今月の標語 2010年

2010年 「12月の標語」

汝らはわたしの法の相続者となるがよい
財の相続者となってはならぬ 

――― 南伝 中部経典 3 法嗣経

ある時、ブッダが祇園精舎にいらっしゃった時のこと、ブッダは比丘たちに説かれて、このように仰いました。
  「比丘たちよ、わたしは汝らを愛しみ愍(あわ)れむが故に、汝らはわたしの法の相続者となるがよい、財の相続者となってはならぬ、と願っている。
  比丘たちよ、もし汝らがわたしの財の相続者となって、法の相続者とならなかったならば、汝らはそれによって、他人より指さされて、――かの師の弟子たちは、財の相続者であって、法の相続者ではない。――と批評せられるであろう。わたしもまた、それによって、人々に指さされて――、かの師の弟子たちは、財の相続者であって、法の相続者ではない。――と評せられるであろう。
 比丘たちよ、もう一度言うが、汝らはわたしの法の相続者となるがよい。財の相続者となってはならぬ。
汝らは、それによって、他人より指さされて、――かの弟子たちは財の相続者であって、法の相続者ではない、などと――評せられることは、よもやあるまい。わたしもまた、それによって、人々に指さされて、――かの師の弟子たちは、財の相縦者であって、法の相続者ではない――。などと批難せられることもあるまい。
 それ故に比丘たちよ、汝らはここに、わたしの法の相続者となるがよく、財の相続者となってはならぬ。

「比丘たちよ、わたしは今ここに、食物を得て、充分に飽食することを得、しかもなお食物の余分があって、捨てようと思っているとするがよい。その時、飢え渇き、疲れ衰えたる二人の比丘がやってきて、わたしは彼ら二人に対して、このように言ったとするがよい。――比丘たちよ、わたしは今ここに、食物を得て、充分、飽食することを得た。しかもなお、わたしは食物の余分があって、いま捨てようかと思っている。もし、汝らが欲するならば、これを食するがよい。もし、汝らが欲しなければ、私は今これを草なき土地に捨てよう。あるいは虫のいない水に投じよう。
 比丘たちよ、その時、その一人の比丘は、このように考えたとするがよい。――世尊は今、食を得られて、飽食なされた。しかもなお、世尊には、食の余分があって、世尊はそれを捨てようとしておられる。もし、私共がそれを頂かなかったならば、世尊は、これを草なき地に捨て、あるいは虫なき水に投じられるであろう。だが、世尊はかつて、『汝らよ、汝らはわたしの法の相続者たるがよい。財の相読者となってはならぬ』と教えたもうたことがあった。そしていま、かの食の余分は一つの財である。わたしはむしろ、この食を頂かないで、飢え渇き、疲れ衰えたる身をもって、一夜を過ごそう。――かくて彼はその飢渇・疲労の身をもって、その一夜を過ごしたとするがよい。
 比丘たちよ、その時、いま一人の比丘はまた、このように考えたとするがよい。――世尊はいま、食を得られ、充分に食をおとりになられた。しかもなお、世尊には余分の食があって、それを世尊は今捨てようとしておられる。もしそれを私共が頂かなかったならば、世尊はこれを草なき土地に捨て、あるいは、虫なき水中に投じられるであろう。今はむしろ、わたしはこの食を頂き食して、飢え渇き、疲れ衰えたる身を養い、この一夜を過ごすとしよう。――そして彼は、その食をとり、飢渇・疲労の身を癒して、その一夜を過ごしたとするがよい。
  比丘たちよ、彼はその食をとって、飢渇・疲労の身を癒すことを得て、その一夜を過ごすことを得たけれども、しかも、彼に比して、かの第一の比丘こそは、真に尊敬されるべき者、称讃されるべき者と言わねばならぬ。なぜならば、比丘たちよ、かの第一の比丘の選んだ道は、彼にとって長く、少欲・知足・削減・精進の徳を養うに役立つが故である。
  されば比丘たちよ、汝らはいまや、わたしの法の相読者となるがよく、財の相読者となってはならないのである。わたしは、汝らを愛しみ愍れんで、わたしの弟子たちは、わたしの法の相続者となるがよい、財の相続者となってはならない、と願っているのである。」

 ブッダはこのように説かれました。このように説かれたのち、座より立たれて、精舎の内に入って行かれました。
     
ブッダがその座を立たれてから、やがて、長老サーリプッタ(舎利弗)は、比丘たちにこのように語られました。
「諸賢よ、われらの大いなる師は、よく塵垢(けがれ)を離れておられるのに、もしもその弟子たちが離れることを学ばなかったならば、如何になるであろうか。また、よく離することを学んだならば、如何になるであろうか。」
すると、比丘たちは答えて言った。
 「尊者よ、われらは尊者についてこの言葉(離)の意義を領解することを得られれば、遠路をも遠いとせず赴くであろう。いま尊者がこの語の意義を明らかに説いて下さるならば、まことに幸いである。私どもは、それを尊者より承って、みな受持したいと思う。」
そこで、サーリプッタは、そのことについて、つぎのように説きました。
 「諸賢よ、いま、われらの大いなる師は、よく塵垢を離れておられるのに、その弟子たちは離について学ばず、捨て離れるべきものを捨離せず、贅沢・放漫にして、堕落にむかってすすみ、遠離することを重荷として避けるようなことがあったならば、諸賢よ、長老の比丘たちは、三つのことについて詰責せられるであろう。すなわち、第一事としては、離について学ばないこと、第二事としては、師が捨て離れよと説かれたものを捨離せざること、第三事としては、贅沢・放漫にして、堕落にむかって進み、遠離することを重荷として避けること。諸賢よ、長老の比丘は、これらの三事をもって難詰せられねばならぬのである。
 諸賢よ、それに反して、いま、われらの偉大なる師が、よく塵垢(けがれ)を離しておられる時、その弟子たちもまた、よく離について学んだならば、いかがであろうか。諸賢よ、その時、長老の比丘たちは三事について称讃せられるであろう。すなわち、師はよく遠離しておられる時、その弟子たちもまた、よく離について学ぶ。この第一事をもって、長老の比丘は称讃せられる。
また、師が捨離すべきものと説かれたものを、その弟子たちはよく捨て離れる。この第二事をもって長老の比丘たちは称讃せられる。さらに、その弟子たちは、贅沢に陥らず、放浸にながれず、堕落をこそ重荷として避け、遠離にむかって前進する。この第三事をもって、長老の比丘は称讃せられる。諸賢よ、実に長老の比丘は、これらの三事をもって、称讃せられ得るのである。
 諸賢よ、ここに、貪ることは悪である。瞋ることもまた悪である。貪りを捨て、瞋りを離れんがためには、中道がある。それは浄き眼を生ぜしめ、真の智を生ぜしめるのであって、寂静涅槃へと導くものである。では諸賢よ、かくのごとき中道とは、いかなるものであるかと言えば、それは、八つの聖なる道である。すなわち、正見・正思・正語・正業・正命ならびに正精進・正念・正定がそれである。
 諸賢よ、これがすなわち中道であって、それによって、人々はよく浄き眼を生じ、まことの智を生じ、寂静涅槃へと導かれることができるのである。」
このようにサーリプッタが説いたとき、比丘たちはみな歓喜して、彼の説くところを信じ受けました。

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私が、このお経を初めて知ったのは、今から18年前のことでした。当時は、坐禅を行じ始めてから、かなり年数は経っておりましたが、まだ出家前のことです。読んだ直後は、仏道修行の恐ろしい位の厳しさを痛感したのですが、「とても無理!」と思うばかりで、このお説法でお釈迦様の仰りたかったことなど、分かるはずもありませんでした。
 その後、出家をし、お寺の住職となってから、毎月お釈迦様のお言葉を標語として、皆様にご紹介するようになった訳ですが、この間も何度か、このお経を開いてみても、貯金通帳も持ち、冷凍庫、冷蔵庫などを使っているお寺として、このようなことを、標語として、皆様にご紹介するなど、とても恥ずかしくて出来ることではないと、避けて通ってきました。
 12月の朧八摂心を前にして、今一度このお説法を通して、お釈迦様が仰りたかった事の意味を考えた時、やっと思い当たることが少々あり、自己に対する自戒の意味で、皆様にご紹介しようと思い立ちました。
 仏道修行の一番の目的は、標語の欄で何度もご紹介致しました。
改めてお釈迦様ご自身のお言葉をあげますと、
「四つの聖なる真理について あるがままに見ないため あちらこちらの生まれにおいて 長い間、輪廻した。しかし、これらは見つくされ 生存に導くものは除去され 苦の根は切断されている。 もはや再生することはない。」(大般涅槃経 第2章〈四聖諦〉)
 比丘とは本来、この境地を目指すがゆえに、何の生産活動もせず、托鉢(乞食)によって命を維持し、只管(ひらすら)に修行に励むべきものでした。
 さらに、縁起の法(すべての物事は因果関係によって成立している)を文字通り受け止めるならば、お釈迦様のお弟子たる二人の比丘が、飢え渇き、疲れ衰えた身で托鉢から帰ってきたのは、あくまでも、その二人の比丘の過去の行為の結果と言われる訳ですから、その結果をどのように受け止め、どのような態度で臨むかに修行の全てが掛っていたのだと思います。ここで、お釈迦様の鉢から食物を頂いてしまったら、それは、恐らく試験でカンニングをするのと同じことになってしまうのでしょう。目の前の食物に生存欲が負けて頂いてしまったなら、「生存に導くものが除去されたこと」にはならないのでありましょう。たとえその食を頂けなく、餓死したとしても、比丘自身がその意味と、いかに振舞うべきか完全に理解出来ていれば、2度と再生することはないと思われます。(修行の成就)
 
やはり、お釈迦様の説かれた法を理解し、忠実に実行しようとすることは、これほど左様に厳しいものなのだと、朧八摂心を前にして、肝に銘じたところです。

2010年 「11月の標語」

第1には、『この世は堅固ならず』ということ
第2には、『この世は無護である』ということ
第3には、『この世は所有なし』ということ
第4には、『この世は足ることなし』ということ

これを見て、われは出家したのである。

――― 南伝 中部経典 82 ラッタパーラ経

ある時、ラッタパーラ比丘はクルの王コーラヴィアの所領の鹿苑に入って、一本の樹の下に真昼の暑さを避けて、憩っておりました。その時、王の猟師は、鹿苑に来て、ラッタパーラの姿を見、王の元に帰って報告しました。
「大王よ、私が鹿苑の掃除に参りますと、一人の沙門が樹の下に憩っておりました。何者かと見ると、大王が日頃称賛されるトゥッラコッティタ聚落(むら)の第一の良家の息子ラッタパーラの出家の姿でありました。彼は今、日中の暑さを避けて、一本の樹の下に憩うております。」
「では、彼に供養しよう。供養の用意をせよ。」
  そして王は、車を駆って鹿苑に行き、ラッタパーラの坐する処に至って、以下のように申しました。

  「尊者よ、わたしはこのように聞いています。人々が髪をそり、粗衣をまとい、家庭生活を捨てて家なき生活へと出家するのは、四つの衰亡(おとろえ)によるものです。第1には老いであり、第2には病いであり、第3には財産の衰えであり、第4には親族の衰えです。
  尊者よ、ここにある人があり、年老い、老い衰え、思うには、自分は年をとり、これ以上財産を得ることも増やすことも容易ではない。剃髪して袈裟をつけ、出家しようと…。そして彼は出家する。これが老いの衰亡(おとろえ)です。しかるに尊者は、今、なお若くして、髪黒く、多幸の青春を保ち、尊者にはこの衰亡がありません。いったい尊者は、何を知り、何を聞いて出家したのでしょうか。
  尊者よ、また、ここにある人が、病いを得て苦しみ、思うことは、自分の病は癒え難く、これ以上財産を得ることも、増やすことも容易ではない。剃髪して袈裟をつけ、出家しようと…。このようにして出家したならば、それは病の衰亡によるものです。しかるに尊者は、今病悩もなく、極めて健康であって、尊者には、この衰亡も見受けられません。いったい尊者は、何を知り、何を聞いて出家したのでしょうか。
  尊者よ、また、ここにある人が、かつて大金持であったのに、今やその財産が次第に減少してきてしまいました。そこで思うことは、私はかつて大金持であったのに、今やその財産が次第に減少してしまい、これ以上財産を得ることも増やすことも容易ではない。剃髪して袈裟をつけ、出家しようと…。そして彼は出家する。これが財の衰亡による出家です。しかるに尊者は、この聚落の第一の良家の子であり、この衰亡もあるはずがありません。いったい尊者は、何を知り、何を聞いて出家したのでしょうか。
  尊者よ、さらにまた、ここにある人が、多くの親族、友人を持っていたのに、今やその親族も友人も次第に減じてきてしまいました。そこで思うことは、私はかつて多くの親族、友人を持っていたのに、彼らは次第に減じてきてしまった。これ以上財産を得ることも増やすことも容易ではない。剃髪して袈裟をつけ、出家しようと…。そして彼は出家する。これが親族の衰亡による出家です。しかるに尊者は、この聚落に多くの良き親族、友人があり、この衰亡もあるはずがありません。いったい尊者は、何を知り、何を聞いて出家したのでしょうか。」

「大王よ、わたしは、かの正覚者であられる世尊によって、4つのことを教え示されました。それを聞き、知り、かつ見ることを得て、在家の生活より出て、出家の生活に入ったのです。
  大王よ、その4つとは、第1には、『この世は堅固ならず』ということ、第2には、『この世は無護である』ということ、第3には、『この世は所有なし』ということ、第4には、『この世は足ることなし』ということであって、私はそれらのことを教えられ、聞き、知り、かつ見ることを得たがゆえに、家をすてて、髪を剃り、袈裟をつけて出家したのです。

 「尊者よ、この世は堅固ならずと言われるのは、どのような意味でしょうか。」
「大王よ、あなたが若かった頃には、乗馬も、弓術も、刀の扱いも巧みであり、よく戦ったでしょう。」
「尊者よ、その通りです。私も若い時には、力も強く、乗馬も、弓矢も、剣術も巧みで、よく戦うことができたものでした。」
 「大王よ、ではあなたは、今日でもなお昔と同じように、よく戦うことができるでしょうか。」
「尊者よ、今ではもうそうはいきません。私はもう八十歳をこえて、歩くだけでもヨロヨロすることがあります。」
 「大王よ、世尊はそれを、この世は堅固ならず、この世は儚(はかな)いものであると説かれたのであって、私はそれを聞き、それを知って、出家したのです。」
 「なるほど、尊者よ、世尊がこの世は堅固ならずと説かれたことは、誠にその通りです。誠にこの世は儚いものです。だが尊者よ、わが王家には多くの軍勢があって、わたしが難に遭った際には、私の守護の役目を果たしております。しかるに、尊者がこの世は無護であると言われるのは、いかなる意味でしょうか。」
「では大王よ、このような場合を考えてみられるがよい。大王も時々病気をなさったことがあるでしょう。」
「尊者よ、わたしは慢性の痛風があって、先日も酷く患い、皆が心配して集まってきて、私の最後ではないかと大騒ぎになりました。」
 「大王よ、その時あなたは、彼らと共にあなたの病の苦しみを分かち合い、あなたの苦しみを軽くすることができたでしょうか。それとも、あなただけでその苦しみを受けねばならなかったでしょうか。」
「むろん、尊者よ、いくら私が、お前たち我が苦しみを分けて持ち、私の痛みを軽減せよ、と言ったからといって、それは無理というものです。私の病の苦しみは、私だけで苦しむより他はありません。」
 「大王よ、それを世尊は、この世は無護である、この世には寄辺(よるべ)はないと説かれたのであり、私は、それを開き、それを知って、出家したのです。」
 「なるほど尊者よ、世尊が、この世は無護である、この世には寄辺はない、と説かれたことは、誠にその通りです。誠に希有なる教えであると思います。だが、尊者よ、わが王家には、沢山の金銀財宝を蔵しております。しかるに尊者は、この世に所有なし、一切は拾てねばならぬ、と言われるのは、いかなる意味でありましょうか。」
 「大王よ、では、このようなことを考えてみられるがよい。なるほど大王は王家に沢山の金銀財宝を蔵せられ、この世におけるあらゆる欲楽を満足しておられるが、では大王はかの世においても、今と同じように、あらゆる欲楽を楽しむことができると考えておられるのでしょうか。」
 「尊者よ、そうではない。わたしの死後には、わが王家の蔵する金銀財宝は、もはや私のものではなく、当然、何びとかの所有に帰せねばなりません。そして私は、私の所業にしたがって、ひとりあの世にゆかねばならないのです。」
 「大王よ、それを世尊は、この世に所有なし、一切は結局捨てねばならぬと説かれたのです。そして私は、それを聞き、それを知って、このように出家したのです。」
 「尊者よ、なるほど、世尊がこの世に所有なし、一切は捨てねばならぬと仰せられたことは、誠に尤もな教えであると肯くことができます。では尊者よ、この世は足ることなしと言われるのは、いかなる意味でしょうか。」
「大王よ、では、このような場合、王はどのように考えられますか。大王よ、あなたのクル国は殷盛(いんせい)を極めております。しかるに、ここに王の信頼する人が東方より来って、――大王よ、東の方に富み栄えたる国がある。それは、このような武力をもって、征服することを得るであろう。大王よ、いざその国を征服したまえ。――と言上したとするならば、あなたは如何になさいますか。」
「尊者よ、私はそれを征服しよう。」
「大王よ、では、さらに西の方よりも、また南の方よりも、また北の方よりも、同じく王の信頼する人々が来って、同じことを言上したとするならば、あなたはどのようになさいますか。」
 「尊者よ、わたしはそれらを、ことごとく征服する。」
 「大玉よ、世尊はそれを この世は足ることなく、飽くことを知らぬと説かれたのです。そして私は、それを聞き、それを知って、このように出家したのです。」
 「希有なるかな、尊者よ、世尊が、この世は足ることなく、飽くことなしと教えたまえることは、誠にごもっともです。」

そこで、ラッタパーラ比丘は、同じ趣旨をふたたび偈をもって説きました。その最後の句を、「これを見て、われは出家したのである。大王よ、まこと沙門の道こそ勝れている。」と結ばれました。

  まだ29歳であったゴ―タマ・シッダッタが何不自由ない生活を捨てて出家修行者の道に入られたのは、若さと、健康と、財力と、家族・親族・友人といった人間関係、釈迦族の王子という社会的立場、その他の世俗的価値、これら全ての限界を見極められたからに他なりません。
  仏道修行の成就は、こういった世俗の事柄について限界を見ることのできる方でないと、なかなか困難なのではという印象を、最近特に強く持っております。

2010年 「10月の標語」

この世にあるさまざまの力のうち、
福(さいわい)の力こそ最も勝れている。
天界にも人界にもこれに勝るものはない。
この福(さいわい)に由って仏の道を成ずる。

――― 漢訳 増一阿含経 31,5

これもまた、ブッダが祇園精舎にいらっしゃった時のことでした。
ブッダがいつものように、多くの人々の為に、説法をなさっていらした時、どうしたことかその席で、居眠りをしてしまった比丘がおりました。彼の名はアヌルッダ(阿那律)といい、釈迦族の出身で、ブッダの従弟に当たる方です。説法の後で、ブッダは彼を諭しておっしゃいました。
「アヌルッダよ、汝は良家の子で、道を求める固い志をもって出家したのであろう。それなのに
今日、説法の時に、人々の中で坐睡(いねむり)をしたのはどうしたことか。」
 
それを聞くと、アヌルッダは、すっと起って、姿勢をととのえ手を胸の上に組み、ひれ伏してブッダを拝し、決意を表情にあらわし、このように申しました。
「世尊よ、今日より以後、私はたとえわが身がただれようと、手足がとけようとも、ふたたびこのようなぶざまは致しません。」

  そして彼は、それから「暁にいたるも眠らぬ」日々を続けました。当然ながら、人間は睡眠しないでは生きることはできません。彼は次第に眼を患う身となってしまいました。
「アヌルッダよ、刻苦にすぎることは善くない。懈怠は避けねばならないが、刻苦にすぎることも、また避けねばならない。汝はその中道につくことを考えねばいけない。」とブッダは諭しておっしゃいました。
でもアヌルッダは、「世尊よ、私は、すでに如来の御前において誓いをたてました。いまさら、私はその誓いの心にたがうことはできません。」と言って、聞き入れませんでした。
 
人間にとって睡眠をとらない生活はあり得ません。ブッダの説かれる中道が最も正しい生き方です。それはアヌルッダにとって知らぬはずのないことでしたが、ブッダの説法の座で居眠りをしてしまったという失態が、彼にとってよほど大きなショックであったようです。
 
そして彼の目はついに、光をとらえることができなくなり、見ることができなくなってしまいました。彼の肉眼は働きを失ってしまいましたが、しかしこの時、彼は心眼を開くことができたといいます。

ある時、アヌルッダは、衣のほころびを縫おうとしておりました。だが、眼を失った彼は針に糸を通すことができませんでした。彼は心の中で、―――もろもろの得道の聖者の中に、誰か私の為に、針の穴に糸を通してくれる者はいないだろうか―――と念じました。ブッダがそれをお知りになって、アヌルッダのところに行き、彼におっしゃいました。
「アヌルッダよ、さあ、わたしがそれを通してあげよう。」
アヌルッダは驚いて申しました。
「世尊よ、今わたしが心の中で考えていたことは、誰かこの世間の聖者で、福(幸い)を求めたいと欲する者が、私の為に、針の穴に糸を通してくれないだろうか、ということでした。」

「アヌルッダよ、世間の福を求める人の中で、私より過ぎる者はいないであろう。」

それを聞いてアヌルッダは、ブッダに問うて言いました。
「世尊よ、如来の身はすでに真法の身でいらっしゃいます。さらに何を求める事がありましょうか。如来はすでに生死の海を渡り、愛着を脱しておられます。しかるに、今また何のために福の道を求めん、となさるのでしょうか。」

ブッダは答えてこのようにおっしゃいました。
「アヌルッダよ、如来は、六法において厭きて足ることなし、ということを知っていますか。その六とはなんでしょうか。一には施である。二には教え戒めることである。 三には忍。四には法を説き、義を説くこと。五には衆生を愛護すること。六には、上なき正真の道を求めること。アヌルッダよ、これを如来は六法において厭きて足ることなし、というのである。

即ち、如来(ブッダ=覚者)は常に、施すこと、教え戒めること、忍ぶこと、法を説き、義を説くこと、衆生を愛護すること、最上の正真の道を求めることを誓願とし、すでに悟ったからと言って、以上の六つの徳目を実践することを怠ることがない、ということです。

そしてブッダは、さらに偈を以って、以下のように教えられました。

この世にあるさまざまの力のうち、
福(さいわい)の力こそ最も勝れている。
天界にも人界にもこれに勝るものはない。
この福(さいわい)に由って仏の道を成ずる。

そしてこの六法を実践することとその成就を願う力が、最上の福(さいわい)となるとおっしゃっているのです。

やがてアヌルッダは、ブッダの十大弟子の一人に数えられ、「天眼第一」と称せられるようになりました。
天眼とは、物事の真相や要点をはっきり見分けることができる鋭い心の働きをいい、お釈迦様のお弟子の中で、アヌルッダが法を見ることができるということにおいて、第一の弟子であったと伝わっております。

2010年 「9月の標語」

このようにして色(しき=現象)があり、このようにして
色の因があり、このようにして色の滅がある。
また、このようにして受があり、このようにして
受の因があり、このようにして受の滅がある。
このように考えるが故に、わたしは一切の幻想を捨て、
一切の迷妄を断ち、一切の我見を離れて、
執着することもなく、解脱したというのである。

――― 南伝 中部経典 72 婆蹉衢多火喩経

ある時、ブッダがいつものように祇園精舎にいらっしゃった時のことです。その時、ヴァッチャ(婆嗟)という外道の行者が、ブッダを訪ねて参りました。
「世尊よ、あなたは、世界は常住であると思われますか。これのみが真であって、他は虚妄であると思われますか。」
「ヴァッチャよ、わたしはそうは思わない。」
「では、世尊は、世界は常住でないという意見なのでしょうか。」
「そうではない。」
「それならば世尊よ、あなたは、世界には辺際(かぎり)があると思われますか。」
「わたしは、そうは思わない。」
「では世尊は、世界は辺際がないという意見なのでしょうか。」
「そうでもない。」
さらにヴァッチャは、霊魂と身体は同一であるか、別であるか、人は死後にもなお存するか存しないか等のことについて、ブッダがいずれの意見であるかをたずねました。しかし、ブッダは、その、いずれの意見もとらない旨を答えられました。

こうして、ヴァッチャはさらに問うて言いました。
「いったい世尊は、いかなる災いを見るがゆえに、このように一切の見解をしりぞけられるのですか。」
するとブッダはこのようにおっしゃいました。
「ヴァッチャよ、世界は常住であるというのは、それは独断に陥っているものであり、見惑の叢林(はやし)に迷い込み、見取の結縛にとらわれているのである。それは苦をともない、悩みをともない、破滅をともない、厭離、離欲、滅尽、寂静、智通、正覚、涅槃に役立たない。世界は常住でないといっても、あるいは世界は辺際があるといっても、辺際がないといっても、あるいは霊魂と身体とは同じであるといっても、別であるといっても、あるいはまた、人は死後にもなお存すといっても、存せぬといっても、また同じことである。」ヴァッチャはまたそこで問うて申しました。
「それならば世尊よ、あなたは見惑に陥るということが、まったくないのでしょうか。」
ブッダはそれに答えてこうおっしゃいました。
「ヴァッチャよ、わたし自身においては、見惑、見取に陥るということはない。わたしは実にこのように考えるのである。―― このようにして色(しき=現象)があり、このようにして色の因があり、このようにして色の滅がある。また、このようにして受があり、このようにして受の因があり、このようにして受の滅がある。そして、想についても、行についても、識についても、また同じである。――このように考えるが故に、わたしは一切の幻想を捨て、一切の迷妄を断ち、一切の我見を離れて、執着することもなく、解脱したというのである。」

ヴァッチャは、さらにまた、問うて申しました。
「世尊よ、ではかくのごとくにして心解脱せる者は、いずこに赴きて生ずるのでありましょうか。」
「ヴァッチャよ、赴き生ずるというのは、適当ではない。」
「では、どこにも赴き生ぜぬというのですか。」
「ヴァッチャよ、赴き生ぜぬというのも、適当ではない。」
「世尊よ、それではわたしはまったく解らなくなってしまいました。以前に世尊と対坐問答することによって、わたしの得た深い確信すらも、すっかり消え失せてしまいました。」
するとブッダは彼の為に、このように説明して下さいました。
「ヴァッチャよ、なんじが全く分からなくなったというのは当然であろう。ヴァッチャよ、この教法(おしえ)は甚だ深く、知りがたく、すぐれて微妙であって、智慧ある者のみが知りうるところのものである。他の見解にしたがっている者や、他の行を修している者には、とうてい知られ難いものであろう。だがヴァッチャよ、わたしはさらに、なんじの為に説こう。いまわたしが、なんじに問うから、思いのままに答えるがよい。ヴァッチャよ、もしなんじの前に、火が燃えているとしたならば、なんじは――火が燃えている――と知ることができるか。」
「もちろんです」
「では、ヴァッチャよ、この火は何によって燃えるのであるかと問われたならば、なんじはなんと答えるか。」
「それは、この火は薪があるから燃えるのだと、わたしは答えます。」
「では、もしなんじの前で、その火が消えたならば、なんじは、火が消えた、と知ることができるか。」
「もちろんです。」
「ではヴァッチャよ、かの火はどこに行ってしまったかと問われたならば、なんじはいかに答えるか。」
「世尊よ、それは問いが適当ではありません。かの火は、薪があったから燃えたのであり、薪が尽きたから消えたのです。」
そこで、ブッダはうなずかれて、さらに説いておっしゃいました。
「ヴァッチャよ、全くその通りである。そしてそれと同じように、かの色をもって人を示す者には、色が捨てられ、その根は断たれる時、その人はすでになく、また生ぜざるものとなるであろう。その時、ヴァッチャよ、人は色より解脱したのである。それは甚深無量にして底なき大海のごとくであって、赴きて生ずるというも、赴きて生ぜずというも、当たらないであろう。そしてヴァッチャよ、受についても、想についても、行についても、識についても、また同じである。」
 このようにブッダが説かれるのを聞いて、ヴァッチャは豁然として悟ることができました。そしてブッダにこのように申しました。
「世尊よ、まことに、大なる沙羅の樹が、葉おち、枝おち、樹皮も脱落し、膚材も脱落して、ただ心材のみが残って立っているかのように、世尊の説かれるところは、一切を脱落して、ただ心材においてのみ確立しています。偉なるかな世尊、あたかも倒れたるを起こすがごとく、覆われたるを現わすがごとく、迷える者に道を教えるがごとく、あるいはまた、闇の中に燈火をもたらして、眼ある者は見よというがごとく、世尊は様々な方便をもって、わたしに法をお示し下さいました。わたしはここに、世尊に帰依し奉り、世尊の教法に帰依し奉り、世尊の比丘僧伽(サンガ)に帰依し奉ります。願わくは、世尊よ、今日よりはじめて、わたしの命終わるまで、わたしを在家の信者として容れたまわんことを。」

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ある参禅者の方から、ある時、「仏教では生まれ変わり死に変わりするという輪廻を説くのに、他方で、諸法無我と言って、「我」を認めませんが、何が生まれ変わるのでしょう。」という質問を受けましたが、今月のお釈迦様の御言葉がまさに、その答えになっていると思います。
今月当WEBサイトで「非思量」のページを新設致しましたが、仏法については、頭で考えたり、言葉で表現しようとする時、限界を覚えます。やはりお釈迦様の説かれた「観」を行ずる教えの通り、毎日修行していくところで、智慧が育ち、すべてはそこから…であるように思います。

2010年 「8月の標語」

悪しき心をいだける者の、
また罪あやまちを犯せし者の、
深き悪業を、河は浄めない。

――― 南伝 中部経典 七 布 喩 経

ある時、ブッダが祇園精舎にいらっしゃった時のことです。ブッダは比丘たちを呼び、このように説いて言われました。
「比丘たちよ、ここに汚れ、垢の付いた布があるとするがよい。染物工がこれをとって、あるいは藍色に、あるいは黄色に、あるいは紅色に、あるいは茜(あかね)色に染めようと、これを染め壺の中に浸したとするがよい。
その時、この布は染め色鮮やかには染め上がらないであろう。どうしてこのようになるかと言えば、それは布が清浄でなかったためである。そのように比丘たちよ、なんじらの心が穢(けが)れていたならば、悪しき結果が予期せられねばならぬのである。
 また、もしここに無垢にして清らかな布があって、これを染物工が、あるいは藍色に、あるいは黄色に、あるいは紅色に、あるいは茜(あかね)色に染めようと、これを染め壺の中に浸したとするならば、いかがであろうか。その時、この布は染め色鮮やかに染め上がるであろう。どうしてこのようになるかと言えば、それは布が清浄であったためである。そのように比丘たちよ、なんじらの心が清浄であったならば、良き結果を予期することができるのである。
  比丘たちよ、では心の汚れとは、何であろうか。欲のむさぼり、邪まのむさぼりは心の汚れである。瞋(いか)りは心の汚れである。恨みは心の汚れである。あやまちを覆(かく)すは心の汚れである。嫉(ねた)みは心の汚れである。吝(おし)んで施さぬは心の汚れである。詐(いつわ)り瞞(だま)すは心の汚れである。頑ななるは心の汚れである。性急なるは心の汚れである。慢(おご)るは心の汚れである。憍(たか)ぶるは心の汚れである。放逸(なおざり)なるは、心の汚れである。
 比丘たちよ、ある比丘は、欲のむさぼりは心の汚れであると知り、欲のむさぼりを心の汚れとして、これを捨離することを努める。また瞋(いか)りは心の汚れであると知り、瞋りを心の汚れとして、これを捨離することを努める。あるいはまた、その他の恨み、詐(いつわ)り、慢(おご)り放逸(なおざり)等々を、それぞれ心の汚れであるとさとり、それぞれを心の汚れとして、捨離することを努める。
 心の汚れを捨離することを努め、ついによく捨離することを得るにいたれば、彼はよく仏と法と僧とに対して、絶対なる信を持するにいたる。『かの世尊は、人々の供養に応(あた)いする方、のこる隈もなく覚りつくせる方、智慧も実践もかね具われる方である。人天の師たる人、覚者であり、世人のあまねく尊重するところである。』、彼は仏に対して、絶対の信を抱く。 
  また『世尊によって説かれたる教法(おしえ)は、現に見られ、現に証せられ、時を隔てずして効果あるもの、なんびとにも開示せられて、よく涅槃にみちびくものである。』と、彼は法に対して、絶対の信を抱く。また、『世尊の道を行ずる人々は、よく行い、正しく行い、理にかない、人々の供養と合掌にあたいし、この世における無上の福田である。』と、彼は僧に対して、また絶対の信を抱くにいたる。かくて彼は、いよいよ心の汚れを離れ、解脱のことが成るのである。
 比丘たちよ、このような境地にいたった比丘は、たとい浄白の米食の施しを受けて、それに調味を加え、薬味を加えたものを食したからとて、それは彼にとって何らの障害(さまたげ)ともならぬであろう。汚れ、垢ついた布も、清らかなる水に入り洗われる時、それは清らかにして無垢なる布となるであろう。金の鉱石はるつぼに入りて、清浄にして純粋なる金となるであろう。そのごとく、心の汚れを去って、よく解脱したる比丘は、いかなる施食を受けて、これを食するとも、それは彼にとって、何らのさまたげともならぬのである。
  彼はその時、ただ慈悲の心をもって、あまねく一切を覆うて住するのである。東も西も、南も北も、上も下も、一切処にわたって、あます隈もなく、ただ広大なる、博深なる、無量なる慈悲の心をもって覆い、怒ることもなく、害(そこ)なうこともなくして、住するのである。
  その時、彼の心のうちには、はっきりと解脱の自覚が成るのである。『わたしは解脱した。わが迷いの生活はすでに尽きた。清浄なる修行はすでに成った。なすべきことはすでになされた。もはやこの上は、さらにかくのごとき迷いの生活をくりかえすことはないであろう。』との確信が成るのである。
  比丘たちよ、この比丘は、内心の洗浴をもって、おのれを洗い清めたということができるのではないか。」

  その時、スンダリカ・バーラドヴァージャと呼ぶ一人のバラモンがブッダの近くに坐していました。彼は「洗浴」と聞いてブッダに問うて申しました。
「世尊よ、あなたはバーフカー河に行かれるか。」
「バラモンよ、バーフカー河に行って、何をしようというのか。バーフカー河に何の用事があろうか。」
「世尊よ、バーフカー河は人々を解脱せしめる。実にバーフカー河は尊い河である。バーフカー河は人々に福徳を与える。それで人々は、バーフカー河に沐浴して、そのなせる悪業を洗い清めるのである。」
  これをお聞きになったブッダはこのバラモンのために、以下のような偈をもって、説かれました。

バーフカ(河)に、またアディカッカ(河)に、
ガヤー(河)に、またスンダリカー(河)に、
サラッサティー(河)に、またバヤーガ(河)に、
あるいはまた、バーフマティー(河)に、
愚なる人々は常に浴すれども
その悪しき業は浄められない。
スンダリカーは何の役に立とうか。
バヤーガも、またバーフカーも、
何の用にか立つことを得よう。

悪しき心をいだける者の、
また罪あやまちを犯せし者の、
深き悪業を、河は浄めない。
心きよき者には常に春祭があり、
心きよき者にはつねに布薩がある。
心きよく、行いきよき者には
加行(けぎょう)おのずからに成就せられる。

バラモンよ、来たってここに浴せよ。
生きとし生ける者に安穏を与えよ。
汝もし妄語(いつわり)を語らず、
また、もし生ける者を害(そこな)わず、
与えられざる者を盗らず、
信をうえて、貪欲ならざれば、
ガヤーに行いて何をか為そう。
ガヤーは汝の水槽にすぎず。

この偈には、当時の主流であったバラモン教(今日のヒンドゥー教の前身)とブッダによって説かれた教え即ち仏教の違いが如実に表れております。
   ヒンドゥー教においては河川崇拝が顕著であり、水を使った沐浴の儀式が重要視されています。特にガンジス川(ガンガー)は、川自体が女神ガンガーであるため「母なる川ガンジス」として河川崇拝の中心となっております。
ブッダの教えにおいては、尊いか否かは、あくまでもその人の行為に由る、と説きますので、自己以外のものによって、清まるということは考えません。
  塩も、水垢離(みずごり)も、荒行も、悪い業を清める力はない、というのが本当のブッダの教えです。

2010年 「7月の標語」

この世にたいして欲求なく
かの世にたいして欲求なく
愛執なくして自由なる者
かかる人を われは聖者とよぶ 

―――  小部経典 経集、3,9、婆私吒経

それは、ブッダがコ―サラ国のイッチャーナンガラという村に留まっていらした時のことでした。バラモン出身の二人の若者が、「聖者とはそもそもいかなる人をいうのか」ということで議論となりましたが、どうしても結論に至ることが出来なくて、ブッダにお尋ねしてみようということになりました。
ブッダはこの二人の為に懇切に以下のように解説なさっておられます。
「あらゆる束縛を断って、
恐怖あることなき者、
結びめを解いて自由となれる者、
かかる者を、われは聖者とよぶ。

罵らるるも、打たれるも、縛せらるるも、
心いささかもひるむことなく、
忍びたえる力においてまされる者、
かかる者を、われは聖者とよぶ。

いかりなく、よくつとめ、
徳ありて、むさぼりなく、
おのれを調えて、また迷いの生をくりかえさざる者、
かかる者を、われは聖者とよぶ。

蓮の葉につかざる水滴のごとく、
錐(きり)の尖(さき)にとどまらぬ芥子(けし)の実のごとく
もろもろの欲望に愛着せざる者、
かかる者を、われは聖者とよぶ。

智慧ふかく、賢きおもんばかりありて
道と道ならぬとをわきまえ
最高の道理に到達したる者
かかる人を、われは聖者とよぶ。

弱きものも、また強きものも
生きとし生ける者に笞(むち)をおさめ、
そこなうことなく、殺すことなき者、
かかる人を、われは聖者とよぶ。

悪意ある人々のなかにありて悪意なく
笞を手にする人々のなかにありて笞をおさめ、
執着おおき人々のなかにありて執着なき者、
かかる人を、われは聖者とよぶ。

むさぼりも、いかりも、驕慢も、偽善も、
芥子の実が錐の尖より落つるがごとく、
ことごとく落ち去りたる者、
かかる人を、われは聖者とよぶ。

あらあらしき言葉を語らず、
道理と真実の言葉を語り
言葉に由りてなにびとをも傷つけざる者、
かかる人を、われは聖者とよぶ。

この世にたいして欲求なく、
かの世にたいして欲求なく、
愛執なくして、自由なる者、
かかる人を われは聖者とよぶ。」

本経典に於いてお釈迦様は、実に63節の偈文によって、聖者とは、このようであると、説き述べられております。
その趣旨は、上記の偈を読んだだけでもお分かりになると思いますが、人の尊卑、聖であるか否かを決定するものは、その生まれ、出自ではなく、その行為即ち業こそが決定的要素であるということです。

上記の趣旨とは少しはずれますが、最近しばしば感じることですが、今の世の中では、その人の社会的立場つまりどういう職業であるかとか収入であるとか、世俗的な価値でその人の評価を決めてしまうことが往々にしてあります。ただ、残念ながら、その人の肩書が素晴らしいものでも、その方の行為が必ずしも素晴らしいとはいえないことを、目の当たりにすることが多く、世の中の為には是非一致してもらいたいのにと、残念に思うことです。 

2010年 「6月の標語」

アーナンダよ、その故に、一切を厭い離れるがよいというのである。
一切を厭い離れれば自由になることができるのだ。

――― 相応部経典 22,15 無常なるもの

ブッダは弟子たちに対して、非常に丁寧に、教えを説かれたばかりではなく、時にはブッダの方から問いかけをなさり、今までブッダが説き示されたことが、弟子たちの身についているか、検(ため)すこともなさったようです。

  これもまたサーヴァッティ(舎衛城)の郊外にある祇園精舎でのことでした。アーナンダがブッダの前に出てこのように申しました。
「大徳よ、願わくは、私の為に、簡略な教えをお示し下さい。わたしは、その教えを頂いて、しばらく、ひとり静かなところにおもむき、専念修行いたしたいと思います。」
  このように、比丘たちは、時々、森の中や、人なき空屋に入ってもっぱら独坐静観の幾日かを送ることがありました。その時にはまずブッダの教えを頂いて、それを課題として瞑想の座につくのが例であったようです。この時、ブッダはまず、アーナンダに問うて仰いました。
「アーナンダよ、では、汝はどう思うか。存在するものは、常恒であるか、無常であるか。」
常恒とは、変化しないことを意味し、無常とは、変化するという意です。
「大徳よ、それは無常であります。」とアーナンダは答えました。」
「では、アーナンダよ、無常なるものは苦であろうか、楽であろうか。」
移ろいゆくことは、悲しいことか、楽しいことか、とお尋ねです。
「大徳よ、それは苦であります。」と彼は答えました。
「では、この無常にして苦なるものを、これは自己のもの、これは我が身体であるということができるだろうか。」
移ろいゆく存在のなかで、自己の所有に執着することがふさわしいことか、あるいは「変わらずに存在する自己」というものを考えることが出来るかというのです。アーナンダは、それは否であると答えました。そこでブッダはこのように仰いました。
「アーナンダよ、その故に、一切を厭い離れるがよいというのである。一切を厭い離れれば自由になることができるのだ。」

このような問答形式は、ほかのお経に於いても、随所に見ることが出来ますが、「無常―苦―無我」が仏教の基本的考え方であるということが判ります。

修行中に、それを妨げるもの、たとえば外の音ですとか、考え事ですとか、が起きた場合、それに対して、どのような態度を取るべきか、ということについて、ここにブッダの御答えが示されているように思います。

修行中に家族のことを思い出したり、それについて心配したり、ということもあるかもしれませんが、その心配が果たしてどこから出てきたか、よくよく深い気づきをもって観てみると「無常―無我」ということが得心出来ていず、そこから欲や憂いが生じているからではないのでしょうか。

この無常ということは、頭で想像する絵空事でなく、よく身に沁みるように物事を観察してみると、苦の状態はそのまま苦ですが、逆にどのように良い目に遭っているように見える状態でも、必ず「苦」を内包していることに気づきます。

「厭」という漢字は、ただ単に嫌うとか、マイナスの感情を持つという意味だけではなく、有り余って嫌になる、もう沢山だ、という意味が含まれております。
そのような状態を厭い、「これだけ苦に直面しているのだから、もう沢山ではないですか。そこから離れたらどうですか。」とブッダは仰っているのです。欲や怒りを内蔵しながらどれだけクヨクヨ思い煩ったところで問題の解決にはならない、むしろ貪瞋痴から厭い離れようとする努力こそが真の自由獲得につながるのです。

私が、道場に坐禅に来る方を見ていて、やはり苦に直面しているような方でも、「もう沢山」と本気で、心の底から思っていないから、坐禅が続かないのかなあと思うことがあります。

このお言葉は、ブッダの修行を志すものであれば常に肝に銘ずべきお言葉であると思います。


2010年 「5月の標語」

アーナンダよ、善き友、善き仲間を有するということは
これは聖なる修行のなかばではなくして、そのすべてである。

――― 相応部経典 45、2 半,   3、18 不放逸

 ある時、ブッダが釈迦族のサッカラという村にいらっしゃったことがありました。その時、アーナンダ(阿難)はブッダのいらっしゃる所に至り、ブッダを拝して、このように申しました。
「大徳よ、私どもが善き友、善き仲間を有するということは、これは聖なる修行のすでになかばを成就せるに等しいと思いますが、いかがでしょうか。」このように、問われて、ブッダは答えて仰いました。
「アーナンダよ、そうではない。そのような考え方をしてはならぬ。アーナンダよ、善き友、善き仲間を有するということは、これは聖なる修行のなかばではなくして、そのすべてであるのである。
アーナンダよ、善き友をもち、善き仲間の中にある比丘においては、八つの聖なる道を修習し、成就するであろうことは、期してまつことが出来るのである。
 アーナンダよ、このことによっても、それを知ることができるではないか。
アーナンダよ、人々はわたしを善き友とすることによって、老いねばならぬ身にして老いより解脱し、病まねばならぬ身にして病より解脱し、死なねばならぬ人間にして死より解脱することを得ているのである。このことによっても、アーナンダよ、善き友をもち、善き仲間にあるということは、聖なる修行のすべてであると知るべきである。」
 
 以上の説話は古くから言い伝えられておりますので、御存じの方も多くいらっしゃると思います。
  また、別の時にこのようにも説いていらっしゃいます。

 ブッダが、祇園精舎にいらっしゃった時に、コ―サラ国の王パセ―ナディ(波斯匿)が、ブッダを訪ねてきて、申しました。
「世尊よ、わたしは、独り静かに坐して考えていた時、このような考えが浮かんできました。――世尊によって、善き法が説かれている。それは善き友、善き仲間をもつということであって、悪しき友、悪しき仲間をもつことではない―――と、そのような考えが浮かんで来たのですが、いかがでしょうか。」
「大王よ、その通りである。まことに、その通りである。わたしによって法は善く説かれてある。それは、善き友、善き仲間をもつことであって、悪しき友、悪しき仲間をもつことではない。
 それ故に、王は、このように学ばなければならぬ。――わたしは善き友、善き仲間をもつものとならねばならぬ――と、常に、そのように学ばねばならぬのである。
 では、大王よ、善き友、善き仲間をもつためには、いかにすればよいであろうか。それには、この一つの法に住し、とどまらねばならぬ。すなわち、善きことにおいて放逸ならざることがそれである。
 大王よ、王が放逸ならず、よく努められるならば、王の後宮の人々もまた、かように考えるであろう。――王はよく努められる。われらもまた、放逸ならずして、努めなければならぬ――と。
 大王よ、王が放逸ならずして、よく努められるならば、王の侍臣、武士たちも、またかように考えるであろう。――王はよく努められる。われわれもまた、放逸ならず、努めなければならない――と。
 大王よ、また、王が放逸ならず、よく努められるならば、王の民もまた、かく考えるであろう。――王さまはよく努めておられる。われわれもまた、怠らず、努めなければならない――と。
 大王よ、かくのごとく、王が放逸ならずして、よく努められるならば、自己もよく護られ、後宮もよく護られ、王の庫蔵(くら)もまたよく護られるであろう。」

 放逸とは、「勝手気ままでだらしない、しまりがない」生活ぶりを意味します。逆に不放逸とは、善いことを行おうと常に精進し、努め励むことです。お釈迦様は、善い友、善い仲間を得るには、怠ることなく努め励むこと、精進が不可欠と説いていらっしゃるのです。
 私は、特別の行事のある場合を除いて、毎朝約2時間、坐禅を行っておりますが、日によっては、道場にどなたも参禅者の方がいらっしゃらないということもあるのですが、不思議と独りで坐っているという感覚になったことがありません。本堂の真ん中には、常宿寺参禅道場の聖僧様、沢木興道老師が坐って下さっていらっしゃいますし、坐禅中色々に迷うような場合でも、常にお釈迦様に御尋ねし、分からないことは可能な限り、経典を繙き、お釈迦様からの御答えを頂きたいと努めているからだと思います。
 もったいなくも、せっかくお釈迦様ご自身が、「人々はわたしを善き友とすることによって、老いねばならぬ身にして老いより解脱し、病まねばならぬ身にして病より解脱し、死なねばならぬ人間にして死より解脱することを得ているのである。」と仰って下さっているのですから、生涯を通して、最良の親友となって頂くことが、修行に励むものとして目指すべきことであると信じます。
 今の私にとりまして、お釈迦様以上の御友達は存在せず(その意味で遊び友達を全く必要とせず)、今生で巡り合わせて頂けたことが、最高の喜びであり、幸せであると日々感謝しております。

2010年 「4月の標語」

法を見るものはわれを見る
われを見るものは法を見る

――― 相応部経典 22,87、跋迦梨

ブッダがラージャガハ(王舎城)の郊外の竹林精舎にいらっしゃった時のことでした。
その頃、ヴァッカリ(跋迦梨)という比丘が、ラージャガハのある陶工の家にあって病み、病が段々重くなり苦しんでいました。彼は、とてもこの病から恢復することは難しいと思い、かたわらで看護する者に頼んで、申しました。
「友よ、すまないが、世尊のいらっしゃるヴェルヴァナ(竹林精舎)まで行って、世尊にお願い申してもらえまいか。私は、この通り、病が重く、もはや恢復することは思いもよらない。私は、最後の思い出に、世尊の御顔を仰ぎ、世尊の御足を頂礼したい。だが、この病体ではとてもヴェルヴァナまで行くことはできない。それで世尊にお願いしてもらいたいのだが、ヴァッカリをあわれんで、ここまでお出で下さるわけにはまいりますまいかと、申し上げてくれ。」
  彼が、ヴェルヴァナに駆けつけて、そのことをお願いすると、ブッダはすぐ承知して、陶工の家に向かわれました。ブッダのお姿が遥かに見えると、ヴァッカリは病床に起きて坐りました。
 ブッダは、陶工の家にお入りになると、まず、起きて坐っているヴァッカリを制しました。
「いけないよ、ヴァッカリ、寝ていなければいけないよ。わたしが今、そこに行くよ。」
  そして彼を病床に横たえると、ブッダはその枕もとにお坐りになりました。
「どうだ、ヴァッカリよ、がまんができるか。いくらかよいか。」
「大徳よ、私はもういけません。病気は悪くなるばかりで、すこしも快方に向かいません。それで私は最後の思い出に、世尊の御顔を仰ぎ、御足を頂礼したいと念じておりましたが、この身体では、とてもヴェルヴァナまで出かけて行くことはできませんでした。」
  その時、ブッダは彼に教えて、こう仰いました。
「ヴァッカリよ、このわたしの老耄(ろうもう)の身体を見ても、何にもなりはしない。ヴァッカリよ、汝はこのように知らねばならない。<法を見るものはわれを見る。われを見るものは法を見る>と。」
  そのお言葉に、ヴァッカリは、ハッとして悟るところがありました。並み居る比丘たちもまた深い感銘に打たれました。なぜならばブッダはここに、おのれを礼拝しようとするものを拒んで、ただ法を見、法をこそ礼拝すべきことを説いていらっしゃるからです。
  さらにまた、ブッダは、別のところで、このようにも説いていらっしゃいます。
「たとえわたしの裳裾(もすそ)をとって、わたしの後に随い来ようとも、もし彼が、欲を抱き、怒りを抱き、邪まの思いを抱き、怠りにふけり、知解(ちげ)するところがなかったならば、彼はわたしから遠く離れており、わたしは彼から遠く離れておるのである。
 なぜならば、かの比丘は法を見ないからであり、法を見ない者は、わたしを見ないからである。
 たとえわたしから遠く離れて、百里の彼方にいようとも、もし彼が、欲を抱かず、怒りを抱かず、邪まの思いを抱かず、放逸(おこたり)をすてて、知解し、確立することを得たならば、彼はわたしのそばに居り、わたしは彼のそばに居るのである。なぜならば、かの比丘は、法を見るからであり、法を見るものはわたしを見るからである。」(小部経典 如是語経 92)
 
本来の仏教というものは、お釈迦様を一神教的に崇拝したり、信仰の対象にすることではないということが、このお言葉によく表れており、ここに、ブッダによって説かれた教え(仏教)の根幹が存在しております。
昨今は、仏像ブームだそうです。混迷を極める世相の中に在って、お仏像に相対した時、生きる意味を問いかけたり、癒しのオーラに触れたりとか、人様々ではありましょうが、本当のお釈迦様の教えに導かれるきっかけとなってくれることを祈らずには居られません。

2010年 「3月の標語」

このゆえに比丘たちよ、
<これは苦なり>と勉励すべし
<これは苦の因なり>と勉励すべし
<これは苦の滅なり>と勉励すべし
<これは苦の滅にいたる道なり>と勉励すべし

――― 雑阿含経、15,47、亀

古くから仏教に伝わる喩えの一つに「盲亀浮木」といわれているものがあります。
その喩えをブッダはこのように説いていらっしゃいます。
「比丘たちよ、たとえば、ここに一人の人があって、一片の軛(くびき:牛車などの長柄(ながえ)の端につけて、牛馬の後頸にかける横木)を大海のなかに投げ入れたとする。
 その軛には、一箇所だけ穴があいていたとする。ここにまた一匹の目の不自由な亀があって、百年にただ一度だけ、海面に浮かんできて首を出すという。その亀が、海面に浮かんできて、その軛の穴に首を突っ込むというようなことがあるだろうか。」
「大徳よ、もしそういうことがあるとしても、いつのことかわかりません。」
「比丘たちよ、その通りである。だが、百年に一度だけ海面に浮かぶ目の不自由な亀が、軛の一穴に首を入れることよりも、なお稀有なことがあると知らねばならない。それは一たび悪しきところに堕ちた者が、ふたたび人身を得るということは、さらに稀有であるということである。」
 以後、このお言葉は、「盲亀浮木優曇華の花」という言葉で伝えられ、「出会うことが非常に難しいことの喩え」として言い表されてきております。
「大方広仏華厳経第六」浄行品第七のなかに、
「人身受け難し、いますでに受く。仏法聞き難し、いますでに聞く。この身今生において度せずんば、さらにいずれの生においてかこの身を度せん。大衆もろともに、至心に三宝に帰依し奉るべし。」という言葉で始まる、三帰依文がありますが、この一節は、まさにこのブッダの教えの伝わった偈であると申せましょう。
 私達は、「今人間として、この世に生を受けている。このことを、めったに会い難いことであると考える。」そこから初めて、緊張した人生の営みが生じて参ります。さらに、私達は、「この世に生れて、ブッダの教えに廻り合い、そのことを生きる上の指針とすることができる。このことも誠に稀有なことである。」「今、この千載一遇の絶好のチャンスを逃したら、いつこの身を救うことができるのか。」ここから初めて、仏教徒としての人生が展開していきます。このことを強調し、肝に銘じさせたいために、ブッダはこのような、喩えを説かれたものと思われます。
 ブッダは説法の終わりを、以下のお言葉で結んでおられます。
「このゆえに比丘たちよ、<これは苦なり>と勉励すべし。<これは苦の因なり>と勉励すべし。<これは苦の滅なり>と勉励すべし。<これは苦の滅にいたる道なり>と勉励すべし。」
 それは、せっかく人間に生れたのだから、根本の教えである「四諦八正道」によって、精進しなさい、との、ブッダの思し召しでありましょう。換言すれば「四諦八正道」こそが、最も要となる教えであるということです。
 今までも、四諦八正道につきましては、何度か触れましたが、この度、当WEBサイト更新に伴い、「お釈迦様の基本的教え」のページを設けました。その中で、詳しく述べておりますので、そちらをご一読頂ければ、幸いです。

2010年 「2月の標語」

欲望は乾草の炬火(タイマツ)に喩えるべく、
苦しみ多く、悩み多しと、世尊により説かれた。
まさにこれを厭離すべきである。

―――  南伝 中部経典 哺多利経

ある時、ブッダはアングッタラーパ地方を旅して、アーパナという村にとどまっていらっしゃいました。そこへポターリヤという居士が散策しながら、ブッダの休息しているところにやって参りました。
  彼はすでに財産を子供達に与え、俗事を離れ、隠棲の身となっていましたが、ブッダは彼の為に、真に俗事を断つとは、どのような事であるかを説いて、ついに彼を帰依せしめました。
 その説法のなかで、ブッダは欲望についてこのような比喩を説かれていらっしゃいます。
「居士よ、それはちょうど、乾草のタイマツをもって、風に向かって行くようなものである。居士よ、もしその人がすみやかにそのタイマツを手放さなかったら、どのようになると思うか。その炎は、彼の手を焼くであろう。彼の腕を焼くであろう。あるいはその体を焼いて、彼は死ぬような苦しみを受けねばならぬであろう。」
「世尊よ、その通りです。」
「だから、私の弟子達は、いつもこう思っている。<欲望は乾草のタイマツに喩えるべく、苦しみ多く、悩み多しと、世尊により説かれた。まさにこれを厭離すべきである>と。そのように彼らは、欲望の真相をあるがままに見て、世俗の利得への執着を、余すところなく滅しつくすのである。」
  ブッダは、また、このような比喩も説かれました。
「居士よ。例えば、とある村のほとりに繁った森があって、そこに1本の果樹があったとするがよい。その果樹には熟した果実が沢山なっている。そこに一人の男がやってきて、その木を見つけた。だが、まだ実は落ちていないので、彼はその木によじ登って、実を取り始めた。そこに第二の男がやってきて、彼もまたその木を見つける。だが、その男は木登りが出来ないので、その木を切り倒して、その実を取ろうと企てる。さて、居士よ。どう、思うか。第一の男は、早く木を降りなかったならば、その木を切り倒されて、ひどい目に遭わねばならないだろう。」
「世尊よ、仰せの通りです。」
「だから私の弟子達は、いつもこのように考えているのである。<欲望は木の実をつけた果樹に例えられる。苦しみ多く、悩み多しと、世尊により説かれた。まさにこれを厭離すべきである>と。そのように彼らは、欲望の真相をあるがままに見て、世俗の利得への執着を、余すところなく滅しつくすのである。」
  ブッダはさらにこのようにも喩えられました。
「居士よ、たとえば、今ここに深さが身の丈を超える穴があり、その中では、火が燃え盛っていたとするがよい。しかるにここに一人の人があり、彼は生を欲し、死を欲せず、楽を愛し、苦を厭うにもかかわらず、二人の力の強い男に両腕をとられ、引きずられてこの火の穴に連れ込まれたとするがよい。その時、居士よ、いかがであろうか。彼は身をもがき、体を曲げて火の穴に落ちまいとするであろう。」
「むろん世尊よ、彼はそのようにするでしょう。なぜならば、世尊よ。彼は、もしこの火の穴に落ちれば、死ななければならぬ、もしくは死に等しい苦しみを受けねばならぬ事を、よく知っているからです。」
「居士よ、まことにそのように、私の弟子達は考えているのである。<欲は火の穴に喩えるべく、苦しみ多く、悩み多しと、世尊によって説かれた。まさにこれを厭離せねばならぬ。>かくのごとく、彼らは、正しい智慧をもって、欲が災いになることを如実にみて、すべての世間的利得への執着を、あますところなく滅しつくすのである。」
  さらにまたブッダは、夢が果てしないことを喩えて、貪欲の災いを、彼のために説かれました。
「居士よ、それはまた、あたかも人が夢のなかで愛すべき園を見、愛すべき林を見、愛すべき蓮池を見ているが如くである。彼は夢から覚めれば、そこに何物も見ないであろう。居士よ、まことにそのように、私の弟子達は思惟するのである。<欲は夢に喩えるべく、苦しみ多く、悩み多しと、世尊によって説かれた。まさにこれを厭離せねばならぬ。>かくのごとく、彼らは、正しい智慧をもって、欲の災いなることを如実に見て、すべての世間的利得への執着心を、余すところなく滅しつくすのである。」

このような欲望の営みのたとえが、この経には7度説かれております。それは「欲の七喩」と称し、古来よく知られた説話ですが、このようにブッダが様々に表現を変えて説かれるということは、貪欲というものが、如何に御しがたいものであるかと、いうことを表しているとも思われます。
 

2010年 「1月の標語」

世界は有限か無限か
霊魂と身体は同じか別か
人間は死後もなお存するか否か
そのような問題に答えたとて
我らの苦なる人生の解決にはなり得ないのだ
我らは、この、現在の生において
この苦なる人生を克服しなければならぬのである

――― 中阿含経、221、箭喩経

これも、ブッダが祇園精舎にいらっしゃった時のことでした。マールンクヤ(摩邏迦)という一人の弟子が、なにか思いつめたような気配で、ブッダのところにやって参りました。
彼が今思いつめているのは、ブッダがある種の問題について解答を示さないことについての不満でした。
その問題というのは、当時の思想家達の間に流行していたものであって、「この世界は有限であるか無限であるか」とか「霊魂と身体は同一であるか、各々別であるか」とか、「人間は死後も存在するか、存在せぬか」などということであって、哲学好きの彼にとっては、ブッダがそのような問題に明快な解答を示さないことが、不満でたまらないのでした。
  「世尊よ、あなたが相変わらず答えを拒まれますならば、私はもう世尊の元を去って、俗世に還ろうと思います。」
  ブッダはじっと、思いつめた弟子の顔を見つめていましたが、やがて彼に向かってこう仰いました。
「マールンクヤよ、ここに一人の人があって、毒矢をもって射られたとする。その時、彼の友達は、急いで彼の為に医者を呼びに行くであろう。ところが彼は、まず私を射た者は誰か、私を射た矢は、どのような弓を以ってか、また、その矢はどんな形をしているか。それらの事が解明されぬうちはこの矢を抜いてはならない。治療をしてはならない。と、主張したならば、どんなことになるだろうか。マールンクヤよ、彼はまだそれらのことを知り得ないうちに死んでしまうであろう。
マールンクヤよ、世界は有限か無限か。霊魂と身体は同じか別か。人間は死後もなお存するか否か。そのような問題に答えたとて、我らの苦なる人生の解決にはなり得ないのだ。
我らは、この、現在の生において、この苦なる人生を克服しなければならぬのである。
それにはマールンクヤよ、わたしの説かないことは、説かないままに受持するがよい。私の説いたことは、説いたまま受持するがよい。
  何故に説かないのであるか。実にそれは、道理の把握に役立たず、正道の実践に役立たず、厭離、離欲、滅尽、寂静、智通、正覚、涅槃に役立たぬからである。
  では、わたしの説いたことは何であるか。<これは苦である>とわたしは説いた。<これは苦の生起(おこり)であるとわたしは説いた。<これは苦の滅びである>とわたしは説いた。<これは苦の滅びにいたる道である>とわたしは説いた。では何故にわたしはそれらのことを説いたのであろうか。じつにそれは道理の把握をもたらし、正道の実践に基礎をあたえ、厭離、離欲、滅尽、寂静、智通、正覚、涅槃に役立つからである。
マールンクヤよ、それ故にわたしの説かないことは、説かれぬままに受持するがよい。私の説いたことは、説かれたままに受持するがよい」
  ここにブッダが説かれた比喩は、「毒箭の喩え」と称せられ、よく知られております。戯論を戒め、仏教者たるもの無用の論議にふけってはならない、とお示しになったと同時に、ブッダの教説の最も基本となるものは、四諦であるとはっきり明言されておられるのです。
 
常宿寺HPを御覧になって、この3年の間に、坐禅をくみに来られた方は110人を超えました。皆様と接しておりますと、本やあらゆるメディアを通して、頭で理解した坐禅のイメージを道場に持ち込んで来られるのですが、そのような方はほとんど長続きせず、やめていかれます。
修行と言うものは、理論のみではなく、身体で、日々の積み重ねで行っていくものであり、さらには、どうしても頭では理解できなくても、お釈迦様の仰っていることは、最後にはそのまま戴く素直さがないと、本当の仏教は理解できないし、継続できないと痛感する毎日です。

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