを私がどうすることができましょうか。私は道を教えるだけです。」
「バラモンよ、その通りである。涅槃は正しく存し、涅槃にいたる道があり、私は導師としてあり、しかもわが弟子の中には、ある者は涅槃に到ることを得、またある者は到ることを得ないが、それを私がどうすることができようか。如来はただ、道を教えるのである。」
『佛垂般涅槃略説教誡経』の1節に、「我は良医の病を知って薬を説くがごとし、服すと服せざるとは医の咎に非ず」とのお言葉がありますが、これも同趣旨のお言葉であると思います。
大乗仏教でよく説かれる言葉に「自未得度先度他」(自分が得道しないうちでも他人を度す)とありますが、原始仏教即ち、お釈迦様が悟りを開かれ、それを周りの人々に請われるまま説法を始められた頃の仏教には、このような趣旨の発言は何処にも見当たりません。
お釈迦様の時代からすでに2600年ほど経てしまっているので、時の流れからすればやむをえないことかもしれませんが、拠るべき規範が曖昧になってしまっている今日、原点に帰ろうとする努力こそが必要であろうと思います。
2009年 「1月の標語」
あらゆる邪悪の業をつんできたものが、
いかに祈祷し合掌したからとて、
死後、天界におもむく道理はない。
その人は、身壊れ、命終わって後は、
悪趣地獄に生まれるほかはないのである。
――― 相応部経典 42,6 西地人
ある時、ブッダはナーランダ(那羅陀)なるパーヴァーリカンバ(波婆離迦菴羅)林にいらっしゃいました。その時アシバンダカプッタ(刀師子)という部落の長がブッダを訪ね来たって、ブッダを拝して、問うて申しました。
「大徳よ、西の方から来たバラモンは水瓶を持ち、花環をつけ、水に浴し、火神につかえ、死んだ人々を天界に昇らせることができると聞きました。大徳は広く世人の尊敬を受けられる覚者でいらっしゃいますが、大徳もまた、人々の身が壊れ、命が終って後、善趣天界に上生せしめることがお出来になるのでしょうか。」
「部落の長よ、では、私から、あなたに問うてみたい。あなたの思うとおりに答えてみるがよい。部落の長よ、あなたはこれをどのように思うであろうか。ここに一人の人があって、人を殺し、物を盗み、偽りを言いなど、あらゆる邪まの業をなしたとするがよい。そこに大勢の人々が集まり来たって、――この人が死んで後は善趣天界に生まれるように――と、祈祷し、合掌したとするならば、あなたはどのように思うか。この人は、この大勢の祈祷合掌の力によって、死後、天界に生まれることができるであろうか。」
「大徳よ、いいえ、彼は天界に生まれることはできますまい。」
「部落の長よ、たとえば、ここに一人の人があって、深い湖の水の中に大きな石を投じたとするがよい。その時、そこに大勢の人々が集まり、――大石よ、浮かび上がれ、浮かび上がって陸にのぼれ――と、祈祷し、合掌して、湖のまわりを回ったとするならば、あなたはどのように思うか。その大きな石は、大勢の人々の祈祷合掌の力によって、浮かび上がって陸にのぼるであろうか。」
「大徳よ、いいえ、大きな石が浮かび上がって陸にのぼるはずはありません。」
「それと同じことである。あらゆる邪悪の業をつんできたものが、いかに祈祷し合掌したからといって、死後、天界におもむく道理はない。その人は、身が壊れ、命が終わって後は、悪趣地獄に生まれるほかはないのである。
では部落の長よ、さらに、あなたは、このような場合には、どのように思うであろうか。ここにまた、一人の人があって、生きものを害せず、人の物を盗まず、偽りを語らず、あらゆる善き業をつんだとするがよい。しかるに、大勢の人々が集まり、この人が死んで後は悪趣地獄に生まれるようにと、祈祷し、合掌したとするならば、どうであろうか。あなたはどのように思うか。この人は、人々の祈祷合掌の力によって、死後は地獄に生まれなければならぬのであろうか。」
「大徳よ、いいえ、そのような人が地獄に落ちるはずはありません。」
「その通りである。たとえば、ここに一人の人があって、深い湖の中に、油の壷を投じたとするがよい。そして壷は割れ、油は水の面に浮いたとするがよい。その時、大勢の人々が――油よ、沈め、油よ、水の底にくだれ――と祈り、合掌して、湖の周りを回ったとするならば、その油は人々の祈祷の力によって沈むであろうか。」
「いいえ大徳よ、油が水の底に沈むはずはありません。」
「それと同じことである。あらゆる正善の業をつんできたものは、いかに祈ったからとて、合掌したからとて、その力によって死後、地獄におもむくはずはない。その人は、身が壊れ、命が終わって後は、善趣天界におもむくことは必定である。」
このように教えられた時、部落の長は、ブッダにこのように申しました。
「善いかな大徳よ、たとえば倒れたものを起こすように、覆われたものを啓(ひら)くように、迷える者に道を示すかのように、また眼(まなこ)ある者は見よといって、暗闇の中に灯し火をもたらすかのように、世尊は種々の方便をもって、法を説き示された。願わくは、今日より終世かわることない帰依の信者として、私を許しお受け下さい。」
鉄から生じた錆が鉄自体を崩壊させるように、自分の行い(業)が罪を犯した自分を不幸へと導く。(法句経240)
人間は生まれによって賎しい人となるのではない。生まれによってバラモンとなるのではない。行為によって賤しい人ともなり、行為によってバラモンともなる。(スッタニパータ136)
ブッダご自身が「比丘たちよ。あらゆる過去乃至未来乃至現在の応供等正覚者は業論者、業果論者、精進論者であった」と言われたといわれるように、原始仏教の根本的立場である「縁起」説、「無我」説の延長上に業論は存在します。業には、身体で行う行為、口で行う行為、心で行う行為として、身口意の三業をいい、仏道実践の徳目として、この三業において悪を離れ、善に努めることが最も重要なことと説かれます。即ち、我々個々人の行為は刹那に終わって行くものではなく常に因縁生起していること、したがってそれぞれの行為は自己責任の内に果たされなければということを説くものです。原始仏典の諸経に見られる上記のお言葉は、このような教義の上に立って述べられているものです。
「縁起」については、この標語欄でも以前にとりあげました。縁起説、因果の法を説く故に、自明の理として、原始仏教には、誰かに救ってもらおうとする他力的な部分は全くありませんでした。
ブッダがお生まれになった紀元前5世紀頃のインドにおいては、ブラフマンの信仰を根本的立場とするバラモン教が主流でした。
バラモン教は、宇宙の究極的原理(梵・ブラフマン)や、個体の究極的原理(我・アートマン)の実在を認めておりましたが、ブッダは、こうした「我」の実在を認めること自体が、真理に対する無智から生じた煩悩に過ぎないと説かれたのです。そして、全てのものが実体としてないという「諸法無我」という事実に目覚める智慧「般若」を身につけることが、人間の理想のあり方「涅槃」であると説かれました。
ゴータマ・シッダルタがブッダとなられたというのは、この智慧を完成したことを意味します。
ブッダは、全ての存在の真実のあり方に対する無智の故に執着が生じ、そのことが原因で「苦」を招いているとし、この無智を「無明」と呼んで、是を根本煩悩としました。そして周囲の人々にも同様に智慧の完成を得さしめるために、自らの体験を語り始めました。
人間は、無明を滅し、無常、無我の道理に目覚めれば誰でもブッダになることができると説き始めたのが仏教の始まりです。
それはまた、自己の内面に苦の原因を見出し、それを除去することによって、涅槃を実現しようとするものであり、常に自分自身のあり方を問題とし、主体的に自己の問題の解決を図ろうとするものなのです。
このような根本的立場から、当然の事ながら、生まれによって身分を決め厳しく差別するカースト制度を、ブッダは完全否定なさいました。
業論といいますと、とかく現代においても、今不遇な立場にある方を差別的に捉えるものだと思われがちですが、それこそはまさにブッダが否定なさったことなのです。